たまに短歌 2025年5月5日 名古屋
静かなり古き街道保存地区
それで何かが生まれてくるか
休みの日街に響くは子らの声
未来はそれで安泰なのか
雪残る富士の高嶺は少しずつ
何かに向かい何かを見せる
名古屋二日目、宿泊先の宿で朝食をいただく。前日チェックインの時、ビュッフェか和定食を選択するようになっていたので、和定食にした。あのバイキングという形式が嫌いだ。人の品性のようなものが剥き出しになる。人類の滅亡を予感させる風景が展開する。選択肢が他になければ仕方ないが、そういうわけで今回は和定食一択だった。席に案内されて選択肢を提示された。ご飯かお粥か。鰈の焼き物かローストビーフか。お粥とローストビーフにした。普段、家での朝食はコーヒーと果物とあと何か一品だ。外泊した時は、普段の倍以上のものを食べることになるのだが、不思議と難なく腹に収まる。ここの和定食は、少しずつたくさんの惣菜が盆の上に並んでいてどれもとても美味しかった。
近頃、子供時分の貧しかった暮らしをよく思い出す。そのことは以前にこのnoteにも書いた。桂歌丸も独演会での噺のマクラのなかで、駆け出しの頃は米を買う金に不自由することがあったので、稼ぎが入るとまず米を買うようにしていた、と語っていた。歌丸は20代後半から「笑点」というテレビ番組のレギュラーになって、噺家としてはかなり売れていたはずなので、「駆け出し」の期間はそれほどでもなかったと勝手に想像しているのだが、その「米がない」という状況を聞いた時に自分との同時代性のようなものを感じたのを覚えている。
最近巷では米の高騰が話題になっているが、あの頃のことを思うと全く比較にもならない贅沢な困窮だ、と思う。とはいえ、さんざん減反政策を続けてきたうえでのこのザマはこの国に農政というものが存在しないことの証左であり、米騒動のようなことが起こっても驚かない。しかし、騒ぎは口先だけのようで、切迫した風でもない。農業従事者を票田に万年与党の地位を享受してきた某党が与党ボケで機能不全に陥って久しく、呑気なのは私だけではないらしい。
宿をチェックアウトして有松に出かけた。ツレが有松絞りを見たいというのである。私は以前、民藝協会の夏期学校で有松を訪れたことがあった。特にどうというほどのものはなかったと言ったのだが、それでも見たいというのである。栄から地下鉄で金山に出て、名鉄に乗り継いで有松で下車する。連休真っ只中でも電車はそれほど混んでいないし、駅も静かだ。有松絞りの資料館がある町並み保存地区(より正確には重要伝統的建造物群保存地区)は駅からすぐの一画だ。駅が静かなくらいなので、ここも静かだ。旧東海道に沿って近世から近代にかけての建物が残り、その一部は店舗やギャラリーとして公開されている。資料館はもと町役場が立地していた場所にある。けっこうな広さで一階が店舗、二階が資料室で絞りの実演も行われている。店舗スペースは広い分、保存建築の商店よりも品揃えが充実している。

染め物はかつて日本の各地で地場産業として当たり前に存在していた。なかでも藍染の場合、原料となる藍蓼が稲と同じ南方系の植物で、田圃の隅などに自生して豊富に手に入ったという事情もあるだろう。それが化学染料に置き換えられ、染め物の模様を作る技法として残った少数を除いて、手仕事から工業に転換された。また、蓼は独特の臭いがあり、広々とした田圃の一画で自生しているうちはそれほど問題にはならなかったが、宅地の開発が進み農地が広々としなくなると近隣の住民からの苦情の素になるらしい。そんなこんなで、かつて産業として栄え、今でも「紺屋町」などと地名に残るほど染め物業者が集積した土地もあるというのに、保存しないと継承されない伝統工芸の一つになってしまった。有松絞りも今は合成染料によるものが主流のようだ。

滋賀県野洲市 紺九 にて
2018年5月26日撮影
もちろん、染め物は藍だけではないし、有松は絞りがウリになっている。絞りで生まれる微妙な凹凸と模様全体との組み合わせ、それと衣類、日用品、その他の最終形になったときの独特の世界観が「有松絞り」というブランドとして今に続く原動力の一つなのだろう。町並み保存地区を一通り散策した後、資料館に戻って気に入った柄の暖簾を買った。夏になると家の中の仕切を開け放つのだが、物置きと化した部屋は多少隠すことも考えないといけないことになっていた。丈の長い、ちょうどいいのが目についたのでいただくことにした。駅前の菓子店で伯父のところへの手土産にする焼菓子を買って、電車で市街へ向かう。
昼時の栄はさすがにどこも混んでいる。中日ビルの3階で、たまたま空きのあるレストランがあったので、そこに入ってしまった。パエリアを含めたコース料理だったが、全体に和風の出汁が効いていて、個性的な旨さだった。食事処も含めて街中は子供連れの姿が目立った。出生数は年々少なくなっているらしいが、子供が減ると社会として子供を育てる能力が低下していく気がする。
その後、地下鉄で伯父の家へ行き、小一時間ほど茶飲み話をして、母と一緒に家路についた。新幹線の車窓から夕陽に浮かぶ富士山が見えた。まだ雪が残っているが、切れ込みが入ったように地肌が見えるようになっていた。冬が終わり、春が過ぎ、何事も無いかのように季節が移ろう。何事だらけの無事な日々を生き、何事も無いかのように全てが無くなる。
今回の歌は東京への新幹線の車中で詠んで、徳川美術館の売店で購入した絵葉書に記して東京駅構内にあったポストに投函した。見出し画像はその絵葉書。「柳に蹴鞠文唐織」とある。
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