消化不良のひとりごと
観劇記録 新宿梁山泊 第79回公演 唐十郎初期作品連続上演『愛の乞食』『アリババ』
花園神社境内 特設紫テント 2025/6/27
もちろん安田氏目当てです。
でも推しの芝居って、観るの怖いんですよ。
2016年夏、京都劇場に意気揚々と観に行った佐々木蔵之介主演「BENT」。画面で隔てられていない少しの距離の先に違う世界を広げられたんだけど、突然歌い出したり踊り出したりしない。それは私がいる世界との境界線をぼやけさせてしまって、「芝居を観る」んじゃなくて「芝居をしている人を見た」の。寒いったらありゃしない。こんなことがあってから舞台はミュージカルかコメディ、それ以外のお芝居は画面越しにしようって決めていたんです。
あとね私にとって、板の上の役者は「役」でしかなくて、そこに私の「推し」は生きていないんです。
だから去年の安田章大主演舞台「あのよこのよ」申し込まなかった。実を言うと一般発売ちょっとがんばってみようかなって思ったけど、発売開始日を失念していました。でも私が観たいのは浮世絵師じゃなくて安田章大だから、ライブ行きたいぜライブ、みたいなこころもち。
だからこそこの公演が発表されたとき、なんとしてでも紫テントに行かなきゃって思ったんです。劇場じゃないテントという空間に。唐十郎がなにかよく知らなくて。ちょっと調べて。私が観たい芝居がそこにある気がしたんです。アングラ演劇というはじめましてワードを調べたら出てくるのが唐十郎、寺山修司…寺山修司?サザエさんとマスオさんの性生活から日本の家庭観とか説いちゃうあいつ?それは人間の影を芸文にするやつ。私もそこに触れたい。そのものが好きなんじゃなくて、それに触れたときの自分のきもちの揺れ動くのを感じるのがすき。
寺山修司は文字で読むと、ありふれたものを正面になれない点から鋭利にぐさって、次々刺すから、ときどき置いてけぼりくらっちゃう。でもその先にあるのは無理に着いていかなくてもいい世界なの。へえ唐十郎もおおざっぱに分けたらコイツと同じくくりなの?じゃあさじゃあさテントの中で観る芝居は寒いとかそんな話じゃないよね。きっとあちらから迫ってくる。そんな都合のいい世界が、ある?主演安田章大?板の上に安田章大は現れてくれないけど?でも行かないと死ねないわ。
チケット戦2回の全滅を経て、3度目の正直。一般発売二次。ちょうど埼玉の仕事を終えて、移動日。時間があったからわざわざ花園神社まで行ったら、唐組の赤テントの残骸。悔しさを供養してたらiPhoneが5分後にチケットぴあで戦がはじまるよって。決済画面、はじめまして。勝った。
テント芝居を観れる楽しみと、テント芝居に取り残されたらって恐怖。アンテナを澄ませたくて入れたアルコール。口から心臓出てきそうなくらい動悸が止まらない整列。
すべてを役者がやるテント。この人たちの生活ってどうなってるの。この人たちテントがこれが大好きなんだ。大好きなものがあることって死ぬほどうらやましい。
だってわたしは琉球舞踊がそんなに好きじゃないから。そこにあり続けたから、それを受け入れる選択をしてここまできたようなものだと思っているから。好きなものはとってもたくさんあるけど、死ぬほど大好きなものって落ち着いて考えるとちっともない。
そういえば最近決断するとき人を理由にすることが増えたなあ。人間嫌いなんて言ってた人間が26になったら人間に喜んでもらえるといいなって基準を持つようになるんだなあ。おとなになってからの私は、そこにいる人が好きか大切かでここまで来れたんだ。そこにあるそのものが好きかってあんまり大事じゃなかったみたい。でも羨ましくてしょうがない。
でね、やっと観劇の感想。観たなんてもんじゃないんだけど、そこに居たの。世界がそこにある。私は居合わせているだけ。
開演ちょっと前に降り出した雨がテントをぽつぽつ鳴らして、そんな中はじまる「アリババ」。宿六と貧子は雨が止んだだの、雨のなかを走っただの。どうしよう、おしゃれすぎる。
足、あかい地球、ブランコ。馬。
新宿だ、北千住だ、隅田川だって言うけど、あなたたち、私と同じ線の上で生きてる?お願い、そうでなくあって。これは異世界だ、なんてものじゃなくて、ああ、ここが異世界でないのなら私は救われないし狂っちゃう。
みんな目が違うんだから、誰も同じものは見れない。そんなことはわかってる気でいるんだけど、誰の目に映る世界がもっとも事実に近い?それはきっと目が潰れてしまった貧子さんなんだ。貧子さんであってくれ。貧子さんはいのちを見て、いのちと触れたんだ。そうでなければ世界ってなんなの?はー、気が狂いそう。この振動楽しい。誰が脳みそつねってる?指先の感覚。これは唐十郎の指先。だったらいいよね。
一本足の憲兵さんの写真にこの上ない色気を感じていた「愛の乞食」。一瞬安田氏が現れました。
みどりのおばさん金守珍。魅力と迫力、私こそがこの劇団の柱で、海で、土です。って垂れ流してた。
三国人。そこには私の半分も含まれてる。
どんどん影に惹かれるようになった。影って、そこらにありふれて整えられもせず転がって垢みたいな。垢、ってありきたりだけどいい例え。だからそれこそが命であって、物語なのに。
沖縄ってところは影を光に消化しようとする。陽気な南国だから?それは違う。影の、その闇があまりにも深すぎる、と自認してるからじゃない?その美学に私はどんどん納得できなくなっている。嫌なのよ。
目ん玉ひんむいてよく見ておけよ、おれは己の二本足のつま先からかかとまでのすべてで土を掴んで立ってるんだぜ、みたいなのに憧れちゃうお年頃なんだわきっと。はー何言ってんの。アホらし。でもかっこいいじゃーん。
朝日生命が一本足の憲兵になる瞬間。あの時からだじゅうをかけまわったざわざわがみぞおちに住み着いちゃうかんじ。あれ永遠にやりたい。でもさ、それっていつだと思う?警官を刺した瞬間。右足を刺された瞬間。帽子をかぶった瞬間。それとも、目が見えなくなる瞬間?あの遠い目には何が映る?
どれでもいいんだけど、あの空間には私が持っていないものが詰まってて、いや、ちょっと違うかも。あの空間を構成しているものすべてが私にないもので、それが羨ましくて魅力的で、楽しかった。
娯楽って基本的に頭おかしくて狂ってて理解できてしまったらやばいもののほうが、楽しいじゃんね。
なんだこの感想文。
