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山川健次郎書簡集 明治44年


1月4日 洵宛(飛行機の写真送付願い)

 明治四十四年一月四日 大阪にて
  東京府北豊島郡巣鴨村池袋 山川洵氏宛(はがき)
飛行器の寫眞(フチを取り去り)戸畑へ御送り賜り度候也
  一月四日朝 大阪梅田停車場にて 山川健次郎
  山川洵殿


1月7日 鉚宛(念写実験のこと)

 明治四十四年一月七日 讃岐國丸亀市玉川樓に宿泊同地より自宅に宛てたるもの
去る三日午後八時半大阪着花屋に宿り申候處常次郎○諏訪常次郎尋ね参り候自分が参り候のが如きにして相分り候哉と尋ね候に沼津にて貢○斉藤貢に會候折大阪若くは 神戸に一泊すべき旨相話し候為め貢より常三郎○斉藤常三郎に電報し同人不在に附同人妻態々常次郎方(大阪と神戸との間に在りて神戸の方に近く)へ参り右の趣相話し常次郎依て大阪に参り停車場にて問合せたるに自分が既に下車せし趣聞き及び宿屋所々問合せ遂に花屋に参り候由に御座候参り候とて別に用事あるにも無之氣の毒に候ひきよく日も朝早き(六時半)に係らず大阪梅田停車場に参り候常三郎も同様両人神戸迄送り呉れ候大阪時事の記者も自分が東京を朝八時十分に出発せし由東京よりの電話により之を知り是も梅田にて待ち合せ居りふと常次郎が自分を尋ね居候のを見て花屋に同道遂に此の男は丸亀迄同行仕り候ひき、自分が千里眼実験と云ふ事にて新聞屋大分参り居り頗る遺憾を感じ居候四日午後三時過ぎ丸亀着四時より長尾氏宅にて一應実験候処不成功に御座候ひき夜七時再度長尾氏宅に参り実験(透視)半ば成功候併し東京より持参り候実験物に無之條件頗る不備決して決定的のものに無之候五日午前九時半実験の約束にて参り候處小児氣分あしき由にて空敷皈り昨六日午前実験の約束に御座候ひし處電話にて断り午後に至り夜参り呉れ候様申来り候に附寫眞の実験を仕り候ひしが是は成功せり先方の望により正と云ふ字を認め之を起念し後に此の字を寫眞板に寫すのに候併し此度も條件具備せるものに無之候本日実験の積りに御座候ひしが又々先方より電話にて断り参り候此の分にては大分長くかヽり候かと心配罷在候種々事情も有之疑敷点も少なからず何とぞ判明し度と存候新聞の記す處誤り多し御注意あれ、酒は一晩二合より外飲まず此の二合も宿屋の事なれば計り極めてかろし但し当宿屋は料理屋兼帯にて内藝者十四五名も居る由大抵夜十二時頃迄三味線の音女共のキーキーする聲非常にて困難罷在候昨夜などは隣室(尤も予が室は二間ありて共に八疊次の間の隣なり)にて宴會あり騒尤も甚しきかりき 以上
  一月七日
   健次郎
  おりうどの


1月9日 鉚宛(念写実験のこと)

 明治四十四年一月九日讃岐國丸亀市玉川樓にて
一同無異の事と存候自分も無異に候間御安心賜り度候昨日は彌々本実験(是迄は云はヾ予備的ものなり)に取りかヽりなるに異外にも助手を無し呉れ居り候人の手落にて空箱を持参し郁子に見顕はされたる姿に相成甚だ遺憾に御座候新聞などにも予がことさらに空箱を持参せし様書き候半と存候が氣にするに及ばず候、昨日の実験は中止する事に相成候が大に得る所あり問題解釈に少し目鼻がつきたる様存候但し委敷事は差当り申上兼候只意外な事があるものと驚き申候理科物理の連中理學士藤(大學の講師)同藤原(是は池袋に参りたる男)同小野、又理科の雇関戸某等手傳呉れ候自分ひとりならば非常に困り候半の処是等の人々の助にて大に便利を得申候昨夜は東京京都より出張せる學者並に新聞記者(予が実験すると云ふので記者大分当地に参り申候)を重なる市民が亭主となり宴會有之候藝者手踊などあり平生の主義にも及し迷惑仕候但し一時間許にて退座いたし候、當地滞在は或は猶數日を要し候半と痛心仕居候皆々によろしく留主中頼候宿屋の女中は高松の場合の如く氣がきかず朝は遅く困り申候 匆々
  一月九日
   健次郎
  おりうどの


1月10日 鉚宛(念写実験中止のこと)

 明治四十四年一月十日 備前國岡山市三好野花壇にて
過刻停車場より電報遣し候通り今夕当地着仕候先書には丸亀滞在長引き候半申遣し置候處突然にてお驚きの事と存候実は長引き候覚悟に御座候ひし處八日の実験にて中止と相成候次第に御座候萬朝の記事一番たしかかと存候併し早き方にては報知ならん是も次にたしかかと存候此の二つの記事は大抵間違無之やに想像せられ候記事の裡面に変に思ひ候事有之妙に御座候が今回は藤理學士(是は三十八年物理の卒業にて理科の講師)藤原同上(是も四十二年物理卒業出発前池袋に参りたる男なり)小野理學士(四十二年物理卒業第五高の教授)関戸某(理科の助手)右は何れも官命を帯びたるに無之云はヾ期せずして相會せしにて皆自分の命令により行動いたし候尤も學士の人々の献策を自分は皆用ひ候次第にて新案は多く藤理學士の考へより出で申候只理學士連は皆若く候間今村とか福来とか博士の学位あるものに対しては世の信用も薄く候間自分の考へを実行し難き傾き有之候処自分罷在候事故若き連中も大に力を得候様存候委敷事はき皈京の後お話可申候が新聞以外の事は子供達他言せぬ方宜敷候明日午前十時何分かに出発戸畑に参り候積りに候 匆々
  一月十日午後六時半
   健次郎
  おりうどの
二白今夜は寒く候間二本飲み申候無論四合は無之候間御安心あるべく候酒後寝る前に記す
留守相頼候
皆々にも宜敷留主頼候旨可被申候


4月7日 鉚宛(兄弟のこと)

 明治四十四年四月七日 廣島市長沼旅館にて
昨夜は大阪花屋に止宿し電報差出し候ひきお落手の事と存候始めは若松屋と存じ参り候處普請中なるにより花屋へ参り候花屋にて例の如く空き間なき由にてお氣の毒の百ぺんも並べ立てあまりきたなくはなき四疊半に通し申候扨酒も済み(酒は内にての大凡半分なりお安心あれ)候て床を取り呉れ候様申候処間があきたるに附そこに床を取りたれば参り候様申候しかし四疊半にても別にむさぐるしきと申にも無之候間それにて宜敷旨申聞候へ共承知不仕候に附参り候処上の間十一疊、壱間半の床あり次の間六疊机置き物等すべて極めて立派に御座候毎度話し候通りの儀に候間及つて迷惑に存候今朝六時半の汽車にて大阪出発いたし候豫てお話し置候通り馬関に宿し候考に候ひしが馬関着は夜八時半にて風呂もよごれ居候間寧ろ当地に止宿し朝七時半過ぎ下り急行有之候間之に乗り候へば福岡へは午後五時何分かにつき得べきにつき左様いたし候次第に御座候ひき大阪よりの車中に医學博士吉村喜作と申す人に出會申候是は当地の縣立病院長にて過般来東京に医學會ありしにより参列し皈りがけの由就ては案内すべき由にて長沼旅館迄送り呉れ其の上(予が風呂につきぜいたくあるにより廣島へは三時につくと何の気なしに話し候處)風呂につき注意すべき旨命ずる等甚だ親切に致し呉れ候尤も当旅館とは豫て心安き間柄の由に候当旅館にては上の間十二疊半次七疊半西洋館内に疊をしきしものに候器具等すべて立派にて当家第一の座敷かと存候
海田市と申す処にて徳積重遠下婢いたし拙生を窓の外より見附話し申候昨日三時半の汽車にて参り候由なるが同人下車する迄双方にて知らずに居り申候洵様もお目出度など申候同人は弟が呉に居るに附参るにより下車せる由申候大阪を出で候より倉橋が居るかと存じ給仕に申附見せ候へ共見當らず専門學校の生徒両名居り候にも托しさがし候へ共見当らず或いは乗り後れ候には無之哉など考へ居り候が福山にて停車場出口に参り候處同人今出候処に御座候ひき拙生明朝七時四十五分かの汽車に乗り候積りなれば同人も其の車中に居る筈につき同行すべき見込に御座候 洵夫婦も其の後変りなき事と存候洵を大切にいたし候様良子にお申聞被下度候兄弟の仲の悪しきは兎角我侭より起り候ものに附之を慎む事何よりに御座候又物の争は多くは双方に一理あるものなれども争論する時は先方の理少しも見えず己の申し分のみ尤もに被考候ものには候がそれは悪しく何事にても兄弟は互に譲歩し先方多少の無理ある様思はれ候も我慢すべし後にて考ふれば其の多少の理あることを発見するものに御座候兄弟仲は譲歩と申すものが第一に御座候拙生と兄上様などの間柄の完全なりしは是が為めにて拙生も譲歩し兄上も譲歩いたされる為め御同人御生前中一回も争ひたる事無之候是は争の起る前に互に譲歩したるによる為めに御座候この辺洵始めによくお申聞被下度候出発前に話し候考の処遂に失念仕候
いつも汽車に乗れば誰か知人に會候が此度も第一に古川源次郎(名古屋に趣く由)上田萬年(仝上)曽我祐準(國府津)添田壽一(京都)支那に行く正金銀行の役員(支店長か)三浦某と申すを鍋倉直(正金の重役かに候)予に紹介候鍋倉は開成校に居りしものにて芦の湯にて會ひ候事も候ひき、又同人三井(?)の三村と申すに紹介いたし候これは三井銀行の支配人かと存候京都に行く由、静岡に行く由にて樺山愛介にも面会し青森にて予に面會せる人の由にて今度京都に轉任せる旨申候人予に挨拶いたし候が其の姓名何分思ひ出し兼候て分れ申候氣かヽり候へ共何とも致し方無之候勿論全く見覚えなき人に候
名古屋より乗り候一人の紳士有之候が其のぜいたくには驚き申候益し成金と存候先づ胸ボタン指輪に眞か偽か不存候が大豆の大さの金剛石をはめハンカチフは二つ所持し居候が一つは只の羽二重に候へ共他の一つは羽二重に縫取(刺繍)せるものに候靴下は絹、カバンの金具はすべて金色に候ひしが思ふに金きせかと存候洋服は別に致し方無之故か普通には候へ共或は拙生などの氣附かざる奢り有之候事と存候是を見候へば松本氏や安川清三郎氏などの質素なるには感心致し候呉々もぜいたくは身を亡し國を危くする基に候間慎むべき事に候此辺皆々によくお聞かせ被下度候 匆々
  四月七日
   健次郎
  おりうどの
過刻(三時頃)給仕に托し当地より電報差出し候が届き候事と存候郵便物は差当りお開封の上返事を要するものは留主中の旨お答置き被下福岡へお遣し被下度候西洋雑誌手紙は附札にてお廻し被下度候


4月8日 鉚宛(栄屋旅館について)

 明治四十四年四月八日 福岡市橋口町榮屋旅館にて
四月八日廣島を発す、元来廣島には廣島駅と己斐駅とあり南駅宿屋より殆んど同距離なるにより前日は廣島駅より下車したるが本日は己斐駅にて乗車す、倉橋車中に在り、車中に村田保(貴族院議員にて昔の馬乗仲間なり)あり福岡に於ける罐詰業者の大會に出る由(彼は斯業の先覚者なる旨話せり或は然るかも知れず)同人着福の後榮屋に宿せり
榮屋にては予が部屋、次に長四疊外に倉橋が部屋あり、御家来随從なる故か萬事丁重にて從来と違ひ甚だ困り候重宝には候へ共反て從者なしの方が即ち從来の如く書生式がよかりしかとも存候附ては小さな家でも借り候て住み候方入費も少きかと被存候何しろ殿様然たるには困り申候自分風呂のぜいたくを嘗て森に話し候事有之候ひしが其の為か從来用ひざる(と考ふ)狭く餘り立派に無之風呂場に新しき角風呂を作り置き候自分着候と風呂がよごれたらはいらぬがどうかと申候へばたれもおはいり無之今あき居候とていれ申候実は五時半の着故風呂はよごれ候筈と存じ昨晩はいり候間今夕ははいらざる積りに候処右の次第故甚だ心地よく候が餘り殿様然たるには我が身ながらあきれ申候着福早々新聞屋来候 匆々
  四月八日
   都々平久子
  おりうどの


4月9日 鉚宛(洵夫婦について)

 明治四十四年四月九日福岡市橋口町榮屋にて
先書にも申遣候通り当宿屋は餘り丁重過ぎ殿様然たる有様にて少々閉口仕り候昨夜宿の主婦参り注文承り度由に附外の事は何もいらず只風呂丈けは成るべくよごれざる内に即ち一番に入り呉れ候様頼候処新調の角風呂は先生の為めに作り候ものに附必ず人の入らぬ先にお入れ可申旨に御座候間他の人の入り候風呂は別に有之候事と存候実は大宿屋に似合はざる小さく且つ立派に無之湯殿に附是迄は使用せざる湯殿に有之候ひしものに候半と存候
拾疊が自分居間長五疊の入りの方には荷物など置き申候タヽミと書きたる所に茶道具有之此所にて倉橋沸し冷しなど拵申候倉橋は六疊に居り粗末ながら朱檀の机などに向ひ隙の折勉強いたし居候二階には候へ共直ぐ下に便所有之候間都合宜敷候間御案事被成間敷候前文の次第にて餘り丁重過ぎ候間長居は致さヾる方宜しからんと存じ候に附本日家の事板根◯事務官に頼み申候

御自分等被参候迄は小くとも宜敷と申候が猶考へ見候に又々移り候も面倒にも有之候間家の都合次第に致すべくと存居候今日は日曜故大學へは不参候が板根御用書類持参致し候間夫々かたつけ申候明日は始めて大學へ参り候考に御座候然るに明後十一日には専門學校にて始業式候由にて呉れ候様申参り候間戸畑へ参りチー公に会ひ候半と樂み居候其の折は倉橋同道いたしチー公に近附にならせ候積りに御座候
内の事何分頼み申候前文にも申候通り兄弟は互に讓合候事肝要に御座候間洵始めにお申聞被下度候大人をつかまへ申候は甚だ干渉がましく候へ共洵には研究研究一点張にてそれのみ一意専心致し候様仕り度候且相済まざる大事には格別其の他は内わにいたし度ものに御座候憲は學校の書以外餘り読まざる方宜敷候且勉強専一に存候建は學校の書勉強するは勿論に候へ共ボール以外のものを読みても宜敷候良子には洵を大事に致す様お申附賜り度候心の底より出し候大切に御座なくては何の役にも立ち不申候間其の辺呉々もお申聞被下度候又洵にもよく良子をいたはり候様お申聞被下度候洵も妹を可愛がり居り候通り良子の兄も其の通りに可有之候間其の辺可察き事と存候 匆々
  四月九日
   都々平久子
  おりうどの
二白 序の節下駄を送り賜り度候


4月10日 洵宛(検定書類のこと)

  明治四十四年四月十日福岡にて
  東京市巣鴨村池袋 山川洵氏宛(はがき)
八日附の御書正に令被見候検定書類は百味箪笥の検定と云ふ引出か或は他の引出に御座候半間掛の人へ御渡し被下度候 匆々
  四月十日 福岡市榮屋 山川健次郎
  山川洵殿


4月17日 洵宛(引越しの連絡)

  明治四十四年四月十七日 福岡にて
  東京府北豊島郡巣鴨村池袋山川洵氏宛(はがき)
十五日の消印ある葉書只今落手仕候植木屋の事は命し候而も宜敷旨過日申遣し候ひしが手紙延着と存候明日比福岡市外春吉六番町と云ふ所に引越しの見込に候
  四月十七日 榮屋 山川健次郎
   山川洵殿
電信用語符号表は此方より電信いだし候折見合せの為め御地に取り置き賜り度候


4月13日 鉚宛(佐代子家族のこと)

 明治四十四年四月十三日 福岡市榮屋旅館にて
九月十日附のお文(良子の書面在中)正に令被見候皆々無事の趣珍重に存候樹木植附の件お申遣しの通り

図の如く百四十問與三郎にお命じ被下度候一昨日倉橋召連れ戸畑に参り候急行は一時間半なるに普通のは三時間かヽり少く意外に御座候ひき千枝子は益々ふとり丸く相成候おみやのたもとある着物をば大に悦び候様に御座候すヾ子も相変らずおとなしく誠に手のかヽらぬ子供に御座候
寺野が自分に何か云ふとか申すこと兼てのさよ子の手紙有之候ひしが何も申さず候間御安心被成度候本日宿屋の亭主案内にて家を見に参り候が小き家壱軒有之候間是に極め候半と存候十疂、八疂、四疂半二つ三疂二つ台所湯殿きりにて少しく陰氣に有之又庭も皆無と申し候ても宜敷様なる所に候へ共御自分等参られ候節はどうせ別に見附候必要有之自分と倉橋下女住居候には充分に御座候電灯瓦斯も引き得る由に候間先づ之に極め候半と存候が未だ確たる事には無之候
兄弟仲よく致候様洵は良子をいたはり良子は洵を大切にいたし候様能く能く申聞賜り度候又舅姑兄弟どもに對する道召使に對する法等能く叮嚀に親切にお教へ賜り度候宿屋より電車へは壱町ばかりに候当地の電車は均一制度に無之一區何錢とか極り居候に附百區乗りの分整へ候處金壱円六拾五錢に御座候宿屋に近き所より大學前停留場へは二區に御座候間三錢三厘の割にて参られ候次第に御座候尤も右は医科大學の事に候が本部は当分医科大學内に置き候間都合宜敷御座候工科へは医科より十町程東に御座候が追々は電車も工科の前迄も出来候由に御座候
自分晝の辨当は病院より取候が附添人のは一食六錢の由自分には二回分即ち十二錢のを持ち参り候総長たるにより特別にいたしたるかの疑有之候間調べ候積りに御座候餘りに立派なるものに御座候吸物(鯛の切り身、椎茸、菜)刺身、ぬた、うまに(鳥、焼豆腐、ねぎ)香物にて器はすべて陶製に御座候爰にては東京と違ひ官にて賄いたし候間請負の場合とは請負人のもうけ並に金利だけ安くなれる勘定故或は特にしたるには無之かとも存候今日は是にて止め申候 匆々
  四月十三日
   都々平久子
  おりうどの
二白千枝子におぢー様と福岡に参らぬかと佐世子申候處おほうびさへ下さらば参ると申候由にくまれ口をきヽ候様相成候間むらは勿論けいもすヾ子の方ひいきの由に候


4月15日 鉚宛(憲の進学先)

 明治四十四年四月十五日 福岡市榮屋旅舘にて
十二日附の御書正に令被見候憲が徴兵猶豫の件も済みたる由一段の事に候憲の入るべき學校につき種々考へ候へ共何分よき考も無之兎も角も水産講習所へ願書差出し候由併し御申越の通り漁撈料は到底身体が堪へ申間敷と存候製造料にては本人が承知なら入り候も宜敷候が当人がたつていやと申なら是は見合せ候外無之と存候高等學校も一部文科なら入り候事も或は出来候半が是は兼てもお話致し置候通り考物に御座候洵等と篤と御相談被下度候文部検定の書附の事は先便に申述候 植木屋の事も同断 良子の性質温和のよし何よりに存候洵を大切にし家の為めを思ひ候様お申附賜り度倹約と云ふ事をよく考へ候様いたし度候夫婦仲睦敷は何よりに御座候兄弟仲も至つて宜敷由満足に存候互に遠慮して相譲ると申す事が家内和合の秘訣に候間能く心得候様お申聞賜り度候
先便申上候家は六ヶ月借用の事申込候へ共一年ならでは困ると申すことにて破談に相成候今朝又々家見に参り候處別紙圖の如くに有之候是も一年ならでは困ると申候に附無拠一年の事に約定候積りに御座候勿論自分九月に被参候ても家を見附るとか建るとかどさくさする内には半年位は直ぐたつ事と存候前(ゼン)の家では御自分被参候はヾ到底狭くて間に合ひ兼候が今度のなら狭くとも少々がまんすれば何とか致し候事出来候半と存候間借受け候事に極め申候電灯と瓦斯とを引き候考に御座候家賃は廿六円とかに御座候憲建も勉強し居候由悦ばしく存候兎角人間の出世は勉強に御座候洵にも研究怠り不申様能く能くお申聞賜り度候良子に何事も御自分を見習候様お申聞賜り度候室の種子物に一日置き位に水をくれ候様いたし度候二寸位にもの日候はヾ相当の處へ植替候様夘之助にお申聞賜り度候いちごの畑に藁を敷き候様是又お申聞被下度候添地の天門冬は取り食べ候ても宜敷候植木草花等の有様お申遣し被下度候
高等女學校長中垣と申す人参り候に附照子の事委曲頼み候處何とか可仕と申候間九日にても照子同道被成候はヾ何とか致し呉れ候に可有御座候右の次第に附演説いたし呉候様被頼無據承諾致候兎角子供の為めには面倒いたし候事に候
引越につきて榮屋の主人大骨折に候家を見附又談判する事より水風呂食器の購入下女を見附候事電灯瓦斯會社に掛合候すべて致し呉れ至極重宝に存候同人の話に家を建て候へば一切にて坪五十円と六十円との間のら出来候半との事に候電車の西極点地方は電車出来ざる前は地所五十錢より壱円位なりしが今は五六円に上げ候由に候五円と見候ても五百坪にて二千五百円家屋五十坪とすれば(坪五十円)二千五百円と相成り総計五千円を要し候儀に有之候間一寸考へものに御座候先は匆々
  四月十五日 都々平久子
  おりうどの
二白都々平久とは昔支那にて論語にある郁郁乎文哉(コトシテナルカナ)とあるを、都都平久と讀みしと申す事有之候が自分昔本を習候長坂先生と云ふ人の詩に都々平久枉(マゲテ)稱レ師トと有之郁々乎文を誤りて都々平久と云ふ位の無學の者が先生と称して居ると云ふ謙遜の詩に御座候自分の境遇に顧み自分都々平久子と称する積りに御座候


4月17日 鉚宛(谷干城の死亡記事の真偽確認)

 明治四十四年四月十七日 福岡市 榮屋旅館にて
十四日附の御書正に令被見候一同無異の趣珍重に存候当方自分も無事倉橋も誠によく氣が附働き居候間御安心ありたし當人に都合よき學校二ヶ所候が到着早々にていそがしく何れに致す可き哉未だ極め不申候同人國民中學會とやらの獨學雑誌買度旨につき建様に願候様申聞候ひしが手紙差出し候事と存候先日戸畑に参り候時千枝子は倉橋の事を袴をはいた人と申してよく遊び申候夜は例の如く自分酒たべ候そばに臥り申候、平生はひどくしやべり候へ共自分には氣つまり候為めか餘りしやべらず且又おぢい様がおいでになるとて二三日前よりよほどおとなしく相成候由に候照子同様自分が申す事をへいへい聞き候ものヽみ友達にいたし他とは交らぬ由に候安川の子の七つか八つばかりのがよく千枝子の云ふ事を聞き候により仲よき由に御座候、客座蒲團至急お送賜り度候前便申候家は彌々借り候事といたし昨日井戸替、大掃除為仕候が未だ電灯無之為今日引越しと申すに至り兼候風呂も注文候が二十円位と申す事に候種々物いり無據候昨日谷が歿し候新聞有之候に附新聞社に猶確め候處彌々間違なき由申候間哀悼の電報相発し候に本日に至り他の新聞の云ふ所にては訛傳なる由果して如何かもし訛傳ならば困つた事を致し候と存候、若し同人死去候はヾ金参円香料お贈り被下度候本家よりは拾円位贈り候事に仕り度と存候口唇は殆んど直り候間御心配被下間敷候当地昨今は冷氣に候間先づ持病の恐も当分有之間敷候着任早々にて演説やら来客やら忙しく退屈どころに無之候
家内皆々睦敷由是は何よりに御座候盗人にも三分の理と申す諺有之候ごとくめいめいの申すことには多少の條理あるものに御座候己れの申す事が條理のみ相手の申分は全然無理だと考候時も後に至り能く考ふるか又は局外者より見れば双方五分五分位のものに有勝の事に候間全然道理と思ひ候折も讓り合候が必要に御座候家内和熟は人生幸福の最大なるものにて金錢權威にも代へ難きものに候間皆々篤と考へ候様お申聞被下度候良子も少々加減あしかりし由大切にいたし候様お申聞被下度候胃があしく候はヾ今の内に相当の手当いたし置き候様仕度候慢性に相成候ては一生の不為に御座候青柳にでも見て貰ひ候様致し候ては如何、家を持ち候に附きては当宿屋の主人夫婦非常に骨折り呉れ候家も自分は六ヶ月の期限としたしと云ひ家主は一年と申すにつき(結局一年で借り候事には仕り候へ共)主人が自身にて一年借り六ヶ月不用になり候ても誰かに貸す工面可有之と先方へ拙生電話にて一年でもよき旨申遣し候前に約束候由に御座候不自由なるもの何にても貸し呉候儀申出候が餘り借り度は無之併し鍋釜の如き購入候も金氣(カナケ)ありて直様用を為さヾるものは借り候より外有之申間敷と存候下女も大いに拂底に候が宿屋出入のもの候由にて一人有之候由に候処年は三十二と申すことにつき餘り若過ぎ候間も少し年寄りたるものさがし呉れ候様頼み申候桂庵へ頼めば或は有之候半もお留主居を致し候場合も可有之候間何とぞ身元の能く知れ居るものをお世話致し度と申居候。昨日出羽重遠訪ね呉れ候御名代の宮様馬関お着につき御機嫌伺に参り候途の由にて昨夜当地に一泊仕候大抵の人は当宿屋に泊り候が海軍の定宿みた様な何とか申す宿屋に泊りたる由に御座候
草花等の有様時々御報告相願候憲の病もよき由悦ばしく存候皆々に勉強候様お申附相願候ホバー水戸に参り候由一段に存候留守宜敷頼み候皆々に宜敷 匆々
  四月十七日
   平久子
  おりうどの
 二白御自分九州下りの後はさびしからんと良子案じ居候由尤に御座候何とか仕度候へ共さし当り名案も無之木材のあがり候折柄故当地にて普請はさし当り困り申候


4月18日 鉚宛(引越し後の様子と今後の予定)

 明治四十四年四月十八日 福岡市外春吉六番町にて
十六日附のお手紙只今被見候御地一同無異且萬端都合宜敷由満足に存候洵も娵氣に入り候様子の由何よりに御座候今後も一同注意し一家和合候様能く能くお申聞の上お取計相願候一家の不熟程不快なるものは無之候間皆々深慮候様仕度候本日当宅へ引越し申候が今に(午後四時)電灯出來ず例の通り請合候期日まるで當にならず困り入候
榮屋より(自分等方面に働きたる)女中二人参り働き居候上男一人朝より働き居り候家に使候女中は未だ見ず候が五十ばかりの由是なら疑のかヽり候事も有之申間敷候間御安心被下度候夏中出京の節は倉橋と両人にて留守させ候積りに御座候倉橋は誠によく氣がつき且骨惜み不仕候間非常に重宝に御座候榮屋の拂三十円餘茶代二十円外に女中に五円(三人分)先つ相当かと存候
過日辨当の事申遣し候ひしが如何にもへんに候間病院へ参り候辨当屋一軒有之候に附是より取り候事と仕り候從來公私混合にて不都合なることいたし候人も候由に御座候間自分はどこ迄も潔白にいたし候必要有之と存候辨当の事は些少の事に候へ共取換候事に仕候坂根事務官は非常によく働き呉れ以前丸山を使ひ候眼より見れば実に雲泥の差に御座候其上両學長も至極の適任者にて誠に都合よろしく存候但し本年度の豫算は文部省にて作り候ものヽ由に候がノホラン極まるものに有之これには少々当惑仕候
去る十五日には教授助教授に演説致し二十二日には生徒一同へ訓示演説致し候積りに候二十三日は端艇會有之候由次の日曜(三十日)には例の中垣高等女學校長の依頼にて演説候積りに候其の次の日曜は戸畑にて運動會候故参り候都合に御座候佐賀縣の教育會と何やら會が連合會を為すから来て演説して呉れと佐賀師範校長参り依頼候が猶考候上(断り候へ共聞かぬ故)答可申と申置候が断り候積りに御座候人に演説を頼むのを何とも思はぬノホラン共には困り申候一演説いくらと金でも取り候へばよく候半実にうるさく存候照子の學校の事も過日申遣し候通り中垣氏に委曲相依頼し同人も何とかすべしと申候間九月参り候てまごつき候様なる事は有之申間敷と存候申す迄も無之候へ共洵には研究を怠り不申様又憲建には勉強候様お申附被下度候横尾より手紙参り候(例の如く長し但し読み終り申候親切に憲建今後の事につき心配致し呉れ候)が別に返事不遣候間宜敷お申傳被下度候
只今電灯會社のもの参り候間是れにて今晩くらやみの難は免れ申候世帯道具一通り買候間入費もかヽり申候
戸棚、飯台(是は一人前故四人ののがなきかと尋ね候處なき由にて無據求め申候)火鉢二つ其他に御座候座蒲團は榮屋より三つ貸し呉候が長く借り候も好ましからず候間可成急にお遣し被下度下女の夜具も貸し呉候が是は至急拵候考に御座候
先書にも申遣し候通りイチゴにはもはや藁を敷き候て宜敷候半と存候添地の天門冬は取りて宜敷候新地の分は本年は取りては不宜候室(ムロ)に蒔き候種ものは(コスモスは自分出立前発芽を見候ひしが)其の後如何に候哉むろのダリヤの分は二寸位にも延び候はば新地の何れか(植え候様お申附被下度候当地は両三日來寒く相成特に今日の如きは大學に於て自分の室内にては外套を着し居り候位に御座候が其の内にはかに暖かに相成候事と存候面の方は充分注意候間御安心ありたし自分健康は極めて宜敷候間是又御案じ被下間敷候徳治先日参り煙草をやめ候由にて煙草盆持参し呉候へ共自分は東京より持ち参り候事故今に其侭にいたし置き申候徳治で思附候が百合は芽を出し候哉芽を出し候はヾいくつ位出し候哉お申遣し被下度候留主の事何分頼み候皆々にも頼み候旨お申聞け賜り度候 匆々
  四月十八日
   平久子
  おりうどの


4月21日 鉚宛(維新史料編纂局設置理由)

 明治四十四年四月二十一日 福岡市外春吉六番町にて
十八日附の御書並に葉書昨日落手御地一同無異の趣珍重に存候当地自分も甚だ健康に候間御安心賜り度候木を植え候距離の事昨日早速電信にて申進じ候ひき垣より一間はなし植候様仕度候自分も極く忙敷と申すには無之候へ共何分創立の際の事故当地を離れ難く過日一回戸畑へ参り候のみにて其の後参り候事出来不申候今後も四五日は六ヶ敷事に候半と存じ候間お申越の十八円は過刻郵便為替にて差出し申候乳母車の十八円は少し奢りの沙汰に御座候
且つチー公は重くて乗れ不申候半と存候榮屋滞在中宜敷味噌一回出せし事候故赤味噌と申し買はせ候處事の外宜敷御地のものと殆んど変り無之候これにて見れば九州にも味噌の上品有之候が人のすかざるにても可有之かと存候来月はメンデンホール来朝候趣に候間一寸出京し度と存候月日の処は現今問合中にてしかと判り不申候が多分中旬頃と存候其の後一旦皈り六月には皈京候事と致し度存候豫算其の他の事にて色々仕事は有之候へ共是もそれぞれ申付けいたさせ候事にて餘り多忙には無之も申付候事出来次第其のあとあとと申付候事も候故留守に致し置候事難成いそがしく隙だと申す様な有様に御座候大鳥が「だきけ」つき候由にて卯之助十ばかりだかせ候由鳥は大きく時候も暖かにて候が十は少し多過ぎ候半と存候併し先つ其の通り致させ置き可被成候添地の天門冬は取りて食べ候て宜敷候室(ムロ)の種物には一日置き位に水を遣り候必要有之候

其の有様お申遣し被下度候上の如き番號に候間控の雑記をお見被下候はば其の何たるか判り候に附横様お申遣し賜り度候新地天門冬は芽を出し候哉、良子も至極從順の由実に仕合に候間猶能く能く御教訓賜り度憲建も言行を慎み居候由誠に悦ばしく存候何卒是も永つヾき致候様仕度候洵も遠慮致し居り候由是も一段に御座候良子をいたはり又弟共を能く取扱候様お申聞被下度候 研究を怠らざる様希望致し候憲建もよく勉強候様いたし度候居間の床の間に掛物無之候間カズヒラの書き候かぶの掛物お序の節お送り被下度候是にて思ひ附候カズヒラは其の後便有之候哉高嶺の披露はさぞぜいたくに御座候ひしならん
別紙池田の手紙お目に掛け候今度文部省に於て維新史料編纂局を置きたるは京都守護職始末を見て長岡の元老共が狼狽して始めたる結果なりと大隈より池田が聞きたる由につき別紙の如き手紙に御座候それにつけても人の信用は大事なるものに御座候守護職始末に在り候事の大体は外の書にも候が亡兄様御著述と云ふので元老輩も氣にいたし候ものと見え申候是を見ても信用の大事なることを会得候様子子供にお申聞被下度候 匆々
  四月二十一日
   平久子
  おりうどの


4月22日 鉚宛(植木を買いに行ったこと)

 明治四十四年四月二十二日福岡市外春吉六番町にて
十九日附の御書昨日落手一同無異の由目出度存候座蒲團は可成早く其折人造肥料二合許りお送り被下度候レナンキュラス(西洋艸花)一鉢求め候間之にくれ度存候新聞の模様では谷も案外持ち候が到底回復の見込なかるべし國家の為めをしき人に御座候歯は忘れたる如くさつぱり致し候口唇は今に少々いたみ殘り居候藥は参り居り候が兎角つけ候を怠り勝に候家内も至極和熟致し居候由結構なる事に御座候併し猶注意いたし候様お申聞賜り度候
松櫻等を植え附候にテニスコートの處は子供達困り候はヾ植えずとも宜敷其の辺は便宜取扱はれ候様致し度候フリジヤ、カンナ(カンナは本年買ひ候ものフリジヤは昨年の根)北地帯に有之候処発芽候哉ツリトマ(東地帯)は如何庭園の事委敷お申遣しあれ、戸畑へは送金見合すべき旨に御座候處昨日既に送金いたし候当地にても何の彼のと実に意外なるもの入りに御座候当地は海岸砂地の為めなるべくほこり少く東京と比べこれは誠に心地よく御座候体のよごれ從つて少く水風呂参らず候間去る十八日引越しより今に湯に入らず頗る氣味わろく候が前申候通り御地程は垢たからぬ様覚申候当地は御地より四五十分遅く夜あけ申候一般に寝ぼうに御座候一昨日倉橋をつれ朝六時頃(太陽出て候後)花を買ひに参り候処植木屋未だ見世を開かず(寝泊りする処にあらず)人居り不申候に附空しく皈り申候近所の家も半分は未だ寝て居り候様子に御座候宅の前通りも夜遅く迄人通り有之候が朝五時頃はまるで人通り無之候誠に寝ぼうなる地方に御座候倉橋の學校もいよいよ極め申候耶蘇夜學校にて英學、漢學、數學を教候処の由に候 匆々
  四月二十二日
   平久子
  おりうどの


4月23日 鉚宛(福岡の家から大学までの交通について)

二十日附の御書昨日落掌一同無異に御座候由満悦に存候自分儀何の変りたること無之候間御安意有之度候
座蒲團相届き申候又天門冬小包にて送り賜り昨夜は「ひたし」にし今朝は汁の實にいたし賞味仕候はるばる送り候は無駄に候間今後は止め賜り度候下女は今居り候は五十の由に候が家内に病人あるやにて下り度と申居り候代りは四十ばかりのがあるとか申居り候婆にても給金は四円位の由に候据風呂昨日持参候角風呂(子持)にて立派なるものに候間二十円ばかりの由に候専門學校の責善會へ二十円医科大學の学友會へ二十五円寄附いたし候本日は医科の端般競争候間参り候積りに候宅へは引越しの当日より電灯参り候へ共瓦斯は未だ引き呉れ不申火の用心には瓦斯がよろしく候間是非引き度と存居り候宅より電車迄六町許電車に乗ること十分位にて大學前と云ふ停留所に達し其処より大學門迄一町足らず門より本部迄壱町許に候道路は修繕行き届き居候次第には無之も砂地故池袋近辺の如き事無之様被思候電車は東西一本にて其の間を六區に割り置申候各區の間に外に停留所二三有之候賃錢は一區毎になり居り候例へは自分は宅より出で候て最も近き停留所は西中州と申すに有之候是は縣廰前と呉服町との間に有之候就ては縣廰前より大學前まで即ち二區の賃錢相拂候一區百回分壱円六拾五錢

(通行税共)の回數切符を買置き候間回數切符二枚を出し右中州より大學前迄乗車候事にいたし居候
一昨日より電話取附候處倉橋が差図にて同人のせいの丁度よき様取りつけ申候間自分の胸位の所にあたり申候 勿論倉橋が始終電話へかヽり候事故其の通り致し置候不自由ならんと種々御心配に候が不自由は元々覚悟の前の事に候間左程感じ不申候御自分の参られ候後も少し廣き所でも借り候はヾ不自由も有之申間敷少しの間の我慢に候今の家は借りては見候ものヽ十疊を居間に致し置き候間居間と客間と兼帯にて甚だ都合あしく候六畳は陰氣の所故居間に適せずさればと申して之を客間にするにも不適当に御座候御自分と照子と参り候はヾしばらくは無據候へ共到底長くは居り候所に無之候(春吉は住吉村の一部に候が)同じ住吉村の内に或る物持の別荘有之候由是は眺望も宜敷庭も廣く家も廣き由に候て家賃は五十円の由追ては之にでも(あいて居るなら)入り候外無之かと存候
今日は是にて擱筆仕り候 匆々
  四月二十三日
   平久子
  おりうどの
二白皆々に宜敷留主頼み候
下啓助の子息死去候由新聞に見え候が実に氣の毒の事に御座候自分より悔み申候様洵より申候様御申聞賜り度候


4月29日 洵宛(本当の送付依頼)

 明治四十四年四月二十九日 福岡にて
 東京府北豊島郡巣鴨村池袋 山川洵氏宛(はがき)
無事 百味箪笥の右側下から四番目辺の引出に仮名遣に関する薄き本三四册可有之候間至急御送り賜り度候
  四月二十九日 福岡市外春吉六番町 山川健次郎
  山川洵殿
二白昨年高松で演説せし時の原稿も御さがし被下是又送り賜り度候、埼玉縣浦和にてのも


5月3日 鉚宛(憲の進路について)

 明治四十四年五月三日 福岡市外春吉にて
 東京府北豊島郡巣鴨村池袋の令夫人宛
五月一日附の御手紙落手皆々無異の趣一段に存候又仮名遣一件書類入りの小包も着仕り候浦和の演説筆記持参と存候が見え不申候につき申遣し候併し高松の演説参り候間もはや其必要無之候電信の御返事なきも判り申候自分持病のきざしは少しも無之健康申分無之候入歯も別に拵へ候必要無之候間御安心可賜候今は外に抜け歯も無之候が殘り候歯は六本のみに候間これもいつか抜き候はヾ朝歯磨きを遣ひ候必要も無之反つてらくかと存候併し無理に抜き候様の事不仕候間御安心あるべく候 憲の事縷々御申遣し御心配尤もに存候其の後段々考へ候が慶○應○を○除○き○て○は○何れの處にても当人の望に一應任せ候而も宜敷かと存候 又會社員にでもなり度由申候趣に候がそれも宜敷(洸は鉄道の札きりに出候)候併し中學校卒業位ならば給仕同様にて茶の運び位にて(日給二十五錢位か)満足すべき覚悟に無之候而は参らず候常世克己は法學士にて日給五六拾錢にて出候様存候兎角今日は学業履歴あるものにても就職六ヶ敷洵などの就職は松井鈴木両氏等の引立にて自分は殆んど不思儀に思候位に御座候これにつけても洵に研究を怠らぬ様御申聞被下度実は自分事憲に如何なる事致させ宜敷かは御面談にいたし度候が当人強ての望に候はヾ心次第而も宜敷と御申被成候而も宜敷候併し兎も角も其の内上京するつもりに候間その折可申上候八日朝九時半馬関発にて参り度候が明治専門學校の用にて一日位は延び候哉も難計候上京の途中にて宿り候と宿屋にて存じ居り無駄なる費用かヽり候間今後は直行候考へに御座候餘り馬鹿馬鹿しく候故に候
何も忙敷は無之候へ共種々氣がかりの事のみに候併し心配候程の事は少しも無之候又やつて一かばちかやると云ふ事も無之候は無事と申候而宜敷かと存候この手紙届き候ての御返事は間に合間敷候間御返事には及ばず候 匆々
  五月三日
   平久子
  おりうどの
皆々に宜敷よし子に洵を大切にいたし候様御申聞被下度候


5月6日 鉚宛(メンデンホール着京予定)

 明治四十四年五月六日 筑前國福岡市外春吉六番町にて
本月三日にお差出しの御書面只今(六日午前七時半)到着御無異の趣満悦に存候自分事本日午前十一時当地発戸畑へ参り明日の運動會に出で八日午前九時半馬関発にて東上九日午後三時過ぎに池袋着の予定に御座候今回旧友メンデンホール九日頃東京着の由につき本日出発候様仕候が昨日の手紙(藤澤氏より)にて同人着京は十二三日頃に可相成候由併し外にも公私用有之候儀につき彌々本日出発候事に仕候憲頭痛候由誠に困り候事に御座候同人學校の事は着京の上御相談可仕候過刻例の辰野へ参り候「カタリ」の事に附松本に電話にて申遣し候処同人も承り居り候併し心当り全く無之由に御座候同人話に自分(山川)の添書を持参し下田歌子方へ参り歌子目下の境遇に大に同情し同人の學校へ寄附金いたし度など申候に附歌子も大に信用候由松本聞き候につき下田へは注意し置き候旨に御座候少し骨折り探り候はヾ直ぐ知れ候半かと存候
室の中に蒔き候は天竺牡丹數種コスモス同上上等フロックス杉の森是丈けに御座候勿論花の咲き候は秋に御座候植木鉢に植ゑ置候スミレは屋外に出して宜敷候眞野河島の葬式に代理出だされ候由都合宜敷候葬式の通知有之候はヾ今後も左様頼候何れ近日お目にかヽり候事につき本日は擱筆仕候 匆々
  五月六日
   健次郎
  おりうどの


5月24日 鉚宛(水野敏之丞の来訪)

 明治四十四年五月二十四日福岡市外春吉六番町にて
二十一日八時半新橋発夕刻七時半頃京都着柊屋に宿す、其の夜水野敏之丞君来訪せらる是は豫て電報にて申遣せるによる翌日菊池氏を其の官邸に訪問し終つて第三高等學校に行き酒井氏を訪問す同氏水野氏其他四名にて都ホテルに行き午飯の饗應を受く同ホテルは円山の中腹に在りて景色極めてよし午後三時五十九分京都を発し翌二十三日午後三時半皈宅せり本日早朝鋤柄を高等女學校長宅に遣し委曲話し候処轉學の照会は昨日既に東京より参り候趣にて萬事都合よく調候間御安心あるべく候
東京よりの連中に四十六七の男自分姓名を名乗り挨拶いたし候が聞き取れ不申候ひき安川氏に懇意なる趣山際柴など又望月中野(次郎)なども知り居る様子にて目今福岡に居住する様子なり予が四十年に福岡に参りし時演説せるを聞きたりなど申しその内容をも談話せり其の話を綜合して考ふるに当縣選出の代議士ならん(乗車券を所有するをちらりと見たり)京都より乗車せる時は乗客稀少にて知り合も無之門司よりは一等客は自分一人に御座候ひき井上カラルが昨日大年田と申す所より当地着其の内専門學校に参り候由厄介ものに御座候本日は是にて擱筆仕候也
  五月二十四日
   平久子
  おりうどの
   皆々によろしく


6月1日 鉚宛(良子への教訓)

 明治四十四年六月一日 筑前國福岡市外春吉六番町にて
そら豆昨日到着いたし候早速調理仕らせ食べ候処風味の外宜敷御礼申候苺は此手紙着く迄に総て何程とれ候哉承度候百合は何本出で候哉誰ぞに勘定させ御申遣し被下度候添地東の処に卯之助に蒔かせし天竺牡丹は既に植替候事と被存候が未だに候はヾ可成早く新領地の何れなりともへ植候様お申附被下度候右天竺牡丹は可成ふやし候様仕度候戸畑寺野の天竺牡丹は既につぼみを持ち候もの有之候半と存候カーネーシヨンは咲き候哉咲き候はヾ其の色合お申遣し被下度候憲の病氣如何に候哉可成早く全快し勉強出来候様仕度候建も精出し候様お申聞被下度候洵は不相変研究に骨折候事と存候が怠らず勉強する様仕度良子にも萬事御教訓ありたし外出はあまり屡々せぬ方山川の家風なる旨御諭し被下度候
苺の蔓は念入れ切らせ賜り度候但し旧苺畑の中道東に向ひ右手の一行並に添地東側の苺の北六行はマルシャールと申す新種のもの故是はふやし度に附蔓を切り候に及ばず其の他は能く注意して切り候事怠らぬ様お申附賜り度候スウィートピーに手を呉れ候様仕度候庭園の事は来年よりは良子のかヽりに可相成候間本年より能く注意し覚え候様お申附被下度候 匆々
  六月一日
   健次郎
  おりうどの
二白皆々に宜敷
牡丹は花も終り候事故安價に候半間三四株お求め被下いづれへなりとお植置賜り度候


6月16日 鉚宛(女子地文学の要否)

 明治四十四年六月十六日 福岡市外春吉六番町にて
今朝倉橋を高等女學校に遣し問合せ候処過日送り候通り別紙を貰ひ参り候女子地文學は四年級にて使用するものにて照子の入り可申一年には必要無之且大學舘など申す事無之何ぞゆめでも見候に無之候哉?
  六月十六日
   健次郎
  おりうどの


6月19日 洵宛(帰宅予定連絡)

 明治四十四年六月十九日福岡市外春吉六番町より
 東京府北豊島郡巣鴨村池袋 山川洵氏宛(はがき)
御手紙拝見浜尾氏に届け候には不及候二十三日午後七時の汽車にて下関発の見込に候間二十五日朝八時頃池袋に着し候半と存候風呂を朝たて置かれ度候
  六月十九日 福岡市外春吉六番町 山川健次郎
  山川洵殿


6月22日 洵宛(送迎車の手配依頼)

 明治四十四年六月二十二日 福岡にて
 東京府北豊島郡巣鴨村池袋 山川洵氏宛(はがき)
明日彌々発途の事にいたし候午後七時十分馬関発二十五日午前七時十分品川着、同八時前に池袋着の予定に候間風呂をたて置かる可く候又迎の車一台御申附置賜り度候也
  六月二十二 筑前國福岡市外春吉六番町 山川健次郎
  山川洵殿


8月25日 鉚宛(千枝子の水痘)

 明治四十四年八月二十五日筑前國戸畑町 明治専門學校役宅寺野氏方にて
両三日手紙参らず候が御無異の事と存候自分今朝卒かに思ひ立ち当地に参り候二泊して皈り候積りに御座候
千枝子は水痘にてかゆがり困り候由又我儘にて泣いておどす由に候が過刻自分着以来左様の事も無之様相見え候鋤柄昨日参り申候が宿屋に居るも無駄に候間宅に泊り候ても宜敷旨申候處昨夜より宿り居り候留主居に都合宜敷候据風呂は立派なるもの出来候が差当りは「しぶ」出で候て色つき氣味あしく候併し勿論両三日にてとれ候半と存候過日申遣候通り今の宅は差当りにしては廣過ぎ候へ共間取りの悪敷為め客間と居間と一所に候間都合あしく六疂は平常不用の有様に御座候が今度の如く鋤柄などをおき候には都合よろしく候
倉橋は昨夜より夜學校に遣し候事に仕候どこぞで手習の稽古仕らせ度考に候が今先生聞合せ中に御座候同人學校で使用候書籍は悉皆買遣し候が餘程と存候同人氣のきヽ候為めに大助りに御座候獨りにて参り候はヾ此上大困難の處に候間連れ参り候は誠によろしかりしと存居候此も御自分のすヽめに候妻の云ふ事は聞き候ものと存候(??) 千枝子は又々ふくれ候様に感じ候水痘の為め地ばれせしにやと一寸思はれ候位に御座候、鈴子は益々よき子に相成候此度はお遣しの海苔、下駄を忘れず持参候鋤柄よりカルルスせんべいを貰ひ候間土産に持参いたし候バナヽを持参し千枝子に遣し候 匆々
  四月二十五日
   平久子
  おりうどの
二白只今倉橋より手紙きた送るべきかと電報候が多分御自分よりのお手紙と存候


11月7日 自宅宛(チョッキ送付依頼)

 明治四十四年十一月七日 福岡市外春吉の自邸宅(はがき)
昨日出発の折チョッキを間違候間送り呉候様電報相発し候ひき相届き候事と存候紺のチョッキ小包にてお送り被下度候
  七日 静岡附近にて 山川
  山川殿

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