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理解されない感覚を抱えて生きてきた人へ

私は当事者研究の一環として、精神や意識、そして言葉になる以前の「非言語的な情報」について、個人で研究を続けています。

また、一般に「能力者」と呼ばれるような一面も持っています。心理学的な言葉に置き換えるならば、共感能力や、他者の感情・状態を敏感に察知する特性に近いのかもしれません。

非言語的な情報の研究は、いまだ学術化が十分に進んでいない分野だと感じています。

どのような情報が伝わっているのか。
そこに再現性はあるのか。
どのような条件で生じるのか。
個人差や意識状態と、どのような関係があるのか。

こうした点を解析し、事例を集め、再現性を検討する余地は、まだ多く残されているのではないでしょうか。

意識そのものの研究も、依然として未開拓な部分の多い分野です。

先日、京都大学で研究をされている方々について調べていたところ、ASCを研究対象としている研究者も見受けられました。

ASCとは、Altered States of Consciousnessの略で、日本語では「変性意識状態」と呼ばれています。

瞑想、極度の集中、宗教的体験、トランス、フロー状態など、日常的な意識とは異なる状態を広く含む概念です。

今後、こうした意識状態や、非言語的な情報伝達についても、少しずつ研究が進んでいくのではないかと期待しています。

さて、私は約50年にわたり、非言語的な情報によるコミュニケーションと日々向き合ってきました。

その経験のなかで、フロー状態やASCに近い状態へ意識を移行し、それを個人相談に活用する技法を身につけてきました。

私自身の経験上、一定の条件を整えることで再現できる部分もあります。その方法については、必要とされる方に、現在もお伝えしています。

近年、私が相談のなかで接する子どもたちのなかには、一般的には説明しにくい感覚や記憶について語る子もいます。

たとえば、母親のお腹の中にいたときの記憶や、なぜその母親を選んで生まれてきたのかを話す子どもです。

もちろん、こうした語りをどのように解釈するかについては、慎重でなければなりません。

体内記憶として捉えるのか、幼少期特有の想像力や物語化として捉えるのか、あるいは別の心理的・認知的な現象として考えるのか。

現時点では、簡単に結論を出せるものではないでしょう。

しかし少なくとも、子ども自身がそのような感覚や世界を真剣に語っていることはあります。その言葉を初めから否定せず、まず受け止める姿勢は必要だと考えています。

また、WAISのような知能検査において、各指標の差、いわゆるディスクレパンシーが20以上あるなど、能力の偏りを持つ人もいます。

現在の言葉で表現するならば、これも多様性の一つであり、その人固有の認知特性といえるでしょう。

一部の能力は高い一方で、別の部分には大きな苦手さがある。

周囲から見れば「できるはずなのに、なぜできないのか」と思われ、本人も自分自身を理解できず、生き方に悩むことがあります。

この問題については、今回の記事の中心から外れるため、ここでは深く触れません。

ただ、私自身も、そのような生きづらさを抱えてきた当事者の一人です。

社会のなかで、何度も馬鹿にされました。

真剣に話していても、「天然な人」として扱われることがありました。

自分には確かに感じ取れているものがあるのに、それをうまく言葉にできない。

一般的な説明の枠組みに当てはめようとしても、うまく伝わらない。

その結果、自分の感覚や能力だけでなく、自分自身の存在まで否定されたように感じ、苦しんできました。

ここ数年、これから22世紀を生きることになる子どもたちのなかに、私と似た感覚や体質を持つ子が増えているのではないかと、個人的には感じています。

これは、あくまでも私自身の経験から生まれた仮説です。

しかし仮にそうであるならば、そうした子どもたちを理解できる大人が、絶対的に足りていないのではないでしょうか。

子どもが一般的ではない感覚について話したとき、周囲の大人はどのように受け止めればよいのか。

どのように育てればよいのか。

何を否定せず、どの部分には現実的な境界線を教える必要があるのか。

本人の感覚を尊重しながら、社会生活とのバランスをどのように取ればよいのか。

その導き方が、まだ十分に共有されていないように思います。

紹介を通じて、私のもとへ相談に来るお子様もいます。

お話を伺うと、一般的な子育ての知識だけでは対応が難しいと感じるケースもありました。

もちろん、すべてを精神世界や特殊な能力だけで説明するべきではありません。

必要に応じて、医療、心理、教育、福祉などの専門的な支援につなぐことも大切です。

その一方で、本人が感じている世界を初めから「存在しないもの」と決めつけてしまうことも、子どもを深く孤立させる可能性があります。

必要なのは、否定か肯定かの二者択一ではありません。

本人の語りを丁寧に聞きながら、安全性と現実性を確保し、その子に合った理解の仕方を探していくことではないでしょうか。

子どもたちだけではありません。

生き方に苦しみ、生きることそのものを放棄したいと感じている大人も、数多く見られるようになりました。

人は、大きなショックを受けたことをきっかけに、それまでとはまったく違う状態になることがあります。

ひどく落ち込む。

何もかもが嫌になる。

身体が動かなくなる。

それまで普通にできていたことが、突然できなくなる。

ショックを受ける以前に使っていたエネルギーが大きければ大きいほど、その反動もまた強く現れることがあるように感じます。

私自身が、そうでした。

私も大きなショックを経験し、それ以降、いまだ完全には復帰できていません。

最近になって、ようやく少しパソコンに触れられるようになった程度です。

それまで信じてきたものや、自分を支えていた価値観が、根底から崩れてしまいました。

価値観の崩壊は、一部分だけにとどまりません。

一つの支えが崩れることで、それまで保たれていた別の部分まで、連鎖的に崩れていくことがあります。

まるで、崩壊が加速度を増していくかのように感じられるのです。

エントロピーという言葉で説明することが適切かどうかは、今後さらに考える必要があります。

しかし、いったん秩序を失った心や生活が、本人の意思だけでは元の状態へ戻せなくなる感覚は、確かにあります。

同じような苦しみを抱えた方が、この記事を読みに来てくださっているかもしれません。

以前のように動けなくなった方。

自分の価値が分からなくなった方。

誰にも理解されない感覚を抱えている方。

自分の感覚がおかしいのではないかと、一人で悩んでいる方。

そのような方に、まず伝えたいことがあります。

今すぐ元に戻れなくても、それはあなたの怠慢ではありません。

動けないことにも、言葉にならないことにも、何らかの理由や構造があります。

必要なのは、無理に以前の自分へ戻ることではなく、今の自分に何が起きているのかを、少しずつ理解していくことなのかもしれません。

私には、まだやりたいことがいくつもあります。

能力者としての経験を生かしながら、個人の幸福度を高める方法について考えること。

特殊な感覚を持つ子どもたちへの理解を広げること。

家族が困ったときの対処方法を整理すること。

言葉にならない情報や意識状態について、当事者の立場から記録すること。

そして、精神的なショックや価値観の崩壊を経験した人が、どのように生き直していけるのかを考えることです。

今後は、自分自身の経験についても少しずつ書いていきます。

単なる体験談として終わらせるのではなく、当事者研究として記録し、考察し、可能な限り構造化していきたいと考えています。

また、特殊な感覚を持つ子どもへの理解や、トラブルが起きた際の対応方法、意識状態を整えるための具体的な技法などについても、記事として整理していく予定です。

一部は有料になるかもしれません。

しかし、本当に必要としている方にとって、何か一つでも参考になるものを残せたらと思っています。

私自身も、まだ回復の途中です。

完成した人間として、誰かを一方的に導こうとしているわけではありません。

私もまた、悩み、立ち止まり、考えながら生きています。

だからこそ、同じように理解されにくい感覚を抱えている方々と、一緒に考えていけるのではないかと思っています。

これから、私が約50年のなかで経験してきたこと、相談を通して見てきたこと、そして現在考えている仮説を、少しずつ記事としてアウトプットしていきます。

まだ言葉になっていない世界を、言葉にしていくために。

誰にも理解されなかった経験を、次の誰かを理解するための知恵に変えていくために。

あづま

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