【小説】白の粥
一
冬の朝、まだ世界が息をひそめているうちに、澄子は台所に火を起こす。
煤けた土間の奥、古びた土鍋に米と水を落とし、ゆっくりと木杓子でかき回す。
指先に沁みる冷たさが、やがて白い湯気の温もりに溶けていく。
この瞬間だけが、彼女の一日の始まりだった。
米がほぐれ、湯が白濁していく。その白さは、雪よりも柔らかく、雲よりも静かで、どこか懐かしい。
澄子はその白の中に、亡き母の顔を思い出す。
幼いころ、病床の母が作ってくれた温粥――あのときの白も、こんな色だった。
二
隣家の少年・悠(ゆう)が、ふとした折に澄子の家を訪ねるようになったのは、父親の死後だった。
母親が働きに出ている間、学校から帰ると、悠は澄子の台所に顔を出す。
「今日も粥ですか」
「そう。寒い日はこれがいちばん。」
悠は無言で頷き、澄子の手元をじっと見つめる。
鍋の中の白がふつふつと呼吸し、部屋の空気を包みこむ。
澄子は気づく。――この白は、誰かを癒す色なのだ、と。
三
ある日、悠が泣いていた。
学校で友人を殴ったという。
澄子は何も問わず、鍋を火にかけた。
やがて音もなく、白が満ちていく。
「お粥ってね、待たせる食べものなの」
「……?」
「急いだら、焦げてしまう。焦げたら苦い。でも、待てば柔らかくなる。」
悠は湯気の向こうで、白にぼやけた顔を上げた。
澄子の声も、白い息も、ひとつの優しさになって漂っていた。
四
春の兆しが見えたころ、澄子は病に倒れた。
悠は学校帰りに、台所に立つようになった。
米を研ぎ、水を測り、火を入れる。
澄子がそうしてきたように。
焦げつかぬよう、ただ静かに、白を待つ。
澄子は布団の中から微笑む。
「いい匂いだね。」
「はい。もうすぐ、できあがります。」
白の湯気が、ふたりを包んだ。
その白は、まるで記憶の続きのように、淡く、深く、優しかった。
五(終章)
澄子が逝ったあと、悠はその家を訪ね続けた。
鍋の中で白がふくらみ、また静まる。
彼の中に、澄子が生きている気がした。
白はもう、哀しみの色ではなかった。
それは、生の名残であり、温もりの形だった。
悠は小さく呟いた。
「今日も、いい白だ。」
湯気が揺れる。
窓の外には、遅い雪が舞っていた。
白が、白の上に降りて、世界をやさしく包みこんでいく。
―了―
