#75.富士フイルムが育ててくれた大切なもの
富士フイルムと出会って、2年が経つ。
今さらカメラやレンズの機材レビューをするつもりはない。まだまだ知らない設定も、知らない世界もたくさんある。
富士フイルムのカメラといえばー、
洗練されたデザイン。
ユーザー視点での設計。
操作感。
所有欲。
そして、出てくる画。
語り尽くせない魅力の数々が確かにそこにある。
しかし、一方で、
これらのカメラは、「機材」という括りを超えて、いつしか心や感情、情操をも育ててくれていたようだ。

なにも、劇的な景色や、誰もが振り返るような一枚を求めていたわけでもない。
仕事の行き帰り、休みの日の一コマ。
いつからか、目の前にある日々を、できるだけ丁寧に残したいと思えるようになってきた。
何気ない光や、ふとした余韻、誰かのさりげない仕草や2度と出会えない面白い瞬間ー。
そういう景色ほど、気づかないうちにこぼれてしまうから。

シャッターを切るたびに気づく。
写真は、目に見えるものだけを写すのではなく、そのとき自分が感じていた空気や感情までも、そっとすくい上げてくれるということに。
光のやわらかさや、風の温度、そこに流れていた静けさや空気感まで。
言葉にできない感覚が、一枚一枚の中に残っていく。

私の写真における「信念」みたいなものも、富士フイルムが育ててくれたと思う。
写真は、思い出を残すためだけのものではなく、
「撮ることそのものが楽しい」ということ。
同じ道でも、光の入り方でまったく違う表情を見せる。
少し立ち止まって角度を変えるだけで、世界は驚くほど豊かになる。
今まで見過ごしていた日常が、まるで新しい場所のように感じられる瞬間がある。

富士フイルムの色味にはだれもが魅了され、その魅力こそが最大の長所でもあるのだろう。
ただ、「色味がいい」という言葉の表現には、若干のチープさを感じてしまう。
安い表現では言い表せない「何か」ー。

それは、不思議と「記憶」に近い。
鮮やかすぎず、けれど確かにそこにあった温度や湿度、時には香りをも含んでいて、ただの「再現」では終わらない。
まるで、心で受け取ったままの世界を、そっと差し出してくれるようなやさしさがある。
だからこそ、写真を見るというよりも、その瞬間にもう一度触れているような感覚になるんだろうな。

うまく撮れた日もあれば、思うようにいかなかった日もある。
それでも、残してきた一枚一枚は、どれも確かにそのときの自分が見ていた世界であり、生きてきた時間だった。
写真は、過去を閉じ込めるためのものではなく、過ぎていった時間や感情を、未来の自分へやさしく手渡すものー。
そんなことを考えるようになれたのは、富士フイルムと歩んだ日々があるからだ。
きっとこれからもいろんな景色に出会っていくと思う。

初めて富士フイルムを手にして今日で丸2年。
その時の、その瞬間の写真は、
“富士フイルムがいい”
じゃなくて
“富士フイルムじゃなきゃダメ”
なんだ。

ではまた。
