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イタリアの建築⑭ヴェネツィアⅠ-地域のお宝さがし-158

ヴェネツィア
 前回は、イタリアのロマネスク建築を見ましたが、今回は、ピサ北東部に位置するヴェネツィア(図1、注1)のゴシック建築(ヴェネチアン・ゴシック)などを見ます。アドリア海の北部に位置するヴェネツィアは、ヴェネツィア湾の潟(ラグーナ)に築かれた都市で、中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄え、「アドリア海の女王」や「水の都」とも称されました。市内には運河が巡らされているため、徒歩や船で移動します(図2)。

ことに、地盤沈下などで水没が報じられた(注2)「サン・マルコ広場」周辺には、魅力的な建築物が多くあります(図3中の「広場」、注3)。

図1 イタリアの中世都市
図2 ヴェネツィア市内
図3 サン・マルコ広場周辺の建築物

注1)図1・2はグーグルマップを転載・加工。
注2)ウィキペディア「ヴェネツィア」。
注3)図3は『西洋建築史図集三訂版』(彰国社、1990年)より転載・加                 工。建築年、宮殿に関する記述(後述)で断りがない限り、同書による。

ヴェネチアン・ゴシックの代表
 「ヴェネチアン・ゴシック」とは、ゴシック建築にイスラム建築などの特徴が融合された、ヴェネツィアの建築様式です。アラビア風のアーチや繊細な窓枠、多彩な装飾が施されたファサードなどに特徴があり、その代表例が「ドゥカーレ宮殿」(図2の緑枠)です。

●ドゥカーレ宮殿(総督宮)●
 外観 「ドゥカーレ宮殿」(以下、宮殿、14~15世紀)は、「サン・マルコ大聖堂」(以下、大聖堂)の南部に位置し、総督官邸・政庁・法廷などが設けられていました(前掲図3)。「宮殿」の南面(図4、1340~1404年)は舟着場(図3中の5)に面し、小広場(図3中の4)に面する西面(図5、1424~38年)は、既存の建築物を取り壊して南正面と同様の意匠とし、運河に面する東面(図6、1483~98年)には、「ため息橋」(図3中の7)が架けられています。

図4 右:ドゥカーレ宮殿南面、中央:鐘塔、左:マルチャーナ図書館(注4)
図5 右:ドゥカーレ宮殿西面、左:サン・マルコ大聖堂
図6 左:ドゥカーレ宮殿東面、正面:ため息橋、右:牢獄

 現地のガイドから、「ため息橋」の名称は、投獄される囚人が美しいヴェネツィアの景色が見られるのはこれが最後だと、ため息をついたことに由来すると聞いたときは懐疑的でしたが、実際には、橋が建設された頃には、取調べや刑の執行は行われていなかったと知り(注5)、驚きました。

 「宮殿」南面の1層目は尖頭アーチのアーケード、2層目は頂点に反曲線のある尖頭アーチの上部に四つ葉形を施した円窓を備えたアーケード、3層目は少数の窓と大きな壁面で構成されています(図7)。西面から、1層目のアーケードを見ると、四分ヴォールトの様相が分かります。(図8)。

図7 ドゥカーレ宮殿南面
図8 アーケード内部西面より

注4)図3中の3は「サン・マルコ図書館」とあるが、この位置の図書館はマ           ルチャーナ図書館(図4左)と思われる。
注5)ウィキペディア「ため息橋」。

中庭 「宮殿」の中庭(約50m×35m)は、北部は「大聖堂」、残り三方は「宮殿」で囲繞され、西部に噴水(2箇所)、北東部に「巨人の階段」が設けられています(図9、注6)。

図9 ドゥカーレ宮殿中庭

 中庭の西面の1層目は半円のアーケード、2層目は尖りアーチのアーケード、3層目は大きな壁面に、頂部にペディメントを備えた縦長窓、その上部に尖りアーチの窓が配された構成で(図10)、南面と同一の壁面構成です。2層目アーケードの、独立した2本の円柱と、2本の円柱の間に細い柱が加えられた柱が交互に配された処理は、西・南・東面に共通しています。ただし、東面は3層目が分割されて全体は4層になっています。

 南面(1458~1550年頃)は後に改装されたようで「ルネサンスへの過渡的な様式」(前掲注3)と評価されており、西面もこの時期のものと思われます。 

図10 中庭西面

注6)フレッチャー『世界建築の歴史』(西村書店、1996年)より転載・加           工。

巨人の階段 「巨人の階段」は、ヴェネツィア共和国の権力を象徴する大階段で、16世紀に建設されたそうです(注7)。1階から2階に上がると、正面の半円アーチの入口上部に「ヴェネツィアの獅子」が、睨みをきかせています(図11)。

図11 巨人の階段

布告門 「巨人の階段」を降りた正面が「宮殿」と「大聖堂」の間に設けられた「布告門」です(図12)。ヴェネチアン・ゴシックで、1438~1442年に建設されました(前掲注7)。西の小広場に面する外観は、東面とは趣が異なる意匠で、入口上部には「ヴェネツィアの獅子」が鎮座しますが、繊細な窓枠にゴシック様式が感じられます(図13)。

図12 布告門(東面)
図13 布告門(西面)

注7)主に近年の研究・公開情報による。

閑話休題
 筆者は、昭和51年(1976)の新聞記事で「サン・マルコ広場」の水没を知りました。記事には、1966年11月の異常高潮による被害をきっかけに国際的な救援活動が続けられていることが記されていますが、「大聖堂」の前にボートが浮いている光景は衝撃でした(図14)。

図14 サン・マルコ広場水没

次回は、サン・マルコ広場を見ます。


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