フランスのゴシック建築 パリ・シャルトル大聖堂-地域のお宝さがし-162
前回は、イタリアにおけるゴシック建築の最高峰と評される、ミラノ大聖堂を見ました。元来ゴシック建築は北フランスが発祥とされ、その変遷の過程は、初期・盛期(古典)・後期に区分されます。初期のパリ大聖堂、盛期のシャルトル大聖堂・アミアン大聖堂・ランス大聖堂が正統的な系統とされることが多いようです(注1)。なお後期は、イギリスやドイツで発展した装飾的要素の強いゴシック建築になります。ここでは、初期ゴシック建築の代表である「パリ大聖堂」、盛期ゴシック建築の代表である「シャルトル大聖堂」を見ていきます(注2)。
注1)森田慶一『西洋建築入門』(東海大学出版会、1974年)。
注2)パリ大聖堂は1991年、シャルトル大聖堂は1979年に世界文化遺産
に登録されている。
パリ大聖堂
●平面●
「パリ大聖堂」の「内陣」は1163年に起工され、「外陣」は1200年頃、西正面は1250年頃までに完成されました。その後、「外陣」の「小祭室」、「内陣」の「小祭室」や「放射状礼拝堂」が増築され、「交差部」の南北方向も1区画が築され、バラ窓が配されて南北の正面となり、全体は1345年頃に完成されました(図1、注3)。平面は、「身廊」と2つの「側廊」による5廊式で、周囲の諸室の増築により、凹凸のない、ずんぐりした形態になっていますが、「身廊」と「側廊」による3廊式を想定すると、「交差部」の袖廊が短いラテン十字形平面が窺えます。

注3)建築年・記載事項は、『西洋建築史図集三訂版』(彰国社、1990年) や主に近年の研究・公開情報による。図1・4・11は、『フレッチャー 世界建築の歴史』(西村書店、1996年)より転載・加工。
平面の構成とヴォールト
「パリ大聖堂」の平面は、ロマネスク建築と同様、正方形を連続させた平面で、「身廊」の二つの柱間を一区画(正方形)とし、その上部に尖りアーチによる交差リブヴォールトを架け、さらに柱間中央の2本の柱上部にも「身廊」を横断するリブ付尖りアーチが架けられるため、一区画の交差リブヴォールトは6分割(6分ヴォールト)されます。「側廊」は、「身廊」の一区画の端部と中央の柱によって正方形の一区画が形成され、上部に4分ヴォールトが架けられています(図1)。この正方形で形成される平面と「6分ヴォールト」が初期ゴシックの特徴の1つです。
内部の立面構成
「パリ大聖堂」の「身廊」部の立面は、初期ゴシックの特徴である4層構成(下部から、アーケード・トリビューン・トリフォリウム・高窓)でしたが(図2、注4)、1230年頃に、盛期ゴシックの特徴である3層構成(アーケード・トリフォリウム・高窓)に改築されました(図3・4)。現状の「パリ大聖堂」は、初期ゴシックの特徴である「6分ヴォールト」を継承しながらも、「身廊」部の立面は盛期ゴシックの3層構成になっています。
「内陣」の起工から全体の完成まで180余年、長い建設期間中に様式や形態などが変化するのも、当然と言えるでしょう。



注4)図2は、『ロマネスクの教会堂』(辻本敬子他、河出書房新社、2003 年)より転載。
外観
西正面 「西正面」は、左右の塔を除くとほぼ正方形で、水平方向は3層、垂直方向は「身廊」部(中央)と「側廊」部(左右)に区分されています(図5)。最下層は、「身廊」・「側廊」の各部に、壁の厚みに沿って尖りアーチが重なり、入口は中央の柱で2分され、周辺は彫像で埋めつくされ、入口の上部には、彫像が並ぶ列柱廊が設けられています(図6)。



2層目は、「身廊」部にバラ窓、左右の「側廊」部には尖りアーチの中に、小さなバラ窓と2連アーチの窓が設けられています。3層目は、太い柱と細い柱に支持された尖りアーチの列柱廊で、左右の塔の足元と中央部の屋根の上部が目立たないように工夫されています(図7)。多くの彫像、多様な装飾など、密度の高い意匠に息がつまる思いがします。
背面・側面 「西正面」に比べると背面(東面)や側面(南正面)は、少ない壁面と多い窓、外壁を支えるために空中を跨ぐ飛控え(フライイング・バットレス)、傾斜屋根や交差部の尖塔などが設けられ、変化に富んだ外観が構成されています(図8)。なお、「交差部」の尖塔は、19世紀に木造・鉛板張りで再建されたものですが、2019年(平成31)4月15~16日の火災により焼失し、2024年12月に再開されました(注5)。「北正面」は、元来は袖廊ですから、「西正面」に比べて小規模ですが、1層目中央の尖りアーチが上部まで突き抜けていることや、壁面全体に広がるバラ窓など、変化に富んだ意匠です(図9)。


注5)ウィキペディア「ノートルダム大聖堂の火災」。
シャルトル大聖堂
●シャルトルとの位置●
シャルトルは、パリの南西に位置し、中世の姿を現代に伝えている都市です。中世における町の教会堂の多くは、小高い場所に建設されていましたが、「シャルトル大聖堂」もその例にもれず、小高い丘に位置し、そこからシャルトルが一望できます(図10)。

●平面●
現在の「シャルトル大聖堂」は、創建(4世紀)から5番目(1194~1225年頃、前掲注3)に再建されました。当初の予定では、「西正面」と南・北正面に各2基、内陣両脇と交差部に各1基の9基の塔が計画されていましたが、完成されたのは「西正面」の2基(北塔・南塔)だけです。
平面は、「身廊」と「側廊」による3廊式で、「交差部」の袖廊によってラテン十字形の平面が形成されています(図11)。「シャルトル大聖堂」は、「パリ大聖堂の「初期ゴシック」に続く「盛期ゴシック」に区分されます。

●平面の構成とヴォールト●
「シャルトル大聖堂」の平面は、一区画が正方形のロマネスク時代の平面から、一区画が長方形の平面になり、上部には、交差リブ・ヴォールトが4分割された4分ヴォールトが架けられます(図12)。これにより、細い線状の付柱とリブが天井を支えているように感じられ、堂内の垂直性が強調されています。この長方形で形成される平面と「4分ヴォールト」が盛期ゴシックの特徴の1つです。

●内部の立面構成●
初期ゴシック建築の「パリ大聖堂」では、正方形で形成される平面や内部立面の4層構成などにロマネスク建築が感じられましたが、13世紀前半頃から「シャルトル大聖堂」などの盛期ゴシックが建設されるようになります。盛期ゴシックでは、先記の長方形平面、「4分ヴォールト」に加えて、当初から立面構成は3層構成(アーケード・トリフォリウム・高窓)になります(図13)。

●外観●
西正面 「西正面」は、頂部の勾配屋根の形態が異なる左右の塔と中央部3層目の骨太のバラ窓が印象的です。これらは同時期に建設されたものではなく、中央部2層目の3連窓と1層目の入口部分は、1194年の火災を免れた旧大聖堂のもので、「北塔」(左側)は1150年頃(頂部は16世紀の再建)、「南塔」(右側)は1170年に完成されたもので、バラ窓以外はロマネスク建築に近い意匠です(図14)。



南正面 「南正面」(図15)は、「北正面」とともに盛期ゴシック建築で、1250年頃までに増築されました。ことに1220年頃に完成したバラ窓は、「北正面」のバラ窓とともに、大聖堂の象徴と評されています(図16)。
背面・側面 「シャルトル大聖堂」では、飛控えの使用が当初から予定されており、背面(東面)・側面(南・北面)の外観はそれを意識した形態になっています。東端部では放射状に配置され(図17)、側面では規則的に配置された控壁の上部に飛控えが設けられ(図18)、全体的に理路整然とした外観が構成されています。


閑話休題
イタリアとフランスのゴシック建築を比較してみると、イタリアはロマネスクの「匂い」(装飾や伝統など)をを引きずり、フランスはロマネスクの構造を発展させゴシックへいきついた気がします。フレッチャーがいうように、イタリアには、「アルプス以北のゴシックを野蛮で無作法なものとみなす傾向」があったのでしょうが、どちらも長い年月をかけて建設されている間に、両者の融合が行われたと思うと面白く感じます。
次回は、フィレンツェを見ていきます。
