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イタリアの建築⑨シェナ-地域のお宝さがし-153

 今回は、ペルージャの西部に位置する、中世都市シェナの建築とまちを見ていきます(図1、注1)。シェナは、13世紀後期から14世紀中期にかけて最盛期を迎えます。丁度、ゴシック期からルネサンス期へ移行する時期です。

 まちは、「カンポ広場」を中心に発展し、1995年に「シェーナ歴史地区」(図2)として世界遺産に登録されています(注2)。初めて訪れた時、「シェナ大聖堂」と対面する「マンジャの塔」の景観が印象的でした(図3)。

図1 イタリアの中世都市の位置
図2 シェナ
図3 シェナ大聖堂とマンジャの塔(左)

注1)図1・2は、グーグルマップを転載・加工。
注2)ウィキペディア「シエーナ」。

シェナ大聖堂
●外観●
 「シェナ大聖堂」(以下、大聖堂、12世紀後期~1382年、注3)は、建設時期とファサード(正面)の意匠から(図4)、イタリアで最も美しいゴシック様式とされる反面、建物の全体構成はロマネスク建築と評価されています。(注4)。

図4 シェナ大聖堂外観(正面)
図5 正面細部
図6 シェナ大聖堂外観(側面)

 「大聖堂」がロマネスク建築とみられる要因として、①双塔を設けない、②正面に三角形の破風を配し、③鐘塔を本体から離して設ける。さらに、④飛控え(フライング・バットレス)を外部に見せないことなどが掲げられますが、これらは、アッシジやペルージャの聖堂でも見られました。一方、入口上部のアーチは半円、バラ窓は円形ですが、壁面から突き出た多くのガーゴイル(怪物などを形容した雨樋)などの密度高い装飾(図5)、側面の開口部に用いられた尖りアーチの二連窓(図6)、そして全体に垂直性が強調された意匠はゴシックの特徴といえます(もっとも筆者は、破風の金色装飾はビザンティンではないのかと、勝手に思っていますが)。

注3)建築年・記述で断らない場合は、『西洋建築史図集三訂版』(彰国               社、1990年)による。
注4)ウィキペディア「シェナ大聖堂」。

●平面●
 「大聖堂」の平面は、「身廊」と「袖廊」で構成される十字形平面で(図7、注5)、交差部の六角形ドーム(1264年)は、「全く独創的」と高い評価をえています(図8)。また、14世紀に拡張工事が行われ、新たな正面と側廊の一部が建設されましたが中断されました(図9)。

図7 シェナ大聖堂平面図
図8 交差部の六角形ドーム
図9 拡張工事部分

注5)フレッチャー『世界建築の歴史』(西村書店、1996年)より転載・加           工。

市庁舎
 「市庁舎」(プッブリコ宮、1298~1681年)は、ローマ時代の半円形の劇場があった広場の舞台側に建設されましたが(前掲注3)、その際、広場に面する建物の窓は、「小円柱付きの二連窓ないしは三連窓にし、バルコニーをつけないよう通達が出され、市庁舎との調和がはかられ」(注6)、景観に配慮されたことが窺えます(図10)。その後、高さ116mの「マンジャの塔」(鐘塔、1325~48年)、その足元に突出した礼拝堂(1352~76年)や庁舎の西側が増築され(1681年)、現状の形態となりました(図11)。

図10 カンポ広場周囲の建物外観(市庁舎対面)
図11 市庁舎外観
図12 中庭からのマンジャの塔見上げ

 1層目の尖りアーチのアーケード、2層目以上は煉瓦造壁面に尖りアーチの三連窓、屋上には城郭風の胸壁が設けられ、「マンジャの塔」も含めて全体にゴシックの雰囲気がよく伝わりますが、壁面頂部のロンバルディアバンドに、ロマネスクの残り香が感じられます。市庁舎1階の中庭から見上げる「マンジャの塔」は見事です(図12)。

カンポ広場
 「カンポ広場」の床面は煉瓦敷きで、放射状に埋められた縁石は拡げた扇の中骨のようで、扇の要の位置に排水口、反対側の扇頂部に「ガイアの泉」(1348年、注7)が設けられています(図10左奥)。

 広場は、周囲に建ち並ぶ建物によって囲まれた空間になっています。建物の間に設けられた細い道路は、両側の壁面や街灯、2段にアーチが設けられた隔壁などで変化に富んだ景観が形成されています(図13)。

図13 細い道路

注7)完成年は、ウィキペディア「カンポ広場」による。

いきあたりばったり
 「大聖堂」と「市庁舎・カンポ広場」を見たあとは、まち歩きを楽しみました。

図14 サリンベーニ広場

 サリンベーニ広場の正面に位置する「サリンベーニ宮」(14世紀、注8)は、尖りアーチによる1層目の入口や3層目の三連窓などから、ゴシック様式、右側の「スパンノッキ宮」(1473年頃、注9)は、2・3層の半円アーチの二連窓、水平線で区切られた平滑な壁面構成などからルネサンス様式、左側の「タントゥッチ宮」(1548年、注9)は、バッロク様式と判断されています(図14)。この広場へくるだけで、シェナの中世から近世の建築をみることができます。

注8)建築年・様式・記述は、4travel.jpのサリンベーニ宮による。
注9)建築年は「AIによる概要」による。

●聖カタリナの家●
 「聖カタリナの家」は、14世紀の建物を改装(前掲注9)して聖堂としたようです。

図15 聖カタリナの家

 この聖堂を見た時、1・2層の半円アーチのアーケード、1階アーケード天井の交差ヴォールトからロマネスク建築と思っていました。ところが、イタリアでのゴシックの期間が「1200年から1400年まで続いた」(前掲注5)とすると、14世紀の改装は、ゴシックからロマネスクへの改装であったのかなあと妄想してしまいました、

閑話休題
 中世都市は、周囲が城壁(市壁)で囲繞された閉ざされた空間でしたが、それは都市の防御の点からも必要な施設でした。前回で水道橋・噴水、今回は泉をみて、「水」の重要性を痛感したとき、『三国志』の「街亭の戦い」において、守備を命じられた馬謖(ばしょく)が軍勢を山頂に敷いたため、水源と食料を絶たれて15000余兵を失わさせた故事を思い出しました。


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