適応障害で無職になった日、私がやった5つのこと
仕事を辞める、と決めた夜。
不思議と、泣かなかった。
むしろ「あ、楽になった」と思った。
その感覚が怖かった。
「壊れたのかもしれない」と思った。
辞めると決めたのに、安堵している。
普通の人間は、こういうときに泣くんじゃないのか。
そう思って、自分がどこかおかしくなった気がして、余計に怖かった。
あなたも今、似たような場所にいませんか。
会社に行けない。
行きたくないんじゃなくて、体が動かない。
朝になるとアラームが鳴る前に目が覚める。
でも起き上がれない。
胃が痛い。
頭が重い。
「今日も休む」という連絡を入れるたびに、罪悪感だけが積み重なっていく。
でも「自分が甘いだけじゃないか」と、ずっと自分を責め続けている。
私はそこにいました。
まだ私を知らない方はこちらから。
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プラント施工管理の現場監督から、M&Aで買われた会社の雇われ社長になって。
20人の組織を抱えて、単身赴任で、前任社長のパワハラの後処理をして、親会社との軋轢を一人で受け止めて。
引き継ぎに2人失敗していた会社を、なんとか回そうとして。
ある日、本当に動けなくなった。
この記事では、適応障害で無職になった私が、最初にやった5つのことを書きます。
きれいな成功話じゃないです。
「こうすれば治る」という話でもないです。
ただ、あの頃の私みたいな人に、「こういう動き方があった」と伝えたくて書いています。
制度の話も、お金の話も、正直に全部書きます。
やったこと① 「辞める」と決めた瞬間に、何もしない
診断書をもらって、会社に連絡して。
そのあと、何もしませんでした。
転職活動も、資格の勉強も、副業の準備も。
一切やらなかった。
正直に言います。
やれなかったんです。
カーテンを閉め切って、天井のシミを見ていた。
昼なのか夜なのかわからない時間が続いた。
ご飯を食べる気力もない日があった。
「社長だった人間が、なんで天井のシミを眺めているんだろう」と思いながら、それでも動けなかった。
SNSを開くと、誰かが仕事の話をしている。
誰かが副業で稼いだと言っている。
それを見るだけで、何か重いものが胸に乗っかってくる感じがして、スマホを伏せた。
でも今思えば、この時期に「何もしなかった」のは正解だったと思っています。
適応障害の回復期に一番やってはいけないのは、「何かしなきゃ」と焦ることです。
医師にも言われました。
「今は休むことが仕事です」と。
最初はその言葉の意味がわからなかった。
休むことが仕事、ってどういうことだ。
でも今はわかる。
壊れかけたOSを再起動するとき、余計なアプリを立ち上げたら余計に壊れる。
まず電源を落として、何もしない。
それが最初の一手でした。
「焦って動いた人間」と「何もしなかった人間」では、3ヶ月後の回復具合が全然違う。
私の周りでも、焦って転職活動を始めた人が、半年後にまた壊れたケースを何人か見ました。
まず何もしない。
これだけ守れれば、最初の関門は突破できます。
やったこと② お金の現実を、紙に書き出した
何もしない、とは言っても。
貯金が減っていくのは止まらない。
前年収入に対して計算された社会保険料と住民税の請求書が来たとき、目眩がしました。
「社長だったときの収入」を基準に計算されているから、金額がえげつない。
無職なのに毎月かなりの額が出ていく。
最初は請求書を見るのも嫌で、封筒のまま置いていました。
でもある日、「このまま目を背けていたら本当に終わる」と思って、全部引っ張り出した。
紙に書き出しました。
今の貯金残高
毎月出ていく固定費(保険料・住民税・家賃・光熱費・食費)
何ヶ月持つか
数字にするのが怖かった。
でも「なんとなく不安」より「あと8ヶ月ある」の方が、まだ動ける。
曖昧な恐怖を、具体的な数字に変える。
これだけで、少し息ができるようになりました。
ちょっと待ってください。
もし今、この作業すら「しんどい」と感じているなら、それは本当に回復できていないサインです。
そういう人は、まず①の「何もしない」期間をもう少し延ばしてください。
お金の整理は、少し動けるようになってからでいい。
順番を間違えないことの方が大事です。
やったこと③ ハローワークで「失業給付」の条件を確認した
少し動けるようになってきたころ、ハローワークに行きました。
適応障害での退職は、条件次第で「特定理由離職者」になります。
これ、知らないと本当に損します。
特定理由離職者になると何が変わるか
通常の自己都合退職だと、失業給付をもらうまでに2〜3ヶ月の「給付制限期間」があります。
でも特定理由離職者に認定されると、この給付制限が免除される場合があります。
つまり、退職後すぐに給付が始まる可能性がある。
必要だったもの
医師の診断書(適応障害の診断が記載されたもの)
退職理由を説明できる書類(会社の退職証明書など)
ハローワークでの丁寧な説明
私の場合、担当者に正直に話しました。
「適応障害の診断を受けて、医師から休養を勧められました。体調が回復したら、転職したいと思っています」
窓口の担当者は思ったより丁寧に対応してくれました。
書類の書き方、診断書の準備の仕方、申請のタイミング。
一つずつ確認しながら進めました。
「恥ずかしい」とか「みっともない」とか、そういう感情は捨てていいです。
私も最初は「元社長がハローワークか」と思いました。
でも使える制度は全部使う。
それは権利です。
働いてきた分、ちゃんと積み立てられている保険です。
遠慮する理由は何もない。
やったこと④ 職業訓練の存在を知り、飛び込んだ
失業給付の手続きをしていると、ハローワークで「職業訓練」の案内をもらいました。
最初は「学校みたいなところか」と思って、流していました。
でも調べていくうちに気づいた。
職業訓練の3つのメリット
① 訓練中も給付金が延長される
通常、失業給付には受給期間があります。
でも職業訓練に入ると、訓練が終わるまで給付が延長される場合があります。
これは大きい。
② 無料で資格が取れる
テキスト代など一部負担はありますが、授業料は基本無料です。
③ 生活リズムが戻る
これが一番大きかったかもしれない。
毎朝決まった時間に起きて、決まった場所に行く。
それだけで、少しずつ人間に戻っていく感じがしました。
私が電気系を選んだ理由
第二種電気工事士。
ビルメンや設備管理の仕事に使える資格です。
選んだ理由は単純で、「手に職が残る」資格だったから。
プラント施工管理の経験があるので、電気の知識は多少あった。
それに、景気に関係なく需要がある仕事だと思っていた。
「社長だった男が職業訓練」というのは、最初は抵抗がありました。
正直、みっともない気がした。
クラスメイトは20代が多かった。
最初の1週間は、居心地が悪かった。
でも1ヶ月経つと、それがどうでもよくなってきた。
どん底で使える手を全部使えたのは、あのとき「みっともない」という感情に負けなかったからだと思っています。
プライドより生活。
それだけです。
やったこと⑤ 家族に「帰っておいで」と言ってもらった
これは戦略じゃないです。
単身赴任先で一人でいた私に、妻から一言来た。
「帰っておいで」
それだけでした。
泣きました。
久しぶりに泣いた。
社長のときは、弱いところを見せられなかった。
組織のトップが泣いてどうするという空気があった。
でも「帰っておいで」の一言で、崩れた。
適応障害の回復に、制度とか給付金とか資格とか、そういう実務的な話は大事です。
でも一番大事なのは「安全な場所があるかどうか」だと今は思っています。
誰かに「帰っておいで」と言ってもらえる場所。
責められず、評価されず、ただそこにいていい場所。
それが回復の土台でした。
もし今、そういう場所がないと感じているなら。
それを作ることが、何より先の課題かもしれません。
人間は、安全な場所がなければ回復できない。
私はそう思っています。
まとめ:壊れたOSは、再起動すれば動く
整理します。
1. 「辞める」と決めたら、まず何もしない
焦って動くと、また壊れる。
2. お金の現実を紙に書き出す
曖昧な恐怖を、具体的な数字に変える。
3. ハローワークで失業給付の条件を確認する
特定理由離職者の認定を狙う。遠慮しない。
4. 職業訓練に飛び込む
みっともないとか言っている場合じゃない。プライドより生活。
5. 安全な場所に戻る
制度より先に、これが一番大事かもしれない。
きれいな順番じゃなかったです。
ぐちゃぐちゃでした。
でも振り返ると、この5つが土台になっていた。
適応障害は「弱い人間がなる病気」じゃないです。
本気でやりすぎた人間がなる、と私は思っています。
壊れたOSは、再起動すれば動く。
ただし、再起動には時間がかかる。
電源を入れ直して、しばらく待つ。
それだけでいい。
焦らなくていいです。
私みたいなもんでも、動けるようになりました。
このnoteシリーズでは、適応障害からの回復・転職・AI活用まで、私の実録を全部書いていきます。
▶ 高卒逆転キャリア逆転術(転職・キャリア設計の全記録)
▶ 適応障害という名の、OS再起動(どん底からの実録)
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OS再起動 ─ 適応障害から復活するまでの全記録
適応障害になったとき、私が一番欲しかったのは「次に何をすればいいか」でした。 「前向きに」とか「焦らないで」じゃなかった。 動けない体で、…
最後まで読んでくれてありがとうございます。漢字も書けない高卒の私の言葉が、誰かに届くなんて、昔は想像もできませんでした。チップ不要です!いいね・コメントもらえると励みになります。
