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適応障害 家族 伝え方|妻に「帰っておいで」と言ってもらうまでの話【実録】

妻はうつ病でした。

だから私が頑張らなければいけなかった。

妻が病気で動けない。子供もいる。私が稼がなければ家族が生きていけない。そういう状況でした。

単身赴任で遠くに行ったのも、理由があります。

「生活の基盤を作って、バリバリ稼いで、落ち着いたら妻と子供を呼び寄せよう」と思っていました。

家族のために頑張っていた。

だからこそ、自分が壊れたとき、一番怖かったのは「妻にまた悩みを増やさせてしまう」ということでした。

うつ病の妻に、自分が適応障害になったと伝える。

これ以上、妻の負担を増やしていいのか。

怖かったです。

でも「もう無理だ」という状態になって、正直に伝えました。

「無理だった。もう無理だって」

そう伝えたとき、妻から一言来ました。

「帰っておいで」

泣くしかなかったです。

この記事では、適応障害になったとき家族にどう伝えるか、伝えたことでどう変わったかを実録で書きます。

このマガジンでは、高卒・元社長・適応障害から這い上がった私・竹久夢藤が、崩壊してもキャリアが終わらなかった全手順を公開しています。

まだ私を知らない方はこちらから。

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妻がうつ病だった

私が適応障害になる前から、妻はうつ病でした。

外に出られない日がある。動けない日がある。そういう状態が続いていました。

だから私が頑張らなければいけなかった。

「自分が稼がなければ家族が生きていけない」という感覚が、ずっとありました。

それが、私をがむしゃらに働かせた理由の一つでした。

プラント施工管理の仕事は体力的にきつかったです。でも辞めるという選択肢がなかった。妻のこと、子供のことを考えると、「もう少し頑張れ」と自分に言い聞かせ続けました。

単身赴任で遠くに行くことを決めたのも、そういう理由でした。

「今は離れていても、生活の基盤を作ってバリバリ稼いで、落ち着いたら妻と子供を呼び寄せよう」

そう思っていました。

家族のために、という気持ちだけで動いていました。

壊れていく過程

単身赴任先で、毎月残業が120時間を超えていました。

20人の組織を抱えて、前任社長のパワハラ後処理をして、親会社との軋轢を一人で受け止めて。

疲れていました。でも「疲れた」と言える相手がいなかった。

妻に電話しても、心配させたくなかった。妻はうつ病で、自分のことで精一杯の状態でした。

「俺が弱音を吐いたら、妻の負担になる」

そう思って、本音を言えなかった。

孤独でした。

誰にも本音を言えない状態が、ずっと続いていました。

そしてある朝、本当に動けなくなりました。

体が動かない。頭が働かない。「また頑張ろう」という気力が、ごっそり消えていた。

妻に伝えるのが怖かった

適応障害と診断されたとき、一番怖かったのは「妻に伝えること」でした。

うつ病の妻に、自分が適応障害になったと伝える。

「また心配をかけてしまう」「また悩みを増やさせてしまう」という気持ちがありました。

妻はうつ病で、自分のことだけでも精一杯だった。そこに私の問題まで加えてしまう。

「言わない方がいいんじゃないか」と思った瞬間もありました。

でも限界でした。

「もう無理だ」という状態になって、電話しました。

「無理だった。もう無理だって」

それだけ伝えました。

長い説明ができる状態じゃなかった。「もう無理だ」という一言だけが出てきました。

「帰っておいで」という一言

妻から返ってきた言葉は、「帰っておいで」でした。

それだけでした。

責めなかった。「なんでそうなったの」と聞かなかった。「これからどうするの」とも言わなかった。

「帰っておいで」

その一言だけでした。

泣くしかなかったです。

どれだけ張っていた糸が、その一言で一気に緩んだか。

「帰っていい場所がある」という感覚が、あの瞬間に初めてわかりました。

社長として、夫として、父親として。ずっと「強くいなければいけない」と思っていた。弱みを見せてはいけないと思っていた。

でも「帰っておいで」という言葉をもらって、初めて「弱くていい」と思えました。

帰ってから変わったこと

単身赴任先から帰りました。

最初は居場所がなかったです。

「社長だった人間が、昼間から家にいる」という気まずさがありました。

でも少しずつ、家族との時間が戻ってきました。

妻と他愛ない話をする時間。息子の話を聞く時間。晩ご飯を一緒に食べる時間。

社長時代、単身赴任でずっと失っていたものが、ここにありました。

うつ病の妻と、適応障害の私。

二人とも壊れていた時期がありました。

でもそれが、お互いの気持ちを理解する土台になっていたと思います。

「しんどいとき、どれだけ一言が救いになるか」

妻はうつ病で知っていた。だから「帰っておいで」という一言が出てきたんだと思います。

「言えない」と思っている人へ

適応障害になったとき、家族に伝えることが怖いという人は多いです。

「心配をかけたくない」「迷惑をかけたくない」「弱みを見せたくない」

その気持ちはよくわかります。

でも私の経験から言えることが一つあります。

「言えない状態」が、一番しんどいです。

誰にも本音を言えない孤独が、私を壊した大きな原因の一つでした。

「もう無理だ」と伝えたとき、妻は責めませんでした。

「帰っておいで」と言ってくれました。

言ってみないとわからない。でも言ってみたら、思っていたより受け止めてもらえることがあります。

家族への伝え方で使えるプロンプト

言葉が出てこない場合、AIに手伝ってもらうことができます。

適応障害になったことを家族に伝えるメッセージを
作成してください。

【状況】
伝える相手:[配偶者/親/子供]
現在の状態:[具体的な症状・状況]
伝えたいこと:[何を理解してほしいか]
お願いしたいこと:[何をしてほしいか]

責めているように聞こえず、
でも正直に状況を伝えられる文章を
作成してください。

話し言葉で、送れるメッセージの形にしてください。

言葉が出てこないときは、このプロンプトを使ってみてください。

AIが作った文章を自分の言葉に直して、送る。

それだけでいいです。

妻がうつ病だったから気づいたこと

妻がうつ病だったから、適応障害の辛さがわかってもらえた部分があります。

「しんどいとき、何が一番助かるか」を妻は知っていた。

責めないこと。「なんで」と聞かないこと。ただ「帰っておいで」と言うこと。

それだけで十分だということを、妻は自分の経験から知っていた。

うつ病の妻を「支える立場」でいた私が、適応障害になって「支えてもらう立場」になりました。

そのことで、妻の気持ちが少しわかった気がします。

「頑張れない状態のとき、責めないでいてくれることがどれだけありがたいか」

今でも、その感謝は忘れていないです。

適応障害から2年経って

適応障害と診断されてから、もうすぐ2年が経ちます。

妻のうつ病は、今も完全には治っていないです。

でも以前より動ける日が増えました。

私も再就職して、晩ご飯を毎日作れる環境にいます。

二人とも壊れていた時期を経て、今はそれぞれのペースで動いています。

「帰っておいで」という一言が、あの時期の私を救ってくれました。

その言葉がなければ、今の私はないかもしれない。

適応障害になったとき、「言えない」と思っている人に伝えたいです。

言ってみてください。

思っていたより、受け止めてもらえることがあります。

弱みを見せることは、弱さじゃないです。

信頼している人に本音を言えることが、人間の強さだと今は思っています。


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最後まで読んでくれてありがとうございます。漢字も書けない高卒の私の言葉が、誰かに届くなんて、昔は想像もできませんでした。チップ不要です!いいね・コメントもらえると励みになります。