手取り9万の整備士が年収720万になるまでにやったこと全部【高卒キャリア逆転の全記録】
担任の先生に言われました。
「お前は絶対に社会人になれない」と。
漢字もまともに書けなかった。勉強もできなかった。ギリギリで高校を卒業して、就いた仕事が自動車整備士。手取り9万円でした。
そこから施工管理になって、副業でTwitterノウハウを売って、芸能人のアカウントを運営して、アドセンスで月10万超えて。本業の年収が上がりながら、副業でも本業の半分近く稼いでいた時期がありました。
最終的に、ビズリーチのスカウトで社長になって年収720万。最大で1200万まで行きました。
魔法はなかったです。
やったことは一つだけです。
「誰にも真似できない自分」を作り続けた。それだけでした。
この記事では、手取り9万から年収720万になるまでにやったことを全部書きます。きれいな成功話じゃないです。しんどかった話も、失敗した話も、全部書きます。
このマガジンでは、漢字も書けないギリギリ高卒が社長になり適応障害から復活した私・竹久夢藤が、どん底からのOS再起動の全記録を公開しています。
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整備士時代:手取り9万円の現実
自動車整備士の仕事は好きでした。
手を動かすことが得意だった。機械のことを考えるのが楽しかった。
でも手取り9万円では、生活できない。
「食っていけない」という現実が、最初の転換点でした。
好きな仕事と食える仕事は、必ずしも一致しない。
それを整備士時代に学びました。
整備士から溶接工へ
「手に職をつける」という発想で、溶接工の見習いになりました。
溶接は技術職です。できる人間が少ない。希少価値があると思っていました。
見習いだからそれほど給料は上がらなかったけど、「技術を積み上げる」という感覚がありました。
この時期、副業を始めました。
Twitterをやっていて、フォロワーが増えていた。「これ、教えられるんじゃないか」と思ったのが、副業の始まりでした。
副業で本業の半分を稼いだ時期
溶接工見習いをやりながら、副業を本格化させました。
やっていた副業3つ
① Twitterノウハウをココナラで販売
フォロワーの増やし方、アカウントの育て方、ツイートの作り方。当時は今ほど情報が溢れていなかった。「知っている人間が教える」だけで売れました。
② 芸能人のアカウント運営
芸能人のTwitterアカウントを代わりに運営する仕事です。本人に代わってツイートを作って、投稿して、フォロワーを増やす。
「誰がやっているかわからない」仕事なので、実績として表には出せない。でもここで学んだことが、後のX運用コンサルの土台になりました。
③ アドセンスブログ
芸能トレンドブログを作って、Googleアドセンスで収益化しました。月10万円を超えて入ってきた時期がありました。
本業の手取りがまだ低かった頃に、副業で本業の半分近く稼いでいた。
「会社の給料だけが収入じゃない」という感覚を、この時期に身につけました。
なぜ副業を辞めたか
息子が野球を始めました。
「見てやりたい」と思った。副業に使っていた時間を、息子に使うことにしました。
結果、月数千円まで落ちました。
5年間、副業を放置していました。
この判断を後悔しているかと言えば、していないです。息子の野球を見ていた時間は宝物です。でも「続けていれば」と思うことは、今でも正直あります。
施工管理:年収が一気に上がった転換点
副業を放置している間、本業で動きました。
組立工→機械据え付け→プラント施工管理。
施工管理になったとき、年収が一気に上がりました。
なぜ施工管理で年収が上がるのか
理由は単純です。
残業代が多い。
プラント施工管理は、残業120時間を超える月があります。
きつい。体がしんどい。でも残業代がそのまま年収に乗っかってくる。
「しんどい仕事ほど、人が嫌がる。人が嫌がる仕事ほど、お金になる」
これが施工管理で学んだことでした。
施工管理で身についたスキル
施工管理は、現場のことを全部やります。
発注、見積、工程管理、原価計算、安全管理、客対応、業者との交渉。全部です。
「これだけできれば、どこでも食える」という感覚がありました。
溶接も、クレーンも、機械据え付けも、施工管理も全部できる人間は少ない。電気のシーケンス制御だけは電気屋さん頼みだったけど、それ以外は全部ひとりで完結できた。
「誰にも真似できない自分」を作る、という意識がここで本格化しました。
年収アップのために意識してきたこと
年収が上がり続けた理由を一言で言うと、「付加価値を積み上げ続けた」からです。
誰にも真似できない自分を作る
「替えが効く人間」は、年収が上がりにくいです。
「この人じゃないとダメだ」と思われる人間になると、年収が上がります。
私の場合、こう考えていました。
現場仕事ができる×管理もできる×副業でSNS運用もできる
この3つが重なる人間は、そうそういない。
一つひとつは「そこそこできる」レベルでも、組み合わさると希少になります。
「しんどい方」を選び続けた
楽な仕事と、しんどい仕事があれば、しんどい方を選んできました。
しんどい仕事は、人が嫌がる。人が嫌がるから、できる人間が少ない。できる人間が少ないから、お金になる。
整備士から溶接工になったのも、施工管理に転換したのも、全部「食っていける方」を選んだ結果でした。
守りに入らない
年収が上がってくると、「このまま守ろう」という気持ちが出てきます。
でも守りに入った瞬間に、成長が止まる。
ビズリーチのスカウトで社長の話が来たとき、怖かった。でも受けました。
「後継者のいない会社の社長」という選択肢は、リスクが高い。でもそこにしかないやりがいと年収があった。
守りに入った人間には負けない、という気持ちが、ずっとあります。
年収アップのロードマップ
整理すると、私がやってきたことはこうなります。
STEP1 食える仕事に移る
好きな仕事と食える仕事は別物です。まず食えることが最優先。
STEP2 希少価値のある技術を積む
「替えが効かない人間」になるための技術を選んで積み上げる。
STEP3 本業以外の収入源を作る
1つの収入源に依存しない。副業でもなんでもいい、本業以外からお金が入る仕組みを作る。
STEP4 組み合わせで希少になる
1つのスキルを極めるより、2〜3個のスキルを組み合わせる方が希少になりやすい。
STEP5 しんどい方を選び続ける
楽な方を選び続けると、替えが効く人間になる。しんどい方を選び続けると、できる人間が少ない領域に入れる。
今思うこと
手取り9万の整備士が年収720万になるまで、魔法はなかったです。
「食えない」という現実から逃げなかっただけです。
しんどい仕事を避けなかっただけです。
「誰にも真似できない自分」を作ることだけを、ずっと考えてきただけです。
学歴は関係なかった。
担任の先生に「社会人になれない」と言われた人間が、社長になって年収1200万まで行きました。
なんなんこれ、と今でも思います。
でも、これが現実です。
どん底から這い上がることは、できます。
ただし、守りに入ったらそこで止まります。
攻め続けることだけが、唯一の方法だと私は思っています。
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適応障害になったとき、私が一番欲しかったのは「次に何をすればいいか」でした。 「前向きに」とか「焦らないで」じゃなかった。 動けない体で、…
最後まで読んでくれてありがとうございます。漢字も書けない高卒の私の言葉が、誰かに届くなんて、昔は想像もできませんでした。チップ不要です!いいね・コメントもらえると励みになります。
