生きものを飼って分かったこと
私は昔から生きものが好きでいろいろ飼っていました。
小さい頃は、縁日の夜店で買ってきた鈴虫やカブトムシにキュウリやスイカをあげて食べているところを眺めたり、金魚は水槽に入れて育てていると鯉のように巨大化していました。
親父に連れられて虫取りに行って実際に捕まえて来て標本にして夏休みの自由研究の作品にしたこともあります。
庭にはアマガエルやカタツムリもいたので生きものはたくさんいました。
庭に鳥かごを吊るしてカナリアを飼っていたこともあります。

しかしある時、ネコかイタチに襲われてしまいました。
とても悲しかったので、親父が見かねてザルと米粒でスズメを捕まえる罠を仕掛けていました。
当然そんなもので捕まるはずはありません。
横で見ていて笑ってしまいました。
結婚して子供が出来てからは、インコを飼って「チッチちゃん」と名付けていました。

私の声色を真似したりしてよくなついてくれていましたが、旅行に出かけた際、えさの量が足りずに死なせてしまいました。
とてもかわいそうなことをしてしまったと、今でも悔やまれます。
その後には熱帯魚に凝るようになりました。

環境が良かったのか、巨大化して水槽を分けざるを得なくなったり、つがいになるために必死に巣作りをしていたり、よく見ると口の中にたくさんの子供がいたりと、それぞれの生活の様子を見ていると時間が経つのを忘れるくらいでした。
しかし、あの阪神淡路大震災で、すべての水槽がひっくり返り、壊れたしまったのです。
私たち家族は何とか無事だったので、様子を伺うと、ピチャピチャと跳ねる音がしています。
「助けてくれー」という声が聞こえてきましたが、どうすることもできません。
近づくことすらできない状態なのですから。
あれ以来トラウマになって熱帯魚を飼っていません。
私は証券会社に勤めていたことがあります。
外回りで軒並み訪問するのですが、中には犬を外につないでいる家があります。
近づくと、唸ったり吠えかかったりしてきます。
ひどいところでは、それが道の両側にあったりするのです。
両側から道の真ん中くらいまで攻められると通れなくなるのです。
仕方がないので迂回していましたが、セールスを撃退する為にやっていたのでしょうか。
そんな思い出があるのですが、ある時奥さんが犬を飼いたいと言い出しました。
私が「犬にも犬種によって性格がいろいろあるから、良く調べてからにしようね」と言っていたのに、ペットショップに行って、あるコーギーを抱っこさせてもらった途端、いきなり「この子はここにしかいない」「この子でないとだめだ」となって連れて帰ることになりました。

奥さんも「あれだけよく調べてからと言っていたのに、いきなりだからびっくりしたわ」とあきれていました。
その頃になると、はっきりと分かることがあります。
以前は何となく感じるだけでしたが、その生きものたちの意志や感情が分かるようになってきたのです。

鳴き声や仕草、表情から、何が言いたいのか聞き分けられるようになります。
植物でさえ、その日の調子で何が欲しいのか分かるようになります。

生きものたちの「心の声」が聞こえてくるような気がするのです。
以前の記事「自然の生きものと対話すること」でも書いています。
ここまで意思を持って伝えようとしているのかと、あらためて驚かされます。
また同時に命というものの尊さをより一層感じるようになりました。
前回の記事「朝起きて小鳥のさえずりを聞くとホッとします」でも、ただ鳴いているだけでなく、ちゃんとみんなでしゃべっているのです。
これは実際に飼ってみて育ててみないと分からないことかもしれません。“情操教育”には生きものを飼うことがぴったりなんですね。
アメリカのオーバリン大学のシンディ・フランツ氏は、
「社会的な動物である私たちは、生きものとつながり合いたいと思うようにできている。」
といいます。
あなたも、出来る範囲で何か生きものを育ててみると、生きものを見る目が変わってくるかもしれませんよ。すでにもう十分でしたか?
お読みいただきありがとうございます。スキ・フォローを頂けると嬉しいです。これからもよろしくお願いします。

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