欧米の自由と日本の自由は違うのか
一口に「自由」といっても、欧米と日本では捉え方が少々違うようです。
<自由とは>
「自由とは、他からの強制や束縛を受けず、自分の意志と責任に基づいて行動や決定ができる状態のこと」
<自由の文字>
自由という漢字を見ると、「自らに由(よ)る」となっており、自分自身を根拠とすることがうかがえます。
英語では、個人の内面的な解放を表す「Freedom」と、政治的社会的束縛からの解放を指す「Liberty」という2つの言葉があります。
<歴史的ルーツ>
欧米の自由は、市民が絶対王政や宗教的抑圧と闘って勝ち取ってきた歴史があります。
自由は権力からの干渉を排除することであり、個人の尊厳を守るためのものであり、権利なのです。
日本では、明治時代に入ってから、福沢諭吉らが自由という概念を翻訳したものです。
つまり輸入されたものなのです。
<文化的側面>
欧米の個人主義において、自由の主体は個人です。他人に迷惑をかけない限り、自分が何を考え、どう行動するかは個人の自由なのです。
一方日本では、周囲との関係性(空気)に左右されます。
「空気を読む」という制約の範囲内でのみ自由は許されるのです。
自分一人で決めるというよりは、周りから浮かないようにするということです。
<責任の捉え方>
欧米では、「自由には責任が伴う」という意識が強く、個人が自分の意思で決めたことには、その結果も引き受ける義務があるとされています。
いわゆる自己責任です。
これに対し日本には連帯責任という考えがあります。
一人が自分勝手な行動をして失敗すると、その家族や組織が「世間に申し訳ない」と感じるのです。
この点からも個人の自由は周囲に迷惑をかけない範囲に制限されているのです。
<社会的ルール>
欧米では、自由を維持するために、ルールを厳格に守ります。
逆にルールさえ守れば、それ以外は何をしても自由だという考えです。
ここでも、日本では明文化されたルールよりも「その場の空気」や世間体に自由が制限されます。
逆に、組織やグループの中にいれば、ある程度のミスやわがままは甘えとして許されるという、緩やかな自由もあるのです。
<権利の行使>
欧米で権利を行使することは、正当な自由であり、堂々と主張すべきとされています。
日本では、過度に権利を主張することは、わがままや自分勝手と捉えられがちです。
日本では遠慮や自制が美徳とされているため、自由の行使にも、罪悪感を抱いたり、他人の目を気にすることが多いのです。

<まとめ>
日本で欧米のように正論で押しまくったり、空気を無視したりすると、孤立してしまいます。
また、日本人が海外で、察してくれると思ったり、遠慮しすぎると、何もしていない人というレッテルを貼られてしまいます。
「能ある鷹爪を隠す」は通用しないのです。
以前の記事にも書いていますので、よかったらご覧ください。
一言で言うと、
欧米の自由は、国家から個人を守るためのものであり、
日本の自由は、その場の空気を読みながら、折り合いをつけるものだと言えるでしょう。
日本人にとって自由は、安心の副産物であり、欧米のように自由のために安心を犠牲にするという発想はないのです。
つまり、欧米では自由が前提であり、安心はその結果ですが、日本ではその逆で、安心が前提であり、自由はその副産物なのです。

最後に、面白いエピソードを紹介します。
コロナ禍の最中、日本では法的な強制力のない要請や自粛であったにもかかわらず、多くの人がマスクをして外出を控えました。
これは他人への配慮や社会的利益を優先する価値観の表れとされています。
これに対しアメリカでは、マスク着用の義務化やワクチン接種が、個人の自由を侵害する政府の圧政だとして多くの人が反発しています。
こんなところにも、自由に対する考え方の違いが浮き彫りになっていたのですね。
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