シャンソンハット物語(下)|戦闘服
前回までのあらすじ
神社でなぜかシャンソンを歌っていた中折れハットの紳士に声をかけられ、占いの鑑定を受けることになったサオリ。知らない人の家について行くのはよくないと思いつつ、恐怖と好奇心の間で揺れていた。(上は実話に近く、下はフィクションです)
バス?
「バス乗るんですか?」
「そうだよ、ちょっとそこまでね」
バスは、ほどなくして来た。
狭い2人掛けの座席だ。隣だけは避けたい。
サオリが固まっていると、シャンソンハットの方から、通路挟んだ向こう側の席に座るよう勧めてきた。
これには、サオリは心底ほっとした。
このままちゃんと距離感をわきまえてくれたまえ、シャンソンハット!
祈るような気持ちだった。
景色がどんどん緑になっていく。
近いって言ったよね。すぐそこって。
私はこれからどうなってしまうんだろう。
急に胸がドキドキしてきて、常識的に生きられない自分を、いつも以上に責めた。
かわいい子どもたち。
喧嘩もたくさんしたけどお世話になった夫。
実家の家族よ。
ほんと、今までありがとう。
そして、ごめんなさい。
泣きそうになりながらも、極限状態だったからか、サオリは眠ってしまった。
どれくらい乗っていたのだろう。
「次降りるよ」と言われてスマホを見ると、充電15パーセント。
しかも、電波が怪しい。
シャンソンハットは二人分の運賃を払った。
終わった……。
自分で支払えなかった。たった今、何かが変わってしまった。
私はシャンソンハットに運命を預けてしまったのだ。
もう戻れない。背中が静かに凍っていくのを感じた。
それでも帰りのバスの時間はちゃんと確認した。1時間に1本。
16時16分か。これを逃したら、家族に心配をかけることになる。
ちゃんと、逆算して帰れるようにしないと。
バス停からは、近道を通ればすぐだった。
タンポポの生えた田んぼのあぜ道を抜け、短い竹林をくぐると、古い日本家屋が現れた。
「ここだよ」
平屋だ。よかった。
出口もいくつかありそう!逃げ道あり。
大丈夫だと思ったら、鑑定がとにかく楽しみになってきた。
玄関をくぐると、左の応接間へ通された。
白檀のお香の香りに気分は高まった。
「ちょっと待っててね」シャンソンハットは一旦奥へ消えた。
木彫りの猫。
止まっている時計。
そしてこれは、ハワイの戦いの神「クー」の置物だろうか。
ものすごい形相でこちらを見ている。
正直そこにあるもののすべてが怖かった。
念のためレースカーテン越しに縁側の窓のカギに手をかけ、外しておいた。
準備完了。これでいつでも逃げられる。
するとまたサオリは、怖さよりワクワクが勝ってきた。
感情ジェットコースターだ。
生命線縮むわ。
「おまたせ~」
振り返った瞬間、思わず噴き出した。
なんで中華帽に変えてきたん?
しかも中華服。
「これ、俺の戦闘服」
(うん。もうこの人シャンソン中華じゃん。面白すぎ。けっこう好きかも。……もう、どうにでもなれ)
「けっこういいでしょ。ありがとね、サオリちゃん。ウーロン茶でいい?」
(こわっ。名前言ってない)
「あ、俺ね、戦闘服に着替えると、特殊能力発動しちゃうの」
(……うん。もうどうにでもなれ。ウーロン茶でお願いします)
「了解~」
コワイヨ、おかあさーん。サオリは泣きたくなった。40になっても、極限になると母親を思い出すものなんだな。
お茶を出されても絶対に飲まない、とサオリは心に決めた。
意外なことに、お茶を持ってきたのはシャンソンハットではなかった。
目じりに優しいしわが刻まれた、還暦は過ぎたと思われる物腰柔らかな女性だった。
「いらっしゃい。うちの人、いきなり話しかけてきて怖かったでしょ。よく来てくれました。ゆっくりしていってね」
奥様ですか?
と話しかけてみたかったけど、喉がつまって声が出なかった。
そこにシャンソンハットが、大きな木箱を抱えて戻ってきた。
「うん、俺の女房だよ」
開口一番言われた。
心の声、全て聞かれているんだった。慣れないなぁ、このシステム。
中華帽のてっぺんの間抜けな飾りを見ながら、サオリの口元はひきつったように少しだけ上がった。
「じゃあ、何からいこうか」
サオリは黙って手のひらを差し出した。大きな虫眼鏡でまずは左手から調べ始める。シャンソンハットの左手が私の左手を軽く触ってるのが気になった。近い。ちょっと近い。
「サオリちゃんは、ダンスやってるんだね」
え?手相で分かるものなの?
「そう、分かるの。俺すごいの。無心で踊って解放するのはいい。このまま続けなさい。これが使命と言ってもいい」
使命きたー!
「ここに運命の分かれ道の相も出てる。今40か、ちょうどだね」
今日はやっぱり特別な日だったのかも。勇気を出して、来てよかったのかもしれない。
虫眼鏡を置くと、シャンソンは小さな薄汚れた箱からカードを取り出した。
「じゃあ、タロット引くね。あ、サオリちゃん引いてみて」
出たのは恋人のカードだった。
「やっぱ俺たち、運命なんだね!」
「……違います」
(多分、このカード全部恋人のカード。ここに連れ込んだ女性全員に運命って言ってるだろシャンソン)
「違うよ、サオリちゃん。ほら見て。全部違うカードでしょ」
そうだ、聞こえてるんだった。このシステム、嫌。
「あ、お茶大丈夫だから飲んでね」
「いえ、大丈夫です」
「大丈夫だって、サオリちゃん。鑑定を進めていく上での大事な儀式の一つなんだから、ちゃんと飲んで」
大事な儀式の一つ、か。
少しだけ匂いを嗅いでみた。
ん~なんだこの香り。フローラル。結構好きな香りだ。
自然とカップに顔が吸い寄せられる。
サオリは、気づいたら口をつけていた。
あれ?これ、おいしい。飲みやすい。
「ね。結構おいしかったでしょ?サオリちゃん。……飲んだね?飲んじゃったね」
しまった!飲んでしまった。
目の前がふわっと揺れる。
神様、間違えました。
もう、後の祭りだった。
そのままサオリは、机に突っ伏し、気を失ったように眠り込んでしまった。
ここは……
ハワイの砂浜。
半分に割ったココナツで胸を隠し、葉っぱの腰みので踊っているのは……私?
海に向かって無心で踊っている。
最初、夕陽でよく見えなかったけど、船に乗った神様に舞を捧げているようだ。
船にどんどんフォーカスしていく。
波は荒くなる。
神様は、荒波にもまれながらこっちを見て微笑んでいる。
というか、にやついている。
……シャンソンハワイじゃん!
バチッと体に電気が走って目が覚め、映像が途切れた。
「やっぱり俺達、運命だったんだよ!」
食い気味に言ってくるシャンソンを遮るように、サオリは頑張った。
「違います」
「いや、どう考えても前世からの契りでしょ。サオリちゃんの使命はここで踊ることなんだ。さぁ、これを」
木の箱を手渡された。
嫌な予感しかしないのに、訳も分からず胸が高鳴る。
箱は古くて、ささくれ立っていた。ケガしないように細心の注意を払いながら、そっと蓋を開けた。
目に飛び込んできたのは、半割れの巨大なココナツと、萎れた葉っぱの腰みのだった。
なにこれ。何カップ?
「さあ。踊るんだ、サオリちゃん。自由に。さあ」
違う。これ、私のじゃない。
「とりあえず着替えれば全てが分かる。これがサオリちゃんの戦闘服だよ。特殊能力発動しよう?」
特殊能力発動か……
魅力的な言葉に一瞬引っ張られかけた。
「違う」
デカすぎるココナツを見てすぐ正気に戻った。
「私のじゃないです!」
サオリは急いで身支度して、そこから飛び出した。
普通に玄関から出られた。
少し振り返ると、奥さんとシャンソンが玄関先で並んで、にこやかに手を振っている。なぜ、笑っているのだ。
「違う。私のじゃない」
その言葉を反復していた。
竹林まで来ると、もう大丈夫だと思うと同時に、鼓動が激しくなった。
今起こったことを処理できずに心臓が強く反応しているようだった。
夢中で竹林を走り抜けると、バス停が見えた。
よかった!帰れる。
え、でも今何時だろう。
16時15分。
あと1分だ。
サオリは、間一髪のところでバスに間に合った。
スマホの電池は5パーになっていた。
座った瞬間、涙があふれる。
あっぶな。あと一歩で道を間違えるところだった。
儀式とか、いらない。
使命とか、マジでいらない。
私の人生は私のもの。
誰にも惑わされたくない。
でも、もしあのまま戦闘服に着替えていたら、どうなっていたんだろう。
特殊能力とは。
そんな考えがふとよぎって、違う違うと打ち消した。
いや、そんなことより夕飯どうしよう。
味噌汁、作ってあったな。
鶏肉があったはず。今日は、唐揚げにしよう。
待て待て、こんな特殊なことがあった日は戦闘能力ゼロだ。
おとなしく総菜を買って帰ろう。
もう絶対に知らない人について行かない。
サオリはそう心に決めた。
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