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【ポンコツひ孫探偵】古写真の戦艦の謎を追う!!追記:公式文書発見‼️昭和2年観艦式の金剛⁉︎


こんにちは、上乃です!
現在、私のひいおじいちゃん(高柳勝次郎・帝国海軍大佐)の海軍時代を描いた漫画を連載中なのですが、今回はその「時代考証・裏付けリサーチ」の裏側をお届けします。

実は先日、ひいおじいちゃんの遺した大量の資料の中から、とんでもない1枚の写真を発見しちゃいました。
まるで歴史のミステリーを解くような、ポンコツ探偵上乃の執念の捜査記録を聞いてください!(面倒な方は目次から解決編に飛んでください笑)

■ 謎の始まり:「この大砲の下にいる偉い人たち、誰?」

発端はこの写真です。

謎の古写真

巨大な大砲の下で、軍人やシルクハットの紳士たちがズラリと並んで記念撮影をしています。
後列の一番左で、ちょっと緊張した顔で立っているのが、私のひいおじいちゃん(勝次郎)です。

高柳勝次郎(ひいおじいちゃん)

AIに聞いたところ、肩に「飾緒(しょくしょ)」という金色の紐をつけているので、偉い人を補佐する「副官」時代なのはわかったのですが……。「いつ」「どこで」「誰と」撮った写真なのかが全くわかりません。
ここから、ポンコツひ孫探偵・上乃の捜査が始まりました。

歴史を動かす「黒い腕章」

まず気になったのは、写真の皆さんの左腕にある「黒い腕章」。
調べてみると、これは大正天皇が崩御されたことによる「喪章(服喪期間)」であることがわかりました。大正天皇が崩御されたことによる、軍人(陸海軍)が左腕に「黒い喪章」をつけていた期間は……
1926年12月25日 〜 1927年12月25日
(※大正15年12月25日 〜 昭和2年12月25日)

当時の規則(服喪令)により、丸々1年間(365日間)、この喪章をつけることが厳格に定められていました。
全員が分厚い冬服を着ていることと合わせると、この写真が撮られた時期は1926年の冬、又は1927年の冬。

大砲、でかくない……?

次に注目したのは背後の大砲です。
最初は「時期的に、新しくできた巡洋艦かな?」とも思ったのですが……じっと見ていると、

これは大砲…だよね?


「……いや、人間のサイズと比べても、大砲の筒デカすぎない?
「しかも筒に段差(タガ)がいっぱい巻いてあるし……」

AIに聞いたところ、これって、戦艦に積まれる超巨大な「35.6cm主砲」の特徴なんでは…!?
第二艦隊の旗艦、「金剛」なんでは…!?

文明の利器「Googleレンズ」発動!

時期は1926年か1927年の冬。場所は戦艦の甲板。(ぽい所)
では、真ん中に座っているこの一番偉そうな海軍の人は誰なのか?
ここで現代のテクノロジー『Googleレンズ』を駆使して顔写真を検索しまくりました。すると……!

絶対偉い人ということはわかる
Googleレンズで画像検索したら
提供元: Wikipedia
https://share.google/HTY3t2Hatfjk3Kqtw

この人だーーー!!たぶん!!
当時の第二艦隊司令長官・吉川安平 中将にそっくりです。
第二艦隊のWikipediaを調べると、
第二艦隊歴代司令長官
吉川安平中将:1926年12月10日〜
そして次の大谷幸四郎中将に長官を引き継ぐのが
1928年5月16日。

高柳勝次郎の副官時代の証拠

『現役海軍士官名簿』昭和2年2月1日調,[海軍省],[1927]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1905451

頼りにしまくってる国立国会図書館デジタルコレクションで1927年の現役海軍士名簿を調べてみると、ひいおじいちゃん(高柳勝次郎)はこの時、第二艦隊副官で間違いなかったです!!
1926(昭和元):12-1 二艦隊副官
1928:12-10 青島特務艦長
ひいおじいちゃんが吉川長官の副官だったのは1926年12月1日から1928年5月まで。

海軍の最前線に「陸軍の将軍」?深まる謎

ここで、写真の右側に写っているゲストたちに注目して、新たな疑問が湧きました。
シルクハットを被った政府高官らしき紳士たち。そして何より、右から2番目に座っている軍人さんです。
写真を極限まで拡大してみると……被っている帽子についているマークが、海軍の「桜と錨」ではなく、大日本帝国陸軍のシンボル「五芒星」に見えるんです。服装も陸軍特有の詰襟で、胸には将軍(少将・中将クラス)がつけるような大きな星章が輝いています。
「なぜ海軍の第一線で戦う部隊に、陸軍のトップや政治家たちが乗っているの?」
この謎を解くために、当時の記録や年表を漁ってみました。

浮かび上がる「特別大演習観艦式」説

色々と調べていく中で、ひとつの巨大な「可能性」に辿り着きました。
それが、昭和2年(1927年)10月末に横浜沖で行われた『特別大演習観艦式』です。
これは天皇陛下が主催し、なんと158隻もの軍艦が集結した国家最大の軍事パレード。日本初のラジオ実況中継も行われたほどの超特大イベントでした。
国を挙げてのお祭りだからこそ、陸軍のトップや政府のVIPたちが招待され、海軍の誇る巨大戦艦に乗り込んで「視察(という名の接待)」を受けていたのではないか……?
長官たちが冬服のコートを着ていること、そして喪章(大正天皇の服喪期間)をつけている時期ともピタリと重なります。

• ここは「戦艦金剛」なのか?

もしこの時、彼らが自分たちの本拠地(旗艦)である『戦艦 金剛』でVIPをもてなしていたとしたら……。背景にある巨大な35.6cm主砲のサイズ感とも辻褄が合います。
ただ、歴史の証明はそう簡単ではありません。
もしかすると、吉川長官と曾祖父は別の主力戦艦(陸奥や長門など)にVIPと共に招かれていたのかもしれませんし、あるいは観艦式とは全く別の、記録に残っていない極秘の視察だった可能性もゼロではありません。
前列左端に座っている「大佐」らしき人物の正体も、まだ完全には特定できていません。

この方、どなたでしょう…
こちらの方も…

■ 解決編:1枚の写真から浮かび上がる「歴史の可能性」

ポンコツひ孫探偵の執念の捜査(と、大量の公文書とのにらめっこ)の結果、100%の断定はできないものの、この1枚の写真を取り巻く「かなり濃厚な仮説」が見えてきました!
現在判明している事実と推測を掛け合わせると、こんな情景が浮かび上がります。

•場所はどこ?

昭和2年10月30日、横浜沖で「大演習観艦式」が行われました。
* 当時の第二艦隊旗艦: 戦艦「金剛」です(昭和2年12月1日に「榛名」へ交代する直前)。
* 御召艦: 戦艦「山城」。
* 供奉艦: 戦艦「金剛」「比叡」。
この観艦式には、当時の皇族や政府高官、陸軍長官たちが「金剛」などの供奉艦に分乗して参観しました。写真に文官(背広姿)や陸軍将校が混ざっているのは、観艦式の招待客や陪乗者である状況と完璧に合致します。背景に写る巨大な主砲のサイズや当時の所属から考えて、最前線の精鋭部隊・第二艦隊の旗艦『戦艦 金剛』の甲板である可能性が濃厚です。

• 背景の艦体:金剛との一致

背後に見える巨大な構造物は、「主砲の砲身」と、その付け根を覆う「キャンバス(防水布)」です。

* 形状の特徴: 非常に太く、段差のある砲身は、金剛型戦艦の36cm(14インチ)連装砲の特徴と一致します。
* 配置: 甲板の広さと主砲の角度から見て、後部甲板(3番・4番砲塔付近)での撮影と思われます。

• つまり、どんな状況?

第二艦隊トップ(吉川安平 司令長官)と曾祖父(高柳勝次郎 副官)が、招かれたVIPゲストたちを誇らしくおもてなししている……そんな瞬間に見えてきませんか?

■ 他軍のトップを迎える、極限のアウェー戦

ただでさえ、美保関事件の事後処理でボロボロになっていた時期。
「他軍(陸軍)のトップ」という、絶対に失礼があってはならないVIPご一行を自陣営でお迎えする……。
あの写真に写る吉川長官や曾祖父たちの、能面のように硬く張り詰めた表情。
それは、悲しみを押し殺しているだけでなく、「陸軍の最高幹部たちを相手に、海軍の威信をかけた極限の接待(アウェー戦)」の真っ最中だったからこその、凄まじい緊張感だったのです。
この「胃に穴が空きそうな特大プレッシャー」を踏まえた上で、次に進んでください。

華やかな写真の裏に隠された「凄まじい覚悟」

「華やかなお祭りでの記念写真かもしれない」。
そう考えると一瞬ホッとするのですが、当時の年表と照らし合わせた時、私は鳥肌が止まらなくなりました。
もしこの写真が、昭和2年10月末の観艦式のものだとしたら。
それは、日本海軍最大の悲劇と言われる「美保関事件」から、わずか2ヶ月後の姿ということになります。
8月末の深夜、猛訓練中に味方の艦同士が激突し、119名の命が失われた大惨事。ひいおじいちゃんのいる第二艦隊の部下たちでした。
ボロボロになった部下の船を背負い、仲間の死を悼み、事態収拾に追われる地獄のような日々……。曾祖父・高柳勝次郎は、副官としてその実務のすべてを最前線で取り仕切っていました。
悲しみや疲労のどん底にあったはずの時期に、国家の威信をかけた巨大イベントがやってくる。
彼はその重圧を心の奥底に押し殺し、長官の右腕として完璧な手腕で準備をこなし、当日やってきた陸軍の将軍やVIPたちを堂々と出迎えていたのかもしれません。

想像力で「歴史の空白」を埋めていく

誰が写っているかわからない、謎だらけの古写真。
でも、その背景を調べてみたら、そこには激動の時代を歯を食いしばって生き抜いた、海軍エリートたちの生々しいドラマの「気配」が隠されていました。
一枚の古写真から始まったこの長い推理劇は、単なる事実の答え合わせではなく、教科書には決して載っていない「彼らの体温」に触れるような、とても濃密な時間でした。
誰が写っているのか、完璧には解き明かせなかった「歴史の空白」。
でも、わからない余白があるからこそ、あの表情の裏にあったであろう凄まじい重圧や覚悟が、より一層リアルに想像できる気がします。
色褪せたセピア色の写真の向こう側で、彼らは確かに必死に、そして誇り高く生きていました。
これからも、ひいおじいちゃんが遺してくれた膨大な資料の山を少しずつ紐解きながら、彼らが駆け抜けた時代にもう少しだけ思いを馳せてみようと思います。
ポンコツひ孫探偵の捜査はまだまだ続く!!

いつの日か解き明かされるのだろうか

【追記:歴史の点と線が繋がりました!アジ歴で見つけた決定的な証拠】

以前から「この写真は戦艦『金剛』の艦上ではないか?」と推測していましたが、アジ歴(アジア歴史資料センター)の膨大な資料を読み解く中で、ついにその裏付けとなる決定的な公文書に出会いました。
それは、昭和2年の特別大演習観艦式の後に行われた「賜餐(しさん)」という、天皇陛下主催の公式な祝宴の出席者リストです。数万人規模の演習だったため、いくつかの戦艦が会場(賜餐艦)に指定されたのですが、その中の一隻、戦艦「金剛」のリストに、当時中佐だった曾祖父「高柳勝次郎」の名前がはっきりと刻まれていました。

「賜饌者名簿の件(陪観艦)(賜餐艦)金剛(1)」JACAR(アジア歴史資料センター)

※「(賜餐艦)金剛 第二艦隊司令長官及幕僚」の欄に高柳勝次郎の名前がハッキリと‼️長官の吉川安平中将も確認できます!

▼当時の公式記録はこちら(アジア歴史資料センター)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C04015795200
「賜饌者名簿の件(陪観艦)(賜餐艦)金剛(1)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04015795200、公文備考 演習7 巻73(防衛省防衛研究所)

この発見により、あの写真は単なる記念撮影ではなく、国会議員や各界の要人といったVIPを「金剛」に招き入れた、国家的な祝賀行事の真っ最中だったことが判明しました。
曾祖父は第二艦隊副官として、この大宴会の現場を取り仕切る最高責任者(ホスト役)を務めていたはずです。司令長官のすぐ後ろ、左端の定位置に凛として立つその姿は、まさに副官としての矜持を感じさせる一枚でした。
点と線が繋がり、当時の空気感が一気に鮮明になった感覚です!!

そして陸軍将校の正体は……長くなりすぎたので次回に続く!!笑

■引用元、情報元

『現役海軍士官名簿』昭和2年2月1日調,[海軍省],[1927]. 国立国会図書館デジタルコレクション

【Wikipedia : 吉川安平】


「賜饌者名簿の件(陪観艦)(賜餐艦)金剛(1)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04015795200、公文備考 演習7 巻73(防衛省防衛研究所)

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C04015795200


ここからは高柳勝次郎が書き残した「航舶日誌」から【金剛実験】【「金剛」夜間測距マニュアル】のページの直筆文書画像2ページと、現代語訳と解説がご覧いただけます!
はちゃめちゃにマニアックだぜ!

高柳勝次郎の航舶日誌のこのページは戦艦「金剛(こんごう)」が舞台です。大正7年に書かれたもの。
大正時代の最先端テクノロジーと数学が融合したマニアックすぎる2ページ。さっそく原文の文字起こしと、その驚くべき中身を解説していきます!

方位盤装置ヲ利用スル測距法(金剛実験)

101ページ 金剛実験
図のアップ

記号の出し方わからなかったのでAIが訳した画像
をぺたりします。

【一、原理】

【各記号の定義と実戦データ】

以上ノ関係ヲ方位盤ニ利用スルコト次ノ如シ。
T …… 前檣照準装置(マストの上の司令塔)
D …… 四番砲塔(船の一番後ろの大砲)
O …… 目標(敵艦)

【夜間戦闘での応用】

ここが凄い!現代語解説

① 伝説の戦艦「金剛」の最新鋭システム!
タイトルの「金剛実験」という言葉に歴史の重みがあります。戦艦「金剛」は、イギリスに発注されて建造された日本海軍の誇る超高速戦艦です。
そして、この金剛には当時世界最先端の「方位盤(ほういばん=Director)」という、船の上の高いマストからすべての大砲を一斉にコントロールするシステムが、日本で初めて搭載されていました。このノートは、その導入直後の超極秘の実験データを記録したものなのです!

② 船そのものを「巨大な定規」にする!
この数学の図形が意味しているのは「三角測量」です。
敵までの距離を測りたい時、勝次郎たちはどうしたか?
• 船の一番前にある高いマスト(点 T)と、一番後ろにある四番砲塔(点 D)の両方から、同時に敵(点 O)を狙います。
• 点 T と点 D の間の距離(基線)は、船の設計図から 97.15 メートル と完璧にわかっています。
• あとは、前と後ろで敵を狙った「角度のわずかなズレ(\phi)」さえわかれば、三角関数のコサイン(\cos)の計算を使って、数千メートル先の敵までの距離がバッチリ計算できる!という理論です。
つまり、全長200メートル以上ある戦艦「金剛」の巨大なボディそのものを、目盛り代わりの「定規」として使ってしまおう!というダイナミックな発想です。

③ 暗闇での「夜間戦闘」を制する数学
なぜこんな面倒な計算をわざわざしているのか? その答えが最後の「夜間研究射撃」という言葉に隠されています。
当時は光学式の巨大な望遠鏡(測距儀)で敵との距離を測っていましたが、真っ暗闇の夜間では望遠鏡が使い物になりません。
そこで、暗闇でも電気信号のメーター(指針)で角度のズレがわかるこの「方位盤」のシステムと、ノートに書かれた数式(\cos\alpha の近似値)を組み合わせることで、夜でも正確に大砲を当てるための計算表(修正表)を作っていたのです。

戦艦「金剛」夜間測距マニュアル

102ページ

原文文字起こし(102ページ)

【実戦での手順】

照準装置及四番砲塔ニ人員ヲ配置シ、四番砲塔旋回手ニハ「発射用意、打方(うちかた)」ヲ命ジ、之ヲ照準装置ニ直続ス。
四番砲塔受信器ニテ基追針ノ夾角(きょうかく)ヲ求メテ第一表ヨリ X ヲ決定シ、
次ニ旋回角差(右若ハ左ニテ十分ナリ)ヲ一見シ第二表ヨリ修正量ヲ見出シ、之ヲ加減シテ測得実距離トナス。

【三、測距傳達(距離データの伝達)】

四番砲塔ニ距離発信器ヲ備ヘ、発令所及前檣楼(ぜんしょうろう)受信器ト接続ス。

【第一表:角度と距離の一発変換表】

第一表
第一表書き起こし
第一表続き書き起こし

【第二表:大砲の旋回角度による修正表】

第二表

第二表
(※手書きの放射状グラフ。読み取りやすくするため、左側の「修正量」と斜めの「旋回角度」の対応表としてテキスト化します)
• 旋回角度 0° = 修正量 0
• 旋回角度 4° = 修正量 17
• 旋回角度 8° = 修正量 70
• 旋回角度 12° = 修正量 150
• 旋回角度 16° = 修正量 270
• 旋回角度 20° = 修正量 420
• 旋回角度 24° = 修正量 600
• 旋回角度 28° = 修正量 820
• 旋回角度 32° = 修正量 1060
• 旋回角度 36° = 修正量 1340
• 旋回角度 40° = 修正量 1640
(右下青色スタンプ: 7-9-20 および赤い丸印)

ここが凄い!現代語解説

① 数学を現場で使える「チートシート」に変換!
前ページのコサイン(\cos)を使った複雑な計算式。あんなものを、敵の弾が飛んでくる暗闇の戦闘中に計算機なしで解くのは絶対に不可能です。
そこで勝次郎たちは、「第一表」を作りました。
前と後ろの司令塔で敵を狙った時の「角度のズレ(\phi)」が電気メーターに表示されたら、この表を見るだけ!
「おっ、角度のズレが55分ピッタリだな。ということは敵までの距離は6092メートルだ!」と、一瞬で距離(X)がわかる一発変換表なのです。現代のプログラミングでいう「ルックアップテーブル」ですね。

② 大砲を横に回したときの「誤差」を修正する!
「第二表」も超実践的です。

船の長さ(97.15m)を基準に計算していますが、大砲を敵に向けてグワーッと斜めに旋回させた場合、幾何学的に三角形の形が少し歪んでしまい、距離に「誤差(修正量)」が生じます。
「大砲を斜め12度に向けた時は、さっきの距離から150メートル分を修正しろ!」という指示が、この「第二表」のグラフを見れば一目でわかるようになっています。

③ 情報を船全体で共有するネットワーク
「測距傳達」の項目に、「四番砲塔(一番後ろの大砲)で計算した距離データを、発令所(メインの司令室)と前檣楼(一番前のマスト)に電気で送信して繋ぐ」と書かれています。
超高速で移動する戦艦「金剛」の内部で、艦の端から端へリアルタイムにデータを共有するネットワークが構築されていたことがわかります。

…ひ孫上乃は、理系がさっぱりなので数式ももちろん全然わかりません笑
なるべく確認したはずですが間違ってたらすみません💦
AIが無いと一生解読出来ないところでした!

長くなりましたが、また次回もよろしくお願いします‼️



【資料・画像・本文の利用について】


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これらの資料については、各出典元の利用条件に従い、可能な限り出典を明記しています。

一方で、本記事に掲載している高柳勝次郎関係の家族所蔵資料、航泊日誌の画像・PDF、翻刻、解説文、注釈、漫画、構成、独自の整理内容等については、上乃かなえが家族資料として整理・公開しているものです。

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