自分は誰の記憶にも残っていない気がしている
自分は誰の記憶にも残っていない存在なのではないかと思うときがある。
もちろん、本当に誰の記憶にも残っていないのかはわからない。
ただ「この人の中には自分が残っているだろう」
と、思えるような確信がある相手も誰も浮かばない。
非常に悲しい。
誰とも関わっていないわけではない。
嫌われて終わった記憶ばかりでもない。
でも、何かが誰かに残っていたり、続いている感じもあまりしない。
そう考えると、
「自分は他人の記憶や人生にほとんど影響を与えず通過しただけ」
みたいな感覚になる。
自分の存在が本当にあるかどうかすらも疑わしい。
少し不安でもあるし、少し寂しくもある。
なぜ、そこまで「自分は誰の記憶にも残っていない」と感じるのか、正確にはよくわからない。
ただ、ひとつあるのは、「残っていると実感できる出来事」がほとんどないことだ。
ふと思い出されて連絡が来るとか、会いたいと言って貰えるとか、あなたと出会えて良かった、と言われるとか。
そういう、自分が誰かの中に残っていると感じる場面が、あまりにもない。
もちろんゼロではないのかもしれない。
まだ言われていないだけかもしれない。
でも、少なくとも自分の中では実感として積み上がるものはない。
だから、「まあ、残ってないんだろうな」という感覚の方が強くなる。
そして、自分がいなくなったことで何かが欠けるところまでいく感覚が持てるほどの関りがある相手もいない。
しかも、自分の中での「残っている」は、どちらかというとプラスの意味合いでだ。
嫌な記憶として「あいつマジで面倒だったな」は、わりと長期保存されるし、それはあるような気もする。
そうではなくて、「いてよかった」「良い影響を受けた」「何かが変わった」みたいな形で残っている感じがない、ということだ。
そしてたぶん、自分が引っかかっているのはそこなのだと思う。
自分がいなくなって困る人も、強く悲しむ人も、思い浮かばない。
というか、いないということが、この話の原因なのだろう。
そうなると「そもそも残りようがない」という感覚になっていく。
ただ「じゃあ残っていた方がいいのか?」と言われると、それもよくわからない。
もちろん、プラスな風に思われて残れていたら、普通に嬉しい。
夜中に、ほくそ笑みながら小躍りをしてしまうかもしれない。
だが、そこで少し引っかかる。
それを嬉しいと思うのは結局のところ、
「自分がそう思いたいだけなのではないか」という感覚があるからだ。
誰かの中に自分が残っていたとして、それを知れたら安心する。
しかし、それは相手のためというより、ただ自分の存在を確認したいだけにも見える。
残っていたら嬉しいと思うのはかなり「欲」でもある。
しかも、その欲が完全に自分のコントロール外にあることだ。
誰かの記憶に残るか。
良い影響として残るか。
それは相手の脳内の話であって、自分で操作できるものではない。
他人の記憶領域を、自分専用の永続ストレージみたいに扱うのは、まあまあ、いやかなり図々しい。
これはかなりの自己都合であり、勝手な欲望でしかない。
さらに厄介なのは、それを確かめる方法がほとんどないことだ。
仮に、本当に良い影響を受けたと思ってくれている人がいたとしても、
それをわざわざ自分に伝える義務はない。
むしろ、言わない方が普通まである。
だから「言われない=残っていない」とも言い切れない。
では、自分から確認しにいくのかというのも違う気がする。
「自分って君の記憶に残ってる?」みたいな確認は、だいぶ痛い。
しかも聞かれた側も困る。
「いや、残ってますよ」と、言ってきても気を遣っている可能性もある。
「は?残っていませんよ」と、正直に返せる人間もあまりいないだろう。
人は自分ほど他人のことなんて考えていない。
みんな意外と、自分の生活、自分の悩み、自分の昼飯のことなどで忙しい。
そうなると、答え合わせ自体にそこまで意味がない気がしてくる。
むしろ、「自分は誰の記憶にも残っていない」という前提でいた方が、
変に期待もしなくて済むし、自然なのではないかとすら思える。
誰かの中に残っていることを前提にすると、どこかで確認したくなる。
確認したくなると、今度は反応を求め始める。
でも、他人の中にある自分を確認し始めた瞬間、少しずつ関係そのものが歪む感じもする。
だから結局、残っているかどうかはわからないままでいいのかもしれない。
仮に自分が誰の記憶にも残っていなくても、実害はたぶんそこまでない。
陽はまた昇るし、腹も減る。
あるとしたら、自分の気持ちぐらいだ。
少し寂しい。
少し虚しい。
何も残せていない気がする。
結局は、そう思っている自分の問題とも言える。
他人の記憶をコントロールすることはできない。
でも、「残っていないと価値がない」と考えるかどうかは、コントロールできる。
本音を言えば、どこかには残っていたい。
良い感じで覚えられていたら嬉しい。
だが、それを人生の前提にすると、
ずっと他人の脳内を気にしなければいけない。
それはたぶん、かなり疲れる。
だから、
「残っていない気がする」から、
「まあ、残っていないだろう」になり、
「残ってないけど今まで来たじゃない」くらいに着地し始めている。
何度も言うが、どこかに良い形で残っていたら嬉しい。
でも、だからといって「残るため」に何かをするのも、少し違う気がする。
爪痕を残そう。
痕跡を刻もう。
人生にインパクトを与えよう。
そういう方向に行き始めると、急に存在感の押し売りみたいになってくる。
しかも、そうやって残そうとしたところで、本当に残るかはわからない。
他人の脳内保存期間なんて読めない。
こちらは長期保管希望でも、相手側では自動削除設定搭載の可能性もある。
そして冷静に考えれば、
自分は別に「誰かに影響を与えるため」に生きているわけではない。
「誰かに影響を与えたい」が人生の主たる目的としてあるかと言われると、
たぶん違うし、あまりないかもしれない。
何かを残せたかどうか。
誰かの記憶に刻まれたかどうか。
それは結局のところ、最後まで自分にはわからない。
なら、無理に確認しなくてもいい。
無理に痕跡を残そうとしなくてもいい。
ただ関わって、通り過ぎて、さようならで終わる。
無理に残そうとするよりも、自然に残っていたら嬉しいでいい。
「ああ、残ってたんだ」くらいのことがあったら、それはもう満点だ。
でも、誰の記憶にいなくても、別に赤点というわけでもない。
誰の記憶にも残らないような自分からすれば、
誰にも何も残さず「さようなら」でも、上出来なのかもしれない。
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