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自分は優等生のような人がタイプなのかもしれない

それなりに生きてきて、それなりに人生経験もしてきたつもりだ。
それなのに、自分の好みのタイプというものが、いまいちよく分からない。

優しい人が好きなのか。
面白い人が好きなのか。
気が合う人が好きなのか。

どれも間違ってはいない気がするが、どうもしっくりこない。
そんなことを考えていたら、思い当たることがあった。

もしかすると、自分は優等生のような人がタイプなのかもしれない。

そう思ったのは、これまで仕事で関わってきた女性の影響もある気がする。

真面目で、責任感があって、しっかりしている。
自分の中では、いわゆる優等生然とした人たちだ。

そして、自分はそのような人のことをとても好ましく思っている。
ただ、いつも最初は合わないだろうなと思ってしまう。

真面目そうだし、自分とは住む世界が違うように見えるからだ。

タイプが定まらないまま、ここまで来たのはこの学習能力のなさや先入観の強さのせいかもしれない。

ところが話してみるとそうでもない。
むしろ話していて楽しいし、気付けば一目置いている。

振り返ると、小学生の頃から自分は優等生のような人たちに一目置いていたことを思い出してきた。

学級委員や班のリーダー、学芸会の主役。

みんながやりたがらないことを引き受ける人たち。
子どもの頃の自分には、少し大人に見えた。

そして、当時も自分とは住む世界が違う人たちだとも思っていた。

ところが、不思議なことに話すようになる機会はあった。

そして話してみると、思っていたのと違った。
勝手に自分とは違う生き物と思っていたのだが、そうでもなかった。

自分はクラスの中で、少し変な位置にいたと思う。
特別目立つわけでもなく、グループに深く属しているわけでもない。

かといって孤立していたというよりは、あまり分類されない位置にいたような感覚がある。

それはあまり今と変わっていない気もしなくはない。

そして、優等生と呼ばれていたような人たちにも、なぜか少し似たようなものを感じていた。

完全に集団の中心にいるようでいて、どこか一歩引いたところから周りを見ているような感じだ。

いつの間にか、たまに二人で話す機会ができていた。

日常の中でもたまにあったが、わかりやすい例がいくつかある。

学芸会の主役を決めるときだった。

男女主役の劇で、男役はクラスでちょっと厄介な男子がやることになった。
その時点で女子側は誰も相手役に名乗りを上げない。

厄介な男子は優等生の女子のことが好きなようで、その子を相手役にしてくれと喚いていた。

ごね得とでもいうのだろうか、可哀そうなことだがそれは通った。

優等生の子は、泣くのを我慢して受け入れていたけど、明らかに納得していない表情をしていた。

周りの女子も、可哀そうとか言いながら囲んでいたが、そうなった。

もろもろ少し落ち着いたあとに、優等生の子に話しかけられた。

何を言われるのだろうと思って、

「どした?押しつけられて、えらい災難だったな」みたいな、何の気も利かない言葉をかけた記憶がある。

そこからどういう話になったかというと、

延々と「マジで嫌なんだけど、最悪だわ」って話を聞かされる感じだった。

おいおい、さっきは囲んでる女子たちに「仕方がないから」みたいなことを言っておったじゃないか。

やっぱ、嫌だったんかい!と、少し笑ってしまうぐらいの勢いだった。

こちらも一通り話を聞いて、

「まあまあ、ほんとにウザいときは言って来いよ」とか、
「二人で練習だとか言ってきたら、声かけて来いよ」とか、

こっちもクソガキなりに、なだめたりした。
その時に優等生の子のことが、前よりもなんか良いなって思った気がする。

また、別の学芸会の時の話だ。

優等生の子が劇中でソロで歌を唄うシーンがあった。
その歌を延々とみんなの前で練習させられている。

先生はヒートアップしていて、「そんなんじゃ聞こえないよ!」と、
蜷川ばりに演技指導をしていた。

「会場の後ろまで大きな声で届かせないと、マイクは使わないんだから!」

というこだわりを1時間以上も披露していた。

何を思ったのか覚えていないが、それを見せられていた小道具係のボンクラの僕は、のそのそと先生の方に歩み寄っていったらしい。

これは、それを見ていた同級生が今でもたまにしてくる話だ。

その先生の近くにいた別の先生に向かって、

「後ろまで聞かせたいなら、マイク使った方が早いんじゃないですか?」

というようなことを言いに行ったそうだ。

正直、自分ではあまり覚えていない。
ただ、その直後にマイクを使うことになったらしい。

自分としては優等生の子を助けようとか、先生に反抗しようとか、そんな大層な理由はなかった。

ただ単純に、

「なんでそんなに大変なことをしているんだろう」

と思っただけだった気がする。

後になって思うのは、この時も自分は優等生の子と同じものを見ていたのかもしれない。

もちろん立場は違う。
向こうは主役で、自分は後ろで暇をしている小道具係だ。

それでも、理不尽なことは理不尽だし、面倒なことは面倒だ。
そう思っていたのは、自分だけではなかったんじゃないか。

もうひとつ覚えていることがある。

小学校の頃、クラスで仲間外れが問題になったことがあった。

先生は大激怒で鼻息荒く、泣いている男子生徒を連れてきて、朝から学級会が始まった。

しかも、一日では終わらずに数日続いた。

正直なところ、自分は何も知らなかった。

その仲間外れは主に昼休みに起きていたらしいのだが、自分は昼休みになると、ひとりで入手した鍵を使って司書室に入り浸って過ごしていたからだ。

男子が順番に尋問されていくことになり、運悪く一番手は自分だった。

先生に、「昼休みは何をしていますか?」と聞かれて、

「図書室で本を読んでいます(司書室とは言わなかった)」

と、答えた時点で自分の学級会はほぼ終わった。

そもそも現場にいない。

仲間外れにされてるわけではないが、別の理由でひとりでいる奴ということが、ただ白日の下にさらされるだけで終わった。

にもかかわらず、自分が部外者になった白熱の学級会は続く。
開始直後に戦力外通告をされたのと変わらないのにベンチにはいる気分だ。

しばらくしてから、隣の席だった優等生の女子に、

「俺はいったん帰るから、また明日教えてくれ」と言って途中で帰った。

翌日、学校に行ったら、隣の優等生の女子に、

「今日も学級会だよ」と言われ、「マジかよ」と思った記憶がある。

そして最終的な結論は、「昼休みはクラス全員で遊びましょう」だった。

仲間外れをなくすためらしい。

自分が最初に思ったのは、「俺の司書室ライフはどうなるんだ」だった。

そんな話をしたら、その子は笑いながら、

「最初は参加しときなよ。どうせいつまでも続かないって」と言った。

今振り返ると、その言葉は妙に印象に残っている。

「みんなで仲良くしなきゃだめだよ」みたいなことを言わない感じも、
少し自分の気持ちを理解してくれている感じも含めて、何か大人に思えた。

理想だけではなく、現実も見ている。

そんなところに、自分は昔から一目置いていたのかもしれない。

こうして思い返してみると、自分が惹かれていたのは優等生そのものではなかった気がする。

成績が良いことでもない。
先生に褒められることでもない。
みんなの模範であることでもない。

面倒なことは面倒だと言う。
嫌なことは嫌だと言う。
理不尽なことには文句も言う。

それでも、誰かがやらなければならないことを引き受ける。

自分には到底真似できないことを、文句を言いながらでもやっている。
だから「すごいな」と同時に「偉いな」と思っていた。

学級委員もそうだし、班長もそうだし、学芸会の主役もそうだった。
そして、仕事で出会って好きになる人たちも、皆そうだった。

自分はそういう人たちとは合わないと思っていた。

真面目そうだし、自分とは住む世界が違うと思っていた。

でも実際は違った。

話してみると意外と面白い。
気が付けば一目置いている。

そんなことを何度も繰り返している。

だから、自分は優等生のような人がタイプだと思ったのかもしれない。

いや、少し違う。

良くなろうとか、成長しようとか、誰かのために何かを引き受けようとか。

みんなよりも、「しっかりしようとしている人」に尊敬の念を抱いているだけなのかもしれない。

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