やる前に「やる意味」ばかり考えたって意味はない
意味のあることをしているかどうか定かじゃない奴に限って、
何かをやる前の「意味」にうるさかったりしないだろうか。
別に、
「それをやる意味は何ですか?」
「本当にやる意味はあるんですか?」
と声高に言ってくるわけではない。
ただ、言葉の端々や態度に滲み出ている。
何か新しいことを始めようとすると、どこかで損得を計算し始める。
もちろん、意味を考えること自体は悪いことではない。
無意味だと分かり切っていることを避けるのは当然だ。
だが、やる前からやることの意味や、
やった後に生まれる意味まで分かるほど、
人間は、未来を確実に見通せる生き物でもない。
まして、やったことをないことをやろうとしてるなら、なおさらだ。
いつからか、何かをする前に意味を求める人が増えた気がする。
成果が出るのか。
役に立つのか。
自分に得があるのか。
そんなことばかり聞いている。
しかも、これらは意味を確認しているようで実際は少し違う。
責任が増えないか。
面倒事を抱えないか。
余計な仕事にならないか。
自分がやらなくて済む方法はないか。
そんなことを気にしている場合も少なくない。
「やる意味」を探しているというより、「やらない理由」を探している。
仕事というのは本来、やってみなければ分からないことだらけだ。
新しい業務を経験して初めて見える景色もある。
興味もなかった知識が後になって役立つこともある。
面倒だと思っていた仕事が得意分野になることだってある。
これらはすべて、やった後にしか見えてこない意味だ。
やる前から意味が分かるというならば、それは経験ではなく出来レースだ。
だが、別に何も考えずにとにかくやれと言いたいわけでもない。
壮大なプロジェクトのようなものや多額の金が動く話にではない。
利害関係者が入り乱れるような話にでもない。
これらのような小難しい意味のようなものが必要になるものではなく、
日々の仕事や勉強、「自分の範囲でできる小さなもの」に対してである。
このような小さなものには、
少し興味があるから。
やってみたいから。
できるようになりたいから。
自分なりに価値があると思うから。
その程度の理由で十分だ。
むしろ、その程度の理由で始まることの方が多いぐらいだ。
もっと言えば、やる前に意味は分からないかもしれない。
少なくとも、やりたいからやった。
できるようになりたいからやった。
そして、実際にできるようになったのなら、それだけで十分意味はあったと言えるはずだ。
やれるようになったことに、「それって何の意味があるの?」と言われることもあるかもしれない。
そんなことを、やろうともしなかった人に言われても、あまり意味のある言葉には聞こえない。
後から振り返れば意味のあった経験も、当時はただ面白そうだっただけかもしれない。
役に立った知識も、最初は何となく気になっただけかもしれない。
だが、それでいい。
というか、それぐらいでいい。
意味というのは、最初からそこに置いてあるものばかりではない。
やっているうちに意味が見つかることもある。
やった後になって初めて分かる意味もある。
だから、やる前に意味が見つからないなら、やってから考えたって別に遅くはない。
やった後に意味を考えることで、やる前の意味とも変わることすらある。
やる前に意味を考えるなとは言わない。
妙な理屈や計算を持ち出して、やらない意味を考えるぐらいなら、
大した意味なんかなくても、やりたいからやるだけでいいじゃない。
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