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誘われるとすごく嬉しいと感じる理由と少しの不思議さ

誰かに誘われると、とても嬉しい。
自分でも少し大げさかもしれないと思うくらいに、素直に嬉しくなる。

理由とか関係なく、先に感情が跳ねる。
その前に来るこの嬉しさは、ごまかしようがない。

でも、なんでこんなに嬉しいと思うのか。
嬉しいはずなのに、どこか不思議さが残るのはなぜなのか。

その感覚を、自分なりに整理してみた。


誘われると、なんでこんなに嬉しいんだろう

誰かに誘われると、とにかく嬉しいわけなんだけど、
その嬉しさの正体を少し考えてみると、単に「誘われた」という事実はもちろん、その前段にあるものに反応している気がする。

つまり、「自分を思い出して声をかけようと思われた」ということだ。

誰かの頭の中に、一瞬でも自分が浮かんでいる。
その上で「誘ってみよう」と判断されている。

そんなことがあるのかと、素直に嬉しい。
自分ではコントロールできない部分だからこそ、余計にそう感じるのかもしれない。

そしてさらに大きい部分は、自分の中の前提だと思う。

正直なところ、そもそも誰かに気軽に誘ってもらえるタイプではない。
もっといえば、自分は誰かに選ばれる存在でもないということだ。

だからこそ、たまに誘われるという出来事が起きると、
その前提が一瞬だけ少し崩れる。

「え、なんで自分?」という感覚と、「でも嬉しい」が同時に来る。

嬉しいのは、たぶんそのギャップなんだと思う。
想定していない場所から、自分に向かって意思が飛んでくる感じ。

誘う側にとっては、なんとなく声をかけた程度なのかもしれない。
ただ、自分にとってはそれでも思っている以上に大きく感じられる。

それが少し不思議で、でも確かに嬉しい。

誘われるのは嬉しいけど、不思議でもある

嬉しさで終わらずに、少し不思議な気持ちが残るのはなんでなんだろう。

たぶんその理由は、自分の中の感覚と、起きている現実が少し噛み合っていないからだと思う。

自分は、「自分はあまり選ばれる側ではない」という前提を持っている。
つまり、自分が誰かの中に強く残っているイメージがあまりない。

だからこそ、「思い出された」という事実と「しかも誘われる」という結果がつながると、嬉しさに昇華するが、そのあとに少し立ち止まってしまう。

自分はそこにいないのに、誰かの頭の中では自分が浮かんでいる。
そしてその思考が、ただの記憶で終わらず、行動に変わってこちらに届く。

その構造を考えると、自分の現実感の枠を超えている。
自分の中では起きない前提でいることが、そのまま不思議さにつながっている気がする。

それでも実際には、たまにそういうことが起きている。
誰かの中で自分が思い出されて、その結果として誘われる。

理由ははっきり分からなくても、その事実だけは残る。

嬉しいという感情は揺らがない。
でも同時に、「なんでだろう」という感覚も消えない。

自分は気軽に誘えないからこそ、嬉しい

誘われない存在の前提がある自分は、
誰かを気軽に誘うということもあまり得意ではない。

少し考えてしまうし、タイミングや距離感も気にしてしまう。
そもそも誘いに乗ってくれる気すらしない。

だからこそ、誰かに誘ってもらうという行為は、自分の中では軽いものではなくなる。

相手にとっては、そこまで大きな意味はないのかもしれない。
ただ、実際に「誘ってみよう」と思って、それを行動に移すところまでいっていること自体には、少し違う重みを感じる。

ただの気分や何となくだとしても、ちゃんと考えたうえで動いている意思のようなものがある気がして、少しだけ尊敬に近い感覚も混ざる。

そういう前提があるからこそ、誰かに誘われるという出来事は、そのまま素直に嬉しい。

同時に、自分の中の「自分は選ばれる側ではない」という感覚とも少しだけズレるので、やっぱり不思議さも残る。

嬉しいのは、思い出されて誘われたという事実そのもの。
不思議なのは、その選ばれ方が自分の中の前提と噛み合っていないこと。

そしてその奥にあるのは、
相手がわざわざ行動に移してくれたという事実への感謝なのかもしれない。

だからこの感情は、単純な「嬉しい」だけでは終わらない。
嬉しさと、不思議さと、少しの尊敬が、同時に起きている。

誘ってくれる人には、有り難さしかない

誘ってくれるということは、誰かが自分を思い出して、行動に移してくれているということだと思う。

その上で、自分と時間を使うという選択をしてくれている。

それはつまり、少なくともその瞬間において、自分に何かしらの価値があると判断してもらえているということかもしれない。

ただ、自分の中にはもともと、
「自分は誰かに選ばれる存在ではない」という前提がある。
だからこそ、その判断自体がまず少し不思議でもある。

誰にとっても時間は限られていて、他に優先すべきこともあるし、疲れているときもあるし、一人で過ごしたいときもある。

そういういろいろな選択肢がある中で、それでも自分を思い出して、わざわざ誘うという行動を取ってくれている。

そのこと自体が、すごく嬉しいし、有り難いと思う。

結果として残るのは、やっぱりシンプルで、
誘ってくれる人には有り難さしかない、という感覚になる。

だから結局、誘ってくれることが有り難いから、嬉しいんだと思う。

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