マイナスの結果を出した奴に限って「1」の積み重ねを否定する
冷静に考えてみてほしい。
これから種を植え、育て、収穫をしないといけない。
そのとき必要になるのは何か。
立派な収穫計画か。
壮大な将来予測か。
それとも「来年は10倍獲れます」という景気のいい話か。
違う。
まずは1粒の種である。
種がなければ何も始まらない。
ところが不思議なことが当たり前のように起きる。
例えば、100粒の種を必死でかき集める。
それを我々は渡す。
そのまま植えてくれればよかった。
だが、もっと効率よく育つ方法があると言い出すやつがいる。
あれこれ手を加え、水に浸け、
余計な工夫を施し、結果的に100粒すべて腐らせた。
そして、種が1粒も残っていない状態になったあとでこう言う。
「次は1000粒用意してくれ」と。
100粒を無駄にしたことは置いておいて、1000粒あれば問題ないらしい。
100粒では足りなかった。
だから1000粒が必要なのだという。
さらに、今さら1粒や2粒を集めたところで「焼け石に水」だとも言う。
それじゃ遅い。
間に合わないのだと。
確かに、焼け石に水かもしれない。
マイナス100の状況に1を足したところで、大した変化にはならない。
だが、その焼け石を作ったのは誰だ。
火に油を注ぐようなことをして、100粒の種を腐らせただけの、
お前に言われる筋合いはない。
我々は100粒の種を魔法で生み出したわけではない。
必死に1粒を見つける。
さらに探して1粒を追加する。
そうして1を積み重ね、ようやく100にしたのである。
その積み重ねを無駄にした人間が、今度は1000粒持ってこいと言う。
そして、1粒ずつ集めることを「意味がない」と切り捨てる。
随分と虫のいい話である。
だが、無能なマーケティング部長などはこれと同じことをよく言ってくる。
今さら1件や2件の獲得や改善をしたところで意味がない。
そんなことをしている暇はないと鼻息を荒くする。
もっと大きな施策が必要だ。
もっと大胆な投資が必要だ。
もっと大きな成果を狙わなければならない。
だが、冷静に考えてほしい。
その状況を作ったのは誰だ。
これまで積み上げてきた100を失わせたのは誰だ。
そして、その人間は今までに自分で1を持ってきたことがあるのだろうか。
別に1000を否定しているわけではない。
1000獲れるなら欲しい。
10000でも欲しい。
やれるならやったっていい。
だが、1を持ってこられない人間が100を語り、
100をマイナスに変換した人間が1000を語ったところで、
そこに何の説得力があるのだろうか。
そもそも100という数字ですら、1の積み重ね以外に到達する方法はない。
天から降ってくるわけでもない。
会議室で語っていれば増えるわけでもない。
お前がバカにして無意味だと語る1の繰り返しでしかない。
マイナスを作った人間が「1」に価値がないという姿を見ると腹立たしい。
お前が笑ったその1を、誰かが何度も何度も運んできたからこそ、
今までなんとか成立していたのではないか。
そして、その有難さが分からないどころか、
お前は100をむざむざ失っただけではないか。
まあでも、仕方がないのかもしれない。
1を積み上げたことがない人間には、1の価値は分からない。
だから平気で無駄だと言う。
だから平気で焼け石に水だと言う。
だから平気で1000を語る。
恥ずかしいとも情けないとも思えない頭の作りなのだろう。
だが残念ながら、1を作れない人間に100は作れない。
ましてやマイナスしか作れなかった人間が1000を語ったところで、
それは計画でもなければ願望でもなく、何か言ってるなってぐらいだ。
そろそろ、何か1ぐらいはしっかりやってみてくださいよ。
あんたには、焼け石に水にもならないかもだけどな。
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