NikeとAppleが交差した、デジタル体験の始まり。—NIKE+(ナイキプラス)ロンチプロモーション(2006年)
仕事場の記憶 Vol.13
このシリーズは、私が長年立ち続けてきた“現場”の記憶です。
変化の激しい時代の中で、自分がこれまでどんな現場に立ち、どんな熱狂を作ってきた人間なのか。その足跡を具体的に残すために、この「仕事場の記憶」を綴っています。
光と音の温度、人の表情、空気の重さ――言葉では残らないものを記録しています。
Nike+ iPod ― 音楽とランニングが繋がった

2006年の秋。
まだ iPhone が日本に登場する2年前。
スマホもSNSも一般的でなかった頃。
音楽を聴くことと、
走ることが初めて“データ”でつながった。
当時の私たちが手にしていたのは、
いま思えばずいぶんプリミティブな「iPod nano」と、
小さなワイヤレスセンサーだった。
それをナイキのシューズに埋め込み、
走るたびに音楽とデータがリンクする。
それだけのことが、当時はまだ“未来の出来事”だった。
NikeとAppleが手を組んだ日
NikeとApple――。
この二つのロゴが並ぶだけで、会場の空気が変わった。

「スポーツとテクノロジー」
「身体とデザイン」
「アスリートとミュージシャン」。
それぞれの世界を象徴するブランドが、
初めてひとつの体験をつくろうとしていた。
iPod nanoとNike+シューズ、
そして“センサー”と呼ばれる小さなチップ。
走ると、そのデータがiPodに転送され、
ランニングの記録が「nikeplus.com」にアップロードされる。

いまのApple Watchやスマートシューズの原型。
その最初の一歩が、この「Nike+ iPod」だった。
ナイキジャパンから届いたブリーフには、こんな言葉があった。
“Nikeはスポーツを、
Appleはメディアを変革してきた。
そして両者には、
イノベーションとデザインへの情熱という共通のDNAがある。”
この一文が、すべての出発点だった。
単なる製品ローンチではなく、
ブランドとブランドの価値観を掛け合わせる“体験”をどう見せるか。
それが、私たちの仕事だった。

4会場をつないだ“デジタル・リレー”
会場は、東京と大阪にそれぞれ二つずつ。
東京は渋谷マルイ前の特設ステージとApple Store 渋谷。
大阪はNike OsakaとApple Store 心斎橋。
この4地点にWebカメラを設置し、
ISDN回線で結んでモニター上で同時中継を行った。
ステージ上にはランニングマシン。
トレッドミルを走るランナーのデータが
リアルタイムで画面に映し出され、
その数値が他会場とリンクする。
東京と大阪のランナーが“
どちらが多くの距離を走れるか”を競い合う。
まるでオンラインマラソンのような仕掛けだった。
渋谷のMCが叫ぶ。
「4会場合計で200キロ、いけるか?」
大画面に現れるのは、心斎橋のランナーの姿。
iPodの画面に浮かぶ距離表示、走者の表情、観客の拍手。
その一つひとつがデジタル回線でつながり、
「Nike+」という名前の通り、“プラス”の絆が生まれていく。
いま思えば、この中継システム自体が、
「ネットとリアルの融合」という、
次の時代のプロトタイプだった。


渋谷マルイ、街角のランニングステージ
現場の図面を見返すと、
あの空間の熱がよみがえる。
ステージ、モニター壁面、
メイントレッドミル、受付カウンター…。

渋谷マルイのガラスファサードを背景に、
街ゆく人が足を止めるようにレイアウトされていた。
MCが声を張り上げる。
「あなたの走りを替えるアイテム、Nike+!」
その横でランナーが汗を流し、
iPodの画面に“距離”が刻まれていく。
モニターには大阪の映像。
心斎橋のランナーが15分走り続けていると知ると、
渋谷の観客がざわめく。
「よし、抜こう!」という声が自然に起きる。
夕暮れの渋谷。
ビルの谷間を風が抜け、
iPodからの音声がスピーカーを通じて会場にも流れる。
好きな音楽を聴きながら走る。
そして、走行距離や時間を音声で伝えてくれる。
バテそうなとき、つらくなってきたとき、
あらかじめ設定しておいた「パワーソング」がランナーを奮い立たせる。
あなたならどんな曲をパワーソングに設定するだろうか。


200キロのゴール ― データが生んだ歓声
夕方を過ぎる頃、4つの会場をつないだスクリーンに、
ひとつの数字が現れた。
「198.7km」。
あと少しで200キロに届く。
その数字が、まるで生き物のように点滅し、
各会場から歓声が重なっていった。
MCが声を張り上げる。
「この調子なら200キロ、いけるぞ!」
渋谷のマルイ前では、最後のランナーが
トレッドミルの上で足を踏み鳴らしていた。
背後のスクリーンに映るのは、大阪・心斎橋のナイキストア、
そして渋谷と心斎橋のApple Store。どの会場でも人だかりができていた。
iPodの画面が刻む数字。
ランナーの心拍。
観客の手拍子。
それらすべてが、データとして同期していく。
MCが叫ぶ。
「200キロ、達成!」
瞬間、マルイ会場には拍手と歓声が起こり、
悔しそうにしている大阪のランナーたちが映し出される。
データがつないだ歓声。
それは、まさに“デジタルが身体を拡張した瞬間”だった。
その日の終わり、スクリーンに映し出されたメッセージは、
「Tune your run.」――自分の走りをチューニングせよ。

それは、ナイキとアップルが共同で贈った、
未来へのシンプルなメッセージだった。
テクノロジーが街に出た日
2006年のこのイベントを思い返すと、
私たちはまだ“スマートフォン”という言葉を知らなかった。
データはUSBで同期し、
ランナーは有線イヤホンを耳にかけて走る。
それでも、あの日の渋谷には、
テクノロジーが街に飛び出したような熱があった。
インターネットは、まだPCの中にあるものだった。
その「ネットの世界」が初めて、
人の身体と街の風景に接続された。
それが「Nike+ iPod」という実験だった。
この日、走ったのはランナーだけではない。
ナイキも、アップルも、
そして私たち制作者もまた、
「これからの体験」の方向へと一歩を踏み出していた。

仕事の記憶として
夜の渋谷マルイ。
イベントが終わり、
照明が落ちた会場に、
モニターの光だけが残っていた。
トレッドミルの上では、
iPodの小さな画面がまだ点いている。
そこに表示されていたのは、最後のランナーのデータ。
たった数キロの数字だったけれど、
それが一日の積み重ねの証のように思えた。
あの頃はまだ、「体験」という言葉も今ほど広まっていなかった。
でも振り返ると、Nike+ iPod のイベントは、
まさにその“体験をつくる”試みだったのだと思う。
テクノロジーをどう見せるか、
どう人の感覚につなげるか――。
現場で考えていたのは、
いつもそのことばかりだった。
今のように誰もが手のひらでデータを見て、
走りを可視化できる時代になるとは想像もしなかった。
けれど、あの2006年の秋、
私たちは確かに“その入り口”に立っていた。

もし、
企画や台本が固まりきらないまま
立ち止まっている感覚があれば、
下記の記事に考え方をまとめています。
→「企画や台本が固まりきらないまま、立ち止まっている方へ」
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小さな“現場の記憶”を残しています。
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