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邪馬台国はなぜ“見つからない”のか ── 史書は“答え”ではなく、“意図”でできている

世の中おかしい Vol.9 | 邪馬台国というロマンと、正史という権威


疑われる日本書紀


あなたは、歴史をどこまで疑ったことがあるだろうか。

邪馬台国はどこにあったのか。
この問いは、長いあいだ日本史のナゾとして語られてきた。

だが本当に問うべきなのは、そこではない。

なぜ私たちは、「史書を読めば答えが出る」と思っているのかだ。

古代日本を語るとき、必ず持ち出されるのが魏志倭人伝 だ。

ここに邪馬台国や卑弥呼が記されている。
だからこれを基準に、日本の古代史が語られてきた。
一方で、日本書紀 には邪馬台国が出てこない。
この点をもって、こう言われる。

「日本書紀は信用できない」

だが、少し冷静に考えてほしい。
その判断、最初から結論が決まっていないだろうか。

もちろん日本書紀が疑われる理由は、邪馬台国不記載だけではない。
だが、それを踏まえてもなお、中国史書だけを過剰に客観視する態度には偏りがある。

歴史学には、自然科学のように誰が測っても同じ答えが出る方法論は、存在しない。特に古代史において、史料は限られ、断片的で、しかも政治的意図を帯びている。


魏志倭人伝という「近代史なら使われない史料」


三国志 魏志 倭人伝(原文・漢文)の画像


魏志倭人伝は、卑弥呼の時代から約50年後に書かれた。
しかも現地取材ではなく、伝聞の集積だ。

誤記や誤写の可能性もある。

近代史であれば、「参考資料の一つ」で終わるレベルの史料だ。
それでもなお、これが“絶対的な根拠”として扱われる。
この理由は単純だ。

「外から書かれている」からだ。


「日本書紀はデタラメ」という思考停止


日本書紀は、天武天皇の命によって国家が編纂した公式史書。
つまり、日本が自分で書いた歴史だ。
だから疑われる。

中国の史書は、外から書かれた記録だ。
だから客観的だとされる。

日本書紀に政治的意図が含まれていることを否定するつもりはない。
国家が編纂した歴史書に政治が混入しない例は存在しない。
中国の史書もまた、王朝交代のたびに「正統」が書き換えられてきた。

日本書紀だけを特別に「嘘」と断じる合理的理由は、実はどこにもない。


正史とは、正しい歴史ではなく、「正しいとさせたい歴史」。


『史記』から『明史』までの二十四の正史(公式歴史書)


中国語では、本来、歴史は「史」という一文字で表される。
それなのに、歴代王朝の公式史書を「正史」と呼ぶ。

なぜ「正しい史」とわざわざ名乗る必要があるのか。
歴史が本当に客観的なものなら、“正しい”と強調する必要はない。

この言葉自体が、逆にこう語っている。

正史とは、正しい歴史ではなく、「正しいとさせたい歴史」だ。


最も新しい正史──明史


中国の正史の中で、最も時代が下るのが「明史」だ。
明を滅ぼした清朝が編纂した、明王朝の公式史書とされている。

明の時代、日本では室町時代から安土桃山時代にあたり、日本側には、膨大な史料が残されている。

ところが、明史に記された日本像は、日本側の史料と大きく食い違う。
例えば、明史では日本は朝貢国として描かれるが、日本側の史料にはその認識はない。

それでも中国の正史は「基準」とされる。
この非対称性は、学問的というより、中国史書に「権威」を見出したい心理としか思えない。


なぜ日本人は中国史書を権威化するのか


日本は長いあいだ、「文明は中国から来た」という前提で自己認識をつくってきた。

漢字、律令、仏教、官僚制度…。
―これらを受容してきた歴史が、無意識の序列を生む。

  • 中国=上位文明

  • 中国史書=客観

  • 日本の史書=自己弁護

この見えない前提が、史料の扱いを歪める。
さらに、ここに戦後の歴史教育が加わる。

敗戦後、日本人は「自国の歴史を疑う」ことを学ばされた。
そして同時に外から与えられる評価=客観的で正しいという感覚も刷り込まれた。

中国史書を使えば、自分が責任を負わずに済む。「外の評価だから正しい」と言えるからだ。つまりそれは、思考停止を招きやすい。「考えているつもり」で、考えていない。

そして、その“使いやすい権威”の代表格が、魏志倭人伝である。


足利幕府は「日本国王」を名乗っていた


足利義満の肖像


ここで一つ、歴史的に確実な事実を思い出したい。

室町時代、足利義満は、明に対して「日本国王」を名乗り、勘合貿易を行っていた。

無論、日本には国王など存在していない。
これは、国内の実態とは関係なく、対外的には、名乗った者が王になった。

この構造をそのまま古代に当てはめると、一つの可能性が見えてくる。

魏志倭人伝に書かれた「倭国王」とは、日本全体の支配者ではなく、対外的に“そう名乗った存在”にすぎなかったのではないか。


邪馬台国探しは永遠のロマン


邪馬台国探しそのものを否定するつもりはない。
ロマンとしては、実に魅力的だ。

歴史は、思っているほど正直ではない。
そして、その不正直さを前提に読むことこそが、最も誠実な歴史の読み方なのかもしれない。

日本書紀も、中国史書も、どちらも完全ではない。
だからこそ、どちらか一方を“正しい”と決めた瞬間、思考は止まる。

日本人の私としては、日本書紀を信じたい。
だが同時に、「信じたい」という感情を免罪符にしてはならないとも思う。

だがもし、答えなど最初から存在しないとしたら。
邪馬台国とは、地名ではないのかもしれない。
そして卑弥呼とは、人物ですらないのかもしれない。
伝聞の過程で、役割や称号が固有名詞として記録された可能性もある。


邪馬台国は見つからないだろう。卑弥呼の実像も、霧の中だと思う。

つまり、卑弥呼は永遠のロマンであるというだけのこと。
ロマンと学問は混同してはいけない。

邪馬台国が見つからないのは、場所が不明だからではない。
そこに記された『意図』を、私たちが『答え』だと勘違いし続けているからだ。

答えを探すのをやめた時、初めて古代の人々の意志が見えてくるのかもしれない。





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