緊縮か、積極財政か──三十年間、順番を間違えてきた日本
世の中おかしい Vol.12
「二年間限定で、飲食料品の消費税をゼロにする」
そんな減税案に、多くの人が期待を寄せた。
ところが、いざ実現しようとすると、野党や財務省、さらには与党内からも、財源や制度上の問題を理由に強い慎重論が出てくる。
日本は長い間、「借金大国」だと語られてきた。国債を増やせば、将来世代に負担を残す。その説明のもとで消費税は引き上げられ、社会保険料も増え続けた。
一方、積極財政を支持する人は、自国通貨で国債を発行する政府の財政を、家計の借金と同じように考えてはいけないと言う。国が支出を増やさなければ、企業の売上も国民の所得も増えず、経済そのものが縮んでしまうという主張だ。
どちらの話にも、それなりの筋は通っている。
だから私なりに、何が違うのかを考えてみたい。
緊縮財政派と積極財政派、それぞれの言い分
緊縮財政を訴える人は、国債残高をこれ以上増やしてはいけないと言う。
国債が増え続ければ、いずれ金利が上昇し、利払い費が膨らむ。需要を増やしすぎれば物価が高騰し、円への信頼が失われる危険もある。財政規律を失えば、政治家は人気取りのために支出を増やし続けるかもしれない。
一方、積極財政を訴える人は、政府の借金を家計と同じように考えること自体が間違いだと言う。
政府の支出は、民間の所得になる。公共事業費は建設会社の売上となり、そこで働く人の賃金になる。給付金や減税によって家計の手元に残ったお金は、消費を通して別の企業の売上へ移っていく。
両者が向き合うと、議論はほとんど噛み合わない。
緊縮派は、国債残高が増え続けた先にある金利やインフレ、通貨への信頼を見ている。積極財政派は、いま目の前にある消費の弱さ、実質賃金の低下、企業が投資できない状態を問題にしている。
見ている場所が違うのだ。
緊縮財政にも、積極財政にも、メリットと危険がある。
片方だけをいつでも正しいとしても、答えは出ない。
問うべきなのは、緊縮か積極財政かという二者択一ではなく、いまの日本に何が必要で、これからどこへ向かうのかということではないだろうか。
日本の低迷は、消費税増税と重なっている
日本では、1989年に3%の消費税が導入された。
1997年に5%、2014年に8%、2019年には標準税率が10%へ引き上げられた。
その時期を名目GDPの推移に重ねると、1980年代まで拡大していた日本経済が、1990年代半ばから長い停滞へ入り、その間にも消費税率が段階的に引き上げられてきたことが分かる。

(内閣府・財務省公表資料をもとに作成)
もちろん、このグラフだけで、消費税が日本経済低迷の原因だったと証明するつもりはない。バブル崩壊、不良債権処理の遅れ、金融危機、少子高齢化、非正規雇用の拡大、企業の投資不足など、いくつもの要因が重なっている。
しかし、バブル崩壊後の経済が十分に立ち直らないうちに、消費税の導入と増税を重ねたことが、回復をさらに遅らせたのではないだろうか。
そして、このグラフを見ると、長い停滞の中でも、GDPが一時的に上向いている時期がある。
1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災の後には、住宅や道路、鉄道、公共施設などを立て直すため、大規模な復旧・復興予算が投入された。
もちろん、震災は人命や暮らし、生産設備に大きな損失をもたらし、経済活動そのものを落ち込ませる。震災が成長を生んだのではない。
ただ、その後の復旧工事や住宅再建、インフラ整備への支出が、建設会社の売上や雇用となり、経済の下支えに貢献した。
さらに2020年以降、長く横ばいだった名目GDPは、物価上昇の影響を含みながらも、はっきりと拡大している。
この時期、日本政府はコロナ禍への対応として、給付金、補助金、雇用対策、資金繰り支援など、約100兆円もの大規模な財政支出を行っている。
名目GDPの増加を、そのまま実質的な経済成長と見ているわけではない。
資源価格の高騰や円安による輸入物価の上昇も、名目値を押し上げる要因になる。
しかし、政府の支出は経済から消えてなくなるものではない。
誰かの所得となり、企業の売上となって、雇用や消費を支える。
震災後の復旧・復興やコロナ禍への対応が示したのは、経済が大きな打撃を受けた時、政府が支出を増やすことで、企業活動や雇用、家計を下支えできるという財政の働きだったのではないだろうか。
景気が弱い時に、なぜ負担を増やしたのか
消費税は、所得の多い人だけにかかる税ではない。企業に利益が出た時だけにかかる税でもなく、日々の買い物に広く負担が及ぶ。
長年にわたって消費が弱い国で、消費に負担をかけ続ければ、人々は買い物を控える。企業の売上が伸びなければ、賃金や投資も抑えられる。賃金が増えなければ、さらに消費が弱くなる。
本来、税には財源を集めるだけでなく、経済の過熱や冷え込みを調整する役割があるはずだ。
需要が強くなりすぎ、供給が追いつかず、物価が急激に上昇している時には、増税や歳出の抑制によって市場からお金を吸収する意味がある。
反対に、企業も個人もお金を使わず、需要が不足している時には、減税や給付、公共投資によって経済へお金を戻す必要がある。
もちろん、景気が少し動くたびに税率を変更するわけにはいかない。
しかし、何十年にもわたって消費と賃金が伸び悩んできたなら、負担を増やす前に、まず経済を立て直すべきだったのではないだろうか。
安倍晋三元総理も、消費税率10%への引き上げを延期した際、増税が個人消費を押し下げ、デフレ脱却を危うくする可能性を理由に挙げている。
増税が消費を冷やすことは、政府も認識していた。
それにもかかわらず、日本は経済が十分に温まらないうちに、何度も負担を増やしてきた。
消費税だけではない
家計の負担を増やしてきたのは、消費税だけではない。
税金と社会保険料を合わせ、国民が所得に対してどれほど負担しているかを示す国民負担率は、1990年度の38%台から、2023年度には45.7%まで上昇した。
財政赤字を将来の負担として加えた潜在的国民負担率は、49.8%に達している。
しかも、この数字に含まれるのは、基本的に税金と社会保険料だけだ。行政手数料、各種使用料、電気料金に上乗せされる賦課金など、税という名前を持たなくても、制度によって支払いを求められる負担はほかにもある。
それらも生活者の手元から出ていくお金であることに変わりはない。
これほど負担が増えながら、三十年間、実質賃金も個人消費も十分に伸びてこなかった。その事実こそ、もっと問われるべきではないだろうか。
増えた税収は、生活を豊かにしたのか
2016年度に57.7兆円だった一般会計税収は、2024年度には75.2兆円へ増えた。
十年足らずで、17兆円以上増えたことになる。

(財務省公表資料をもとに作成)
近年は、税収が当初の見込みを上回る状態も続いてきた。
政府答弁によれば、補正後予算と決算を比べると、2020年度以降、四年連続で実際の税収が見込みを上回っている。四年間の合計は、14兆円を超える。

(財務省公表資料をもとに作成)
税収の上振れには、企業収益、所得、消費、物価、為替など、さまざまな要因がある。
見込みを上回ったからといって、ただちに税金を取り過ぎたと断定することはできない。しかし、税収が増え続ける一方で、実質賃金と個人消費が伸び悩んでいるなら、増えた税収の使い道と、国民負担の水準を見直す理由になるのではないだろうか。
税収が増えても、社会保障費、地方交付税、防衛費、国債費などの歳出があるため、政府はなお国債を発行しなければならないと説明する。
増えた税収は、消えてなくなったわけではなく、何らかの政策や行政サービスに使われている。
問いたいのは、その使い方が、国民の生活と日本経済を本当に豊かにしたのかということだ。
政府の支出については、国内向けか海外向けかにかかわらず、事業ごとに目的、金額、受益者、成果を公開し、効果の薄いものは見直す必要がある。
何のために始め、いくら使い、誰が受け取り、どのような成果があったのか。成果が見えなければ、廃止や縮小を検討できる仕組みになっているのか。
支出額を増やすか減らすかを考える前に、この検証が必要なのではないだろうか。
見るべきなのは、税収がいくら増えたかだけではない。
その結果、経済が成長し、国民の暮らしが豊かになったのかどうかだ。
減税は、初めから手元にお金を残す
減税を求めると、必ず「財源はどうするのか」という声が上がる。
「恒久的な財源を示せない減税より、給付のほうが現実的だ」という意見も聞かれる。
ところが、給付金や補助金にも、財源が必要なことに変わりはない。
なぜ減税だけは、減った税収を別の恒久財源で一円単位まで埋めなければならないと考えるのだろうか。
給付は、一度集めたお金を、行政が対象や条件を決め、手続きを経て配り直す。その過程には事務費がかかり、条件から漏れる人も出てくる。
一方、減税なら、初めから家計と事業者の手元にお金を残せる。
災害や失業、病気など、特定の人へ重点的な支援が必要な時には給付が適しているだろう。しかし、物価高と負担増が社会全体に及んでいるなら、給付だけでなく、減税によって広く負担を軽くする方法も検討されるべきだろう。
給付か減税か。
問うべきなのは、どちらに財源が必要かではなく、どちらが速く、公平に、家計と企業を支えられるかではないだろうか。
国債を、家計の借金と同じように考える
緊縮財政を訴える時、国の借金を人口で割り、子や孫に返済させる借金だと説明される。
「国民一人あたりの借金は、1000万円を超えている。これを未来に残すな」
何度も聞いてきた言葉だ。しかし、この数字には大きな疑問がある。
国債の返済義務を、国民一人ひとりが1000万円ずつ負っているわけではない。政府の負債を人口で割った数字にすぎず、その一方で、政府が保有する資産は計算に入れていない。
家計の住宅ローンを語る時に、借入金だけを示し、住宅や預金を無視するだろうか。政府についても、負債だけでなく、資産を含めたバランスシートを見る必要がある。
財務省が公表した2024年度末の「国の財務書類」では、
国の資産は783.4兆円、負債は1483.3兆円
となっている。
負債が資産を上回っていることは確かだ。
しかし、「日本は借金で首が回らない」という姿とはかなり違う。
資産を差し引いた純負債は約699.9兆円となる。
これを人口で割れば、一人あたり約564万円になる。
どちらの数字を示すかによって、受け取る危機感は大きく変わる。
さらに、独立行政法人などを含めた連結財務書類では、
資産は1044.9兆円、負債は1574.7兆円
となり、差額は約529.7兆円まで縮まる。
どの範囲を政府として捉えるかによって、財政の見え方は変わる。
もちろん、資産があるから国債をいくら発行してもよい、という話にはならない。
道路や土地を、国債の返済のために簡単に売れるわけでもない。
それでも、政府の負債だけを人口で割り、「あなたの借金です」と言うのはあまりにも一面的ではないだろうか。
国債は、満期ごとに税金で返しているわけではない
そもそも国債は、家計の住宅ローンとは仕組みが違う。
政府は、国債が満期になるたびに、すべての元金をその年の税収から返済しているわけではない。多くは、新しい国債を発行して借り換えながら管理されている。
これは日本だけの特別な方法ではなく、国債を発行する国では、満期を迎えた債務を借り換えながら維持することが一般的だ。
ただし、国債に制約がないわけではない。
金利が上がれば利払い費は増える。需要が供給能力を超えればインフレが起こり、通貨への信用が失われれば円の価値にも影響する。
だから、国債を無制限に発行してよいとは思わない。
それでも、国債残高の大きさだけを見て、家計と同じように「すべて返済しなければならない借金」と考えるのも違うだろう。
国債の評価は、発行額だけでは決められない。
その資金を何に使ったかだ。
重要なのは、国債を何に使ったか
生産性を高める投資や老朽化したインフラの更新、科学技術、教育、子育て、エネルギー、安全保障に使われるなら、その支出は、次の世代に借金だけを残すものではない。道路や橋、学校、研究施設などの資産と、それによって生まれる生産力も次の世代へ残る。
ところが日本では、財政支出を抑えることが優先され、政府によるインフラ整備や成長分野への投資まで絞られてきた。
日本の公共投資は、1990年代後半から2012年にかけて大きく低下した。
高度成長期につくられた道路、橋、トンネル、上下水道などが一斉に老朽化していく一方、新しい産業や技術を育てるための投資にも、十分な資金が回らなかった。
支出を減らせば、その年の財政赤字は小さく見える。
しかし、更新されなかったインフラは古くなり、育てられなかった技術は海外へ追い越される。
研究費や教育費を削れば、すぐには数字に表れなくても、十年、二十年後の生産力に差がつく。
経済の規模が拡大し、所得と税収が増えれば、債務の負担は相対的に小さくなる。反対に、支出を削ることで経済そのものを縮ませれば、国債残高を少し抑えたとしても、税収を生む力まで弱くなる。
私は、これまでの緊縮財政が、政府の無駄だけを削ったのではなく、日本が成長するために必要だった投資まで細らせてきたと考えている。
日本の「失われた三十年」とは、需要を冷やし続けただけでなく、次の成長をつくる投資まで怠ってきた時間ではなかっただろうか。
将来世代に残すものを、国債残高だけで考えてよいのだろうか。
老朽化したインフラ、縮小した産業、低い賃金、失われた技術力もまた、次の世代が引き受ける負担になる。
借金を残さないことだけを考え、成長するための資産を残さなければ、帳簿だけが少し整った、貧しい国を渡すことになりかねない。
問題は、緊縮ではなく順番だった
緊縮財政が必要な時はある。
経済が過熱し、人手も資材も不足し、需要を増やしても生産が追いつかないなら、財政支出を抑え、増税によって市場からお金を回収する必要も出てくる。
しかし、三十年間にわたって経済が十分に成長せず、実質賃金と個人消費が伸び悩んできた日本で、最初に行うべきことは財政の帳尻合わせだったのだろうか。
経済が成長しないから、税収が足りない。
税収が足りないから、増税する。
増税によって消費が減り、さらに経済が成長しなくなる。
日本は長い間、この循環から抜け出せずにいるように見える。
積極財政にも危険はある。
無計画に支出を増やし続ければ、インフレや金利上昇を招くかもしれない。政府が支出するだけで、必ず成長するわけでもない。
だからこそ、経済の状態を見ながら、支出と負担を調整する必要がある。
しかし日本は、経済が冷え込んでいる時にも負担を増やし、回復する前から引き締めを続けてきた。
問題は、緊縮そのものではなく、その順番だったのではないだろうか。
まず減税によって、家計と企業の手元にお金を残す。
同時に、将来の生産力を高める分野へ政府が投資する。
消費が増え、企業の売上が伸び、賃金と投資が増え、経済の規模が拡大する。
その結果として税収が増え、物価や需要が過熱するようになった時に、初めて引き締めを考える。
三十年間成長できなかった国が、成長する前から将来の負担ばかりを恐れ、現在の消費と投資を削り続ける。
そろそろ、その順番を変える時ではないだろうか。
予算編成の順番を変える
では、その順番を変えるために、国の予算編成はどう変わろうとしているのか。
現在模索されている「責任ある積極財政」には、これまでの予算編成を大きく変える可能性がある。
一つ目は、プライマリーバランスの黒字化を、単年度の絶対的な目標とする考え方を改めることだ。プライマリーバランスとは、政策に必要な経費を、国債に頼らず、税収などでどこまで賄えているかを示す指標だ。
財政の持続性を見るために必要な指標とされてきた。しかし、その年の黒字化だけを最優先すれば、経済を成長させるために必要な投資まで抑えられることになる。
二つ目は、各省庁の概算要求に上限を設ける一律のシーリングをなくすことだ。従来のシーリングには、予算の膨張を防ぎ、各省庁に優先順位をつけさせる役割があった。
だから、なくせば自動的によい予算になるわけではない。上限がなくなった分だけ要求額が膨らみ、効果の薄い事業や既得権益への支出が増える危険もある。
だからこそ、金額を機械的に抑えるのではなく、事業ごとに目的と効果を厳しく問わなければならない。
三つ目は、一年ごとに予算を区切る財政単年度主義の弊害を改め、必要な分野には複数年度にわたって、予見可能な投資を行うことだ。
AI、半導体、エネルギー、安全保障、科学技術、国土強靱化といった分野は、一年で成果が出るものではない。企業が大規模な設備投資を決め、研究者を集め、人材を育てるには、来年度も予算が続くか分からない状態では困る。
国が数年先までの方針と支援を示してこそ、民間も安心して投資できる。
何に使うかを考えず、最初から上限だけを決める予算編成から、必要な投資には十分な資金を出し、成果のない支出はやめる予算編成へ変える。
私は、その方向を支持したい。
単年度の帳尻を整えることを最優先するのではなく、経済の規模を広げる。支出額を一律に抑えるのではなく、日本の将来に必要な分野へ投資する。
産業も人材も、一年では育たない。複数年をかけて育てる発想に変える。
これは、三十年間続いてきた「成長する前に冷やす」という順番を変える試みだと思う。
賛否はあるだろう。積極財政が、すべての問題を解決するとも思っていない。予算を増やすだけで、産業や賃金が育つとも思っていない。
それでも、経済が成長しないまま負担を増やし、必要な投資まで削ってきた三十年間を、そのまま続けることが正しいとは思えない。
私の考えに間違いがあれば、ぜひご指摘いただきたい。
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