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WINGS『WINGS OVER AMERICA』 ─ ポールは6年かけてビートルズを脱いだ

記憶の針を落とす Vol.33


83歳のポールを聴いて、思い出した3枚組



ポール・マッカートニーの新作を聴いた。
83歳だという。

若い頃のような、艶やかに伸びる声ではない。
けれど、それを「衰え」とだけ呼ぶ気にはなれなかった。
これは、83歳のポールだから出せる声だ。

ビートルズを背負い、ウイングスを作り、ソロとして走り続け、何度も時代を越えてきた人間の声。

そして何より驚いたのは、音作りがまったく老いていないことだった。
メロディの運び、曲の構成、音の重ね方。
古い記憶を歌っているのに、音そのものは決して懐古に沈んでいない。

ポール・マッカートニーという人は、まだ「次の音」を作っている。

ふと、あのレコードを思い出した。
WINGS『ウイングス U.S.A. ライヴ!!』。

ポールがまだ30代半ばだった頃の、3枚組ライブアルバムだ。

ビートルズが解散したのが1970年。
そして、このライブが行われたのが1976年。
その6年の間に、ポールは転び、迷い、酷評され、それでも音を出し続けた。 このレコードは、その6年の果てに生まれた音だった。

そして私にとっては、買えなかったのに、誰よりも聴いた気がしているレコードだった。


時間の重さが、レコード店に置かれていた


中学生の私がビートルズにのめり込んでいた話は、Vol.14で書いた。

その熱のただ中、とても中学生には抱えきれないレコードが、レコード店に現れた。

WINGS『ウイングスU.S.A.ライブ!』(1976)

定価5,000円。3枚組LP。

月の小遣いが1,500円だった私には、買えるはずがなかった。

2ヶ月に1枚。ようやくアルバムを買うのが精一杯だった。
そんな私の前で、そのライブ盤は、レコード店の一角を占拠するように積み上げられていた。

欲しかった。
でも、買えなかった。

だから私は、そのレコードを買った友達の家に通った。
クラスは違ったが、家が近く、同じ時期にギターをはじめた仲間。
レコードの話になると、いつも少し得意そうな顔をした。

針が落ちる。
約2時間のライブが始まる。
終わると、また最初からかけ直す。

その時はまだ分かっていなかった。あの部屋で聴いていたのが、ポール・マッカートニーが6年かけてビートルズを脱いでいく音だったことを。


買えなかったビートルズが、聴こえてきた


このアルバムで、私は「Lady Madonna」も「Blackbird」も初めて聴いた。
ビートルズにのめり込んでいた中学生が、なぜその曲を知らなかったのか。

理由は単純だった。レコードが高かったからだ。
『ホワイト・アルバム』は2枚組だった。当時の私には、簡単に手を出せるものではなかった。

だから私は、その頃まだ「Blackbird」を知らなかった。
「Lady Madonna」も、ちゃんと聴いたことがなかった。

ビートルズの曲を、ビートルズではないバンドのライブで初めて知った。
それが、WINGS『ウイングス U.S.A. ライヴ!!』だった。

後にベースギターを弾き始め、最初に練習した曲が「Lady Madonna」だったのは、今思えば、あまりにも自然な流れだった。

そして、このライブ盤が、単なる“人気ライブの記録”ではなかったことを後から知ることになる。


ビートルズの次を、ポールは自分で鳴らした


『ウイングス U.S.A. ライヴ!!』(原題:Wings Over America)は、1976年にリリースされ、全3枚組ライブ盤でありながら全米1位を記録した。

それは、ビートルズの余熱だけでは説明できない成功だった。

ビートルズ解散後のポールは、決して順風満帆ではなかった。
引きこもり、酒に溺れ、「もう終わったのではないか」という恐怖を抱えた時期もあった。

ウイングス結成後も、「軽い」「ビートルズの遺産頼み」と酷評され続けた。それでも、ポールはバンドを作り、ツアーを重ね、音を出し続けた。

そして1976年。
アメリカ全土を巡るツアーで、ポールは再び大きなステージに立った。


全米が迎えた、現在進行形のロックショウ


ステージに立っていたのは、かつてスーツ姿で整然と演奏していたビートルズ時代のポールではなかった。

ベースを低く構え、身体ごとリズムに突っ込み、ステージを大きく使って観客を煽る。
そこにあったのは、「バンドの一員」ではなく、ショウを牽引するフロントマンの姿だった。

声も違っていた。
磨き上げられた美しさよりも、勢いと体温を優先した声。
観客の歓声と、真正面からぶつかる声。

私にとって、ビートルズはロックではない。ビートルズという、ひとつのジャンルだ。しかし、ウイングスを聴いた時、私ははっきりと「ロック」を感じた。

この時のウイングスは、もはや「ポールのバックバンド」ではなかった。
ようやく“ロックバンド”として完成していた。

WINGSのメンバー

中心には、ポールがいた。そして、そのすぐ隣にはリンダ・マッカートニーがいた。

リンダは、もともとカメラマンだった。
本来、ミュージシャンとして技巧を競う位置にはいない。
だが、ステージの上でポールが迷いなく前に出ていけた理由は、その隣に、絶対に裏切らない視線があったからだと思う。

コーラスが少し揺れてもいい。鍵盤が完璧でなくてもいい。
そこにあったのは、技術ではなく、生活を共にしてきた時間だった。

全米が迎えたのは、ビートルズの元メンバーではなかった。
6年かけて転び、迷い、それでも立ち続けた男が作り上げた、現在進行形の「Rock Show」だった。

このツアーで、ポールはビートルズ時代の曲を本格的にセットリストへ組み込んだ。

しかし、それはビートルズへの回帰ではない。
「Yesterday」も、「The Long and Winding Road」も、「Lady Madonna」も、過去の栄光ではなかった。

ビートルズを脱いだからこそ、ポールはようやくビートルズの曲を、もう一度、自分の手で、自分の音として鳴らし直した。



6年という時間が、音になった瞬間


ソロ時代のポール『McCartney』


このライブ盤は、勝利宣言でも、回顧録でもない。「まだ終わっていない」ことを証明する音だ。

中学生の私が感じていた、あの圧倒的なボリュームと熱気は、単なる演奏の迫力ではなかった。それは、時代を越えて届いてしまった“現在進行形”の音だったのだ。

ポールが、ビートルズを脱退したのが1970年。
そこから、時間がかかった。

ソロ名義で2枚。ウイングスとして5枚。
その一枚一枚は、試行錯誤の記録でもあった。

世間はずっと、「ビートルズの次」を求め続けていた。
だがポールは、急いで答えを出そうとはしなかった。
バンドを作り、ツアーを重ね、評価されなくても音を出し続けた。

そしてこの年、その6年分の時間が、一気に音として噴き出した。
それが『ウイングス U.S.A. ライヴ!!』だった。

あの時、レコード店で感じた「異様な存在感」の正体は、3枚組でも、2時間でもなかった。


あの部屋に、針を戻す


最後に思い出すのは、記録でも、評価でもない。

あの頃の私は、まだ何も分かっていなかった。
5,000円という値段の重さも、3枚組という物量の意味も、ポールがそこに刻み込んだ6年という時間も。

ただ、友達の部屋で何度も鳴っていたあの音だけは、その後もずっと、私の中で終わらなかった。

『ウイングス U.S.A. ライヴ!!』は、私にとって、ロックショウの記憶である前に、中学生だった自分が、初めて「時間の重さ」を感じた音だった。
だが私にとって、その時代はスクリーンの中ではなく、あの友達の部屋のレコードから始まった。

誰にでも、買えなかったのに忘れられないものがある。
手に入らなかったからこそ、記憶の中で大きくなってしまったものが、きっとあるはずだ。

記憶の針は、あの友達の部屋で、今も静かに回り続けている。






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もし今、この時間を自分の場所で確かめてみたくなったなら、ここから針を落としてほしい。

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浅川幸三 | クリエイティブプロデューサー 共感でも、違和感でも。 何かが残ったなら、それで本望です。 サポートは次の一行のために。