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森は優しいとは限らない

今日は朝から、空の色が落ち着かなかった。

見上げれば、今はまだ穏やかに見える。
雲は低いが切れていて、光も通っている。

それでも、森の空気だけがわずかに重い。


ハヤトは立ち止まり、木の幹に手を当てる。

いつもよりひんやりしていて、土の匂いも少し濃い。それからもう一度空を見上げた。

「……降るな、これ」

ハヤトは湖へ向かうのをやめ、少し先の大きな木の方へ進路を変えた。

枝が広く張り出した、あの木。

(ここ、前に……)

急な雨にやられた時、根元には水が溜まりにくいことを覚えた場所だ。

足を速める。

「ここなら……たぶん大丈夫」

言い終わる前に、ポツリと葉を打つ音がひとつ、ふたつと落ちる。
次の瞬間、雨は迷いなく降り出した。

腰を下ろし、リュックを開ける。
中から雨具と薄い毛布を取り出し、背中から体に回す。濡れるより、冷えるほうが厄介だと以前知ったから。

雨は強弱を繰り返しながら森を包む。
葉の音、土の匂い、遠くの水の気配。

最初は、ただ待っていた。
けれど時間が少し過ぎるにつれ、体がじんわり湿っていく。

森は静かすぎて、いつもより広く感じる。

指先も、ゆっくり冷えていく。
ハヤトは膝を抱えた。

「止まないな……」

声は思ったより小さかった。
胸の奥が少しだけ、きゅっと縮む。

(こういう時は下手に動かない方がいい)

わかっているのに、冷えと心細さで涙が出そうになる。

その時。
近くの葉が、ガサリと音を立てて動いた。

雨の向こうで、一つの影が動く。
黒いものが、枝の間を横切った。

一瞬だけ、黒い尾が見えた気がした。

「今の……」

目を細める。

「……キキ?」

はっきりとは見えない。
でも、そこに“いる”気配がする。

ハヤトは一度だけ息を吸う。

「キキー!居るのー?」

返事はない。雨の音だけが続いている。
ハヤトは顔を上げる。

「……来てるんだ」

一人じゃない。そう思った途端、さっきまでの涙が引っ込んだ。

「じゃあ……待てる」

それから、空は見なかった。ただ雨の音を聞きながら、ひたすら止むのを待った。



やがて雨は弱まり、森に光が戻ってくる。

ふぅ、と一息つく。

「……我慢してよかった」

立ち上がり、濡れた布をギュッと絞る。
それをリュックにしまうと、帰り道へと足を向けた。

背中の後ろ、少し離れた枝の上で、黒い影が静かに動いた。

ハヤトは振り向かずに進んだ。

リュックは濡れた毛布で重い。
だけど、足取りは不思議と軽かった。





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