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「自分を休みたい時」#青ブラ文学部

私は常日頃、自分を休みたいと思っている。
おそらく私は、人よりも外部の刺激に弱く、敏感に反応してしまう性質なのだろう。
そのため、常に外部の環境に精神や体調を振り回されながら生きている。

もう一つ、私は哲学が好きだ。
考えることが好きで、気がつけば眠っている時間以外、ほとんど何かを深く考え続けている。
そして私は、自分でも思う。
私は非常にややこしい思考回路を持っていて、めんどくさい人間だと。
時に、その自分自身にさえ、うんざりしてしまう。
その思考の連続が脳を疲労させ、常にオーバーヒートしているような状態をつくっているのだと思う。
結果として、慢性的な疲労や倦怠感が抜けない。

端から見れば、ただ座ってぼーっとしているように見えるかもしれない。
だがもし、人の頭の中を覗くことができたなら、私はおそらく、かなりの回転数で思考を巡らせている部類に入るだろう。

体を休めることは、もしかしたらそれほど難しくないのかもしれない。
だが、思考を休めることは、まるで修行のように難しい。
いくら体を横たえていても、頭の中は止まることなく動き続ける。

よく座禅や瞑想で「頭の中を空にする」と言われるが、私にはそれが必要だとわかっている。
それでも、なかなかうまくはいかない。

だが最近、ひとつ気がついたことがある。
体を動かさずにいるからこそ、頭ばかりが回転してしまうのではないかということだ。
逆に、体を動かせば、その過剰な思考も少しは静まるのではないか。

そう思い出したのは、以前ジムに通い、真剣に筋トレをしていた頃のことだ。
あの時、確かに今よりも精神的に落ち着いていたような気がする。

そこで、再びジムに入会し、体を動かす生活を始めてみた。
するとどうだろう。
やはり、少しだけ頭の回転がゆるやかになる。
それに伴って、精神もわずかに落ち着いていくのがわかった。

もちろん、何もせずに休むことも大切だと思う。
だが私にとって「自分を休ませる」ということは、ただ止まることではなく、
体を動かし、人間本来の感覚に立ち返ることなのかもしれない。そう思った。

何に疲れるかも、人それぞれ。自分を休ませる方法も、また人それぞれ。
休むということも、また技術と訓練が必要なのだと、そう実感した瞬間だった。

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