「東大理三なのにノーベル賞ゼロ」という批判に欠けている歴史的視点
天才集団「東大理三」なのにノーベル医学賞ゼロ…その理由とは? | 東大理三の世界 日本一の天才集団にみた謎すぎる生態 | ダイヤモンド・オンライン
「大学入試では最難関の東大理三ですが、ノーベル生理学・医学賞の受賞者は出ていません」
先日、このように始まる記事を読んだ。
記事では、東大理三出身者からノーベル生理学・医学賞受賞者が出ていない理由について、理三生の「受験エリート化」や、東大医学部の閉鎖的な体質が挙げられている。
もちろん、東大医学部の研究環境や人事制度に問題がないとは限らない。入試成績の高さと研究上の独創性が同じではない、という指摘にも一理ある。
実際、この種の指摘はこの記事に限らず以前にも頻繁になされている。下記のプレジデントオンラインの記事なども典型例に入るだろう。
しかし、これらの記事には、その前に検討すべき重要な視点が抜けている。
現在の「日本一の最難関」という理三のイメージを、過去にまでそのまま遡らせてよいのか。
理科三類ができたのは1960年代
そもそも、東京大学理科三類は戦前から存在した制度ではない。
新制東京大学の教養学部が1949年に発足した当初、科類は文科一類・文科二類・理科一類・理科二類の四つだった。現在の文科三類・理科三類を含む六科類への改編が決まったのは1961年で、実施は1962年である。東京大学の年表にも、1961年3月に文科・理科をそれぞれ一類・二類・三類に改編したと記録されている。
それ以前、戦後の東大医学部医学科への進学希望者は、現在のように入学時点で理三として選抜されていたわけではない。前期課程を終えた学生が医学部の試験を受ける制度だった。
つまり、「理三出身者」という集団そのものが存在するのは、まだ六十数年にすぎない。
もちろん、六十年あれば受賞者が出ても不思議ではない。ただ、しかし、戦前から現在まで連続して「日本一の受験秀才を集めてきた集団」であるかのように扱うのは、制度史として正確ではない。
もちろん、東大理三出身者に限ってノーベル賞受賞者がいないと言っている言及ならまだいい。しかし、最難関の東大医学部にノーベル賞受賞者が一人もいない、という言い方は前提をかなり間違えている。また、理三出身者にノーベル賞受賞者がいない、という場合でも歴史の新しさに言及しないと誤解を招くだろう。
戦前の医学部の難易度
ちなみに、戦前の東大医学部ついては入学時点で医学部志望者が選抜されていた時期も存在する。筆者が調べる中では、明治期については他学部との難易度を明確に比較できる資料を見つけることができた。
この論文中から掲載の「表3 各学校部類別得点データ」から、第一高等学校の数字を抜き出すと、次のようになる。

1902年には、第三部、すなわち医学系志望者のほうが、第二部甲類よりも最低点・平均点ともやや高くなっている。ところが翌1903年には、第二部甲類の平均点が第三部をかなり上回っている。表そのものと原資料は、東京大学史料室所蔵の文部省関係文書に基づく。
明治後期の最難関校・一高において、医科志望者は理工系志望者と同等の上位集団だったが、毎年一貫して医科が明確に最上位だったわけではない。
尤も、時代を下った昭和前期などになると、筆者の情報収集能力の欠如もあるかもしれないが、入学時の学部ごとの難易度を比較した資料は閲覧が容易にできるものでは見当たらなかった。
ただ、埋め込んだサイトのように当時の東大医学部入試は現在と比して非常に簡単な問題が出題されていたらしい。
これらを踏まえると、少なくとも、戦前の医学部は理系最難関層の一角だった可能性が高いが、現在のように突出した単独最難関だったとまでは言えないであろう。
理三創設当初から「文理を問わない圧倒的首位」だったのか
もう一つ疑問なのは、理三が創設された1960年代から、現在と同じ意味で日本の大学受験の頂点だったのか、という点である。
理系の中で最難関だった可能性は高い。しかし、戦後昭和期には東大文科一類・法学部も、官僚、法曹、政界、財界へ進む代表的なエリート進路だった。
特に高度成長期から1980年代にかけては、大蔵省、通産省、外務省などの中央官庁や、大企業、金融機関へ進むことの社会的威信が現在より高かった。最上位層の進路は医学部に一極集中していたわけではない。
当時の構図は、
「理系の頂点は理三、文系の頂点は文一」
という二つの頂点が並立するものだったと考える方が自然だろう。
バブル崩壊後、大企業への就職や官僚という進路の将来性に対する信頼は以前より弱まった。一方で、医師免許は景気に左右されにくく、就職・転職・所得の面で安定した資格として再評価された。
その結果、以前なら法学部、理学部、工学部などへ進んでいた最上位層の一部も、医学部を選びやすくなったと考えられる。
つまり、理三は昔から理系最難関ではあったとしても、
文理を問わず、他の進路を大きく引き離す「受験界の絶対的頂点」になったのは、医学部人気が高まった1990年代以降ではないか。
このことは偏差値の年次推移を見ても裏付けられる。
例えば、現在は東大理三と東大理一では比較にならない差があるだけでなく、東京医科歯科大学医学部でも東大の理一よりも圧倒的に難しい。しかし、このサイトで過去の偏差値表を比較すると歴史的にはそうではない。
転用すると、
1983年入試用 大学学部 難易ランキング表 進研スコープ †
理Ⅲ79 東京医歯73 理Ⅰ75
1993年 代ゼミ 入試難易ランキング
理Ⅲ73 東京医歯66 理Ⅰ67
1998年 代ゼミ 入試難易ランキング
理Ⅲ72 東京医歯69 理Ⅰ67
2008年 駿台全国模試ランキング
理Ⅲ78 東京医歯73 理Ⅰ67
2019年 駿台合格目標ライン
理Ⅲ78 東京医歯73 理Ⅰ68
となっている。これは偏差値を算出する予備校が違うので容易な比較はできない。代ゼミはあまり高い偏差値が出にくいのかもしれない。しかし、80年代くらいまでは医学部の難易度が今ほど突出していたわけでないこと、90年代のバブル崩壊を経て人気と難易度が向上したことで、現在の東大理三が圧倒的な高難易度になっていることなどは見て取れる。
もちろん、文理別の比較などはこのデータでもされていない。しかし、理Ⅲの難易度がこれくらいだったなら、かつては文系最難関の文化一類などと比較してもさほど難易度に差がなかったであろうことは想像しやすい。
このサイトを見ると、より細かい年次別のデータも見ることができる。
ノーベル賞は何十年も遅れて授与される
さらに、ノーベル賞には大きな時間差がある。
画期的な研究が発表されてから受賞まで、数十年かかることは珍しくない。自然科学分野では、発見から授賞までの時間が長期化していることも研究で指摘されている。
理三創設直後の入学者は、現在すでに80歳前後である。したがって、初期世代について検証することには意味がある。
しかし、1990年代以降に形成された「文理を超えた圧倒的最難関」としての理三の卒業生は、現在おおむね50代前後以下である。
彼らの研究成果について、ノーベル賞受賞者がいないことを理由に最終評価を下すには、まだ早い。
現在の理三の難易度を基準に批判するなら、本来比較対象となるのは、現在のような医学部人気の中で理三を選んだ世代である。しかし、その世代の多くは、ノーベル賞の受賞年齢にまだ達していない。
ここには明らかな時間軸のずれがある。
「受験エリートだから独創性がない」は実証されているのか
元の記事では、理三生について、
「学校、塾、親の言うことに素直に耳を傾け、言われたとおり真面目にやってきた受験エリートが増えている」
「指示されたことはそつなくこなすが、画期的な研究をできる人は少ない」
という見方が紹介されている。
しかし、記事には、理三卒業者の研究職進出率、論文数、被引用数、国際的な研究賞、研究費獲得実績などのデータは示されていない。
「受験勉強が得意な人間は独創性に欠ける」という説明は、分かりやすい。だが、分かりやすい説明ほど、データによる検証が必要である。
東大医学部の組織的な閉鎖性が研究を阻害しているという主張も、検討する価値はある。ただし、それなら比較すべきなのは理三生の人格ではなく、
東大医学部の研究環境
若手研究者の人事制度
基礎医学研究者の待遇
海外大学や他大学との人材移動
臨床医と研究医のキャリア選択
などである。
ノーベル賞受賞者がいないという結果だけから、「受験エリート化」が原因だと推測するのは飛躍が大きい。
問うべきなのは「なぜゼロか」だけではない
理三・東大医学部からノーベル生理学・医学賞受賞者が出ていないこと自体は、興味深い事実である。
しかし、そこから有意義な議論をするには、問いをもう少し正確に設定する必要がある。
「日本最難関なのに、なぜノーベル賞がゼロなのか」
ではなく、
「1960年代以降の東大医学部は、入学者の学力水準や研究者人口に比べて、国際的に重要な基礎医学研究を十分に生み出してきたのか」
と問うべきだろう。
さらに世代別に、
理三創設初期の卒業者
医学部人気上昇前の卒業者
1990年代以降の卒業者
を分けて検討する必要がある。
理三の歴史、医学部人気の変化、ノーベル賞授与までの時間差を無視し、現在の「日本一の天才集団」というイメージだけを過去へ投影しても、公平な評価にはならない。
理三が本当に、その豊富な人的資源を研究に生かせていないのなら、それは重要な問題である。
だが、その問題を論じるためにも、まず「理三はいつから、どのような意味で日本一の最難関だったのか」を確認する必要がある。
現在の序列を過去にも当てはめたまま、「最難関なのにノーベル賞ゼロ」と批判するのは、少なくとも歴史的には、少々乱暴ではないだろうか。
