あなたのものを、あなたに
聖書箇所:Ⅰ歴代29:1-19
18℃。曇り。余市岳の頂上は、今日も雲の冠で覆われている。もやがかかって、山はうっすらとかすんでいる。昨日は、病院の帰りに手打ち蕎麦のお誘いをいただき、ごちそうになってきた。生真面目な彼らしい、細切りの上品な蕎麦だった。久しぶりの再会で、こんな恵みにあずかれたことを、心からありがたく思う。プランターのベビーリーフは、若葉がまた一ミリほど伸びたようだ。昨日は道具を揃えきれなかったので、今日は小道具を買いに出かけよう。賛美して、みことばの前に座る。
進んで、あふれるほどに
晩年のダビデは、全会衆に語りかける。子ソロモンはまだ若く力もないが、この工事は大きい。「なぜなら、この宮は人のためではなく、神である【主】のためのものだからである」(29:1)。だからダビデは、全力で備えてきた。金、銀、青銅、鉄、木材、宝石を大量に。
それだけではない。ダビデは、自分の宝としていた金銀までも、神の宮への喜びとして献げると言う(29:3)。そして会衆に呼びかける。「今日、自ら進んで、その手にあふれるほど【主】に献げる者はいないか」(29:5)。すると一族の長たちも、民も、自ら進んで献げた。全き心をもって献げたので、民は喜び、ダビデも大いに喜んだ(29:9)。命じられて、しぶしぶ差し出したのではない。あふれる感謝が、あふれるささげ物となった。
あなたのものを、あなたに
ダビデは全会衆の前で、主をほめたたえる。「【主】よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて」(29:11)。そして、献げ物の本質を射抜く告白がくる。「すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません」(29:14)。さらに、こう続ける。「あなたの聖なる御名のために宮を建てようと私たちが準備したこの多くのものすべては、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです」(29:16)。
ここに、すべてがある。私たちが献げるものは、もともと自分のものではない。すべて神から受けたものだ。だから献げるとは、自分の財産の一部を手放すことではなく、神のものを神にお返しすることなのだ。私たちは地上では寄留者にすぎず、日々は影のように過ぎていく(29:15)。命も、健康も、日ごとの糧も、賜物も――何一つ、自分の力で生み出したものはない。
神は、心を見ておられる
ダビデは祈る。「あなたは心を試される方で、真っ直ぐなことを愛されるのを私はよく知っています」(29:17)。神が見ておられるのは、献げた額の大きさではない。どんな心で献げたか、である。受けたことを忘れず、感謝のうちに、喜んで、進んで献げる――その直ぐな心を、神は喜ばれる。
昨日いただいた一杯の蕎麦も、友の手を通して神から受けた恵みだった。受けてばかりの私たちが、せめて感謝のうちに、受けたものを少しお返しする。献げるとは、きっとそういうことなのだろう。手の中のものを握りしめるのではなく、開いて、もとの持ち主にお渡しする。そのとき、惜しさは消え、喜びだけが残る。
筆者からひとこと
何かを差し出すとき――献金でも、時間でも、奉仕でも――「自分のものの一部を手放している」と感じるか、「もともと神から受けたものを、お返ししている」と感じるか。同じ行為でも、心はまるで違ってきます。前者には、惜しさと、ひそかな誇りが残ります。後者には、感謝と喜びが残ります。ダビデは「私は何者なのでしょう」と問い、すべては御手から受けたものだと告白しました。あなたは今日、何を「自分のもの」と思い、何を「与えられたもの」として受けとめているでしょうか。
※聖書は新改訳2017を引用しています。 ※本記事は、AI(Claude、Anthropic社)を活用し、筆者の視点と編集を加えて作成しています。内容の最終確認および責任は筆者が負っています。
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