帰還の約束と警告 ~何を信じるのか~
エレミヤ書29章15-32節
おはようございます。坂の上の高台から眺める今朝、11月の初日を迎えました。山々に積もった雪は殆ど溶けています。冷たい空気が窓ガラスを曇らせ、寒いので窓は開けません。曇りガラス越しにうっすらと外の様子を伺うと、針葉樹の緑が変わらず、ナナカマドの赤い実だけが鮮やかな色を保っています。バス停には厚手のコートを着た一人の姿。土曜日の朝、一週間を振り返りながら、私たちは一つの問いと向き合いたいと思います。何を信じて生きるのか、と。
偽りの希望
バビロンに捕囚された人々の間に、偽預言者たちがいました。彼らは人々に向かって、こう語りました。「主はバビロンで、私たちのために預言者を起こされた」(15節)。
エレミヤが「バビロンで家を建て、畑を耕せ」「七十年が満ちるまで待て」と言うのに対し、彼らは「すぐに帰還できる」という希望を語り続けました。
人々は、どちらの声を信じるべきか迷ったでしょう。エレミヤの言葉は厳しく、受け入れがたいものでした。一方、偽預言者たちの言葉は心地よく、希望に満ちていました。
しかし、主はエルサレムに残った人々について語られます。「わたしは彼らを、悪いいちじく、悪くて食べられないいちじくのようにする」(17節)。エルサレムに残った人々は、まもなくさらなる災いに見舞われることになります。
ここに、痛みを伴う真実と、心地よい偽りの対比があります。
二人の偽預言者
主は、バビロンにいた二人の偽預言者の名を具体的に挙げられました。コラヤの子アハブとマアセヤの子ゼデキヤです(21節)。
彼らに対する主の宣告は厳しいものでした。「見よ、わたしは彼らを、バビロンの王ネブカドネツァルの手に渡す。王は、あなたがたの目の前で彼らを打ち殺す」(21節)。
さらに、主は彼らの罪を明らかにされます。「それは、彼らがイスラエルの中で忌まわしいことを行い、隣人の妻たちと姦淫を犯し、わたしが命じなかったことばを、わたしの名によって偽って語ったからだ」(23節)。
偽預言は単なる間違いではありませんでした。それは道徳的堕落と結びついていました。彼らは神の名を使いながら、私利私欲のために行動していたのです。
なぜ偽預言者は人々を惑わすことができたのでしょうか。それは、人々が聞きたいことを語ったからです。真実よりも、心地よい言葉。現実よりも、楽観的な希望。
シェマヤの反撃
もう一人、ネヘラム人シェマヤという偽預言者がいました。彼はバビロンからエルサレムの祭司ゼパニヤに手紙を書き、エレミヤを「気がふれて預言する者」と呼び、「首かせと足かせをはめる」よう訴えました(26-27節)。
シェマヤは、エレミヤが語った「捕囚は長く続く」というメッセージを否定しようとしたのです。彼にとって、エレミヤは希望を奪う危険人物でした。
しかし、祭司ゼパニヤはこの手紙をエレミヤに読み聞かせました。そして主は、シェマヤに対して宣告されます。「見よ、わたしはシェマヤとその子孫を罰する。この民のうちに、彼に属する者は一人も住まなくなる」(32節)。
ここに、一つの問いがあります。なぜ、真実を語る者が迫害され、偽りを語る者が歓迎されるのでしょうか。
信じたい声と信じるべき声
この物語は、私たちに深い問いを投げかけています。
私たちは、何を基準に真実を判断しているでしょうか。
現代社会にも、無数の声があります。ソーシャルメディア、ニュース、専門家の意見、友人の助言。それぞれが異なることを語り、私たちは何を信じるべきか迷います。
特に困難な状況にある時、私たちは希望を求めます。そして、希望を与えてくれる声に惹かれます。しかし、その希望は真実に基づいているでしょうか。
日本社会には「空気を読む」文化があります。みんなが信じていることに疑問を持つのは難しい。多数派の意見に従う方が安全だと感じる。しかし、多数派が常に正しいとは限りません。
エレミヤの時代、多くの人が偽預言者を信じました。彼らの言葉は心地よく、社会の雰囲気にも合っていました。一方、エレミヤは孤立していました。
では、どうすればエレミヤのような真の預言者を見分けることができるでしょうか。
結果が証明する
主は、真の預言者と偽預言者を見分ける方法を示されました。それは「結果」です。
偽預言者たちは「すぐに帰還できる」と言いました。しかし、実際には七十年かかりました。彼らの預言は実現しませんでした。
エレミヤは厳しいことを語りました。しかし、彼の言葉はすべて実現しました。エルサレムは滅び、捕囚は長く続き、そして七十年後に帰還が実現したのです。
時間が真実を明らかにします。
しかし、ここにジレンマがあります。結果が出るまで待つべきでしょうか。それとも、今、決断すべきでしょうか。
捕囚の民は、決断を迫られました。偽預言者を信じて2年後の早期帰還を待つのか、エレミヤの言葉に従って今の場所で生活を築くのか。
間違った選択は、取り返しのつかない結果をもたらす可能性があります。しかし、正しい選択をするには、何を基準にすればよいのでしょうか。
道徳と預言
興味深いことに、主は偽預言者たちの道徳的堕落を指摘されました。彼らは「隣人の妻たちと姦淫を犯し」ていました(23節)。
これは重要な点です。真の預言者は、その生き方においても誠実であるべきです。言葉と行動の一致。これは、真実性の一つの指標です。
現代でも、同じことが言えるでしょう。どれほど美しいことを語っていても、その人の生き方が伴っていなければ、その言葉には疑問が生じます。
しかし、これもまた難しい問題です。人は皆、不完全です。完璧な人などいません。では、どの程度の一貫性があれば信頼できるのでしょうか。
主の視点
この章を通して、一つのことが明確です。主は、すべてをご覧になっているということです。
偽預言者たちは、人々を欺くことができました。しかし、主を欺くことはできませんでした。「わたしが知り、証人となる──主のことば」(23節)。
主の前では、すべてが明らかです。外面だけでなく、心の動機まで。人々を惑わす意図も、私利私欲も、すべてが知られています。
そして、最終的な裁きは主が下されます。人間の評価や社会の判断ではなく、主の正義が貫かれます。
これは慰めでもあり、恐れでもあります。慰めなのは、どれほど孤立していても、主は真実を知っておられるということ。恐れなければならないことは、私たち自身の偽りも、主の前では隠せないということです。
一週間を振り返って
土曜日の朝、私たちは一週間を振り返ります。
この一週間、私たちは何を信じて生きてきたでしょうか。 どのような声に耳を傾けてきたでしょうか。 心地よい言葉と、厳しい真実、どちらを選んできたでしょうか。
そして、もっと深い問いがあります。
私たち自身は、他者にとってどのような声になっているでしょうか。 真実を語っているでしょうか。 それとも、聞きたいことを語っているでしょうか。
週の終わりに、このエレミヤの物語は、私たちを沈黙へと導きます。簡単な答えはありません。しかし、問い続けることが大切なのです。
何を信じて生きるのか。 誰の声に従うのか。 どのように真実を見分けるのか。
主は、真実を求める者に、真実を示してくださいます。「あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける」(13節)という約束は、今日も生きています。
今日の実践
今日、静かな時間を持ってください。
この一週間、あなたが耳を傾けてきた声を思い起こしてください。そして、主に問うてください。「これは真実でしょうか」と。
また、あなた自身が語った言葉を振り返ってください。それは真実でしたか。愛に基づいていましたか。それとも、自分の利益や、人々の機嫌を取るためでしたか。
答えはすぐには出ないかもしれません。しかし、問い続けることが大切です。主は、真実を求める心に応えてくださいます。
良い週末をお過ごしください。主の真実があなたを導きますように。そして、あなた自身も、誰かにとっての真実の声となれますように。
今日の振り返り: あなたは何を基準に、真実と偽りを見分けていますか。そして、あなた自身は、どのような声を他者に届けているでしょうか。
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