優しい人が壊れる家には共通点がある
あの頃の家は静かでした。
静かというより音を出してはいけない空気があった。
父は酒を飲む人でした。
ただの酒好きではなく、飲むと別の人間になる。
機嫌がいい日もある。
でも、それは自分の言い分が通るときだけ。
『甘やかされて育った人間なんだ』と
わたしは
感じました。
父は養子でした。
祖母と祖父はきっと甘やかして育てたの
だろう
でないとあんな人間には育たない。
気に食わないと文句を言い酒に溺れ女房には
暴力をふるう。
最低の男でした。
■母からの私への『教え』
「女に暴力ふるう男なんか最低なんだからな」『あしたのためのその一』
でした。
この教えは何十年経っても私の小さい脳ミソに
刻まれています。
子供の頃から『暴力』をみて育ちましたから
かなり強い嫌悪感があります。
子供ですから何もできないわけですよ。
たかだか幼稚園、小学生では。
どうしようもない。
中学ではわたしも暴力に悩まされましたが
この件は別の記事に書いています。
別アカウントの有料記事とさせて頂いています。
3部作構成。1部、2部が無料、
3部目が有料です。
もし、よろしければ有料ですが
お読み頂けたら
幸いです。
すみません、宣伝いたしました、
高校生になり暴力に悩まされてきた
時代と違い
体もしっかりしてきました。
いつものように
夜、深夜父が酒を飲みふらつき始めました。
そして母に暴力
わたしは見るに耐えられず
「いい加減にしろよ!」
と強めの口調で言いました。
父は立ち上がり私と向き合いました。
ボクシングの先日計量後のフェイスオフのようでした。
まさに殴り合い、その先に行くかもしれない
緊迫感の中、空気が漂いました。
母が「やめなさいよ!」
わたしたちの前に立ちはだかりました。
残念ですがファイトはお預けになりました。
その夜、奇妙な事が起こりました。
父親が包丁を持って寝ました。
昔の家は今と異なり自分で料理を積極的に
する
家が多かったです。
特にうちみたいな下町は。
レストランも少なかったですし。
下町にあったのは町中華、寿司屋が2店舗
焼肉屋1店舗
あとはもんじゃ焼き屋でした。
『もんじゃ』の発祥の地でしたから。
母は料理が上手い人でしたから
全ての種類の包丁が揃っていました。
この時代はステンレス製の包丁はありませんから
すべて『砥石』で研ぐ
これが普通でした。
立派な『砥石』がありましたよ。
研ぎ師になれるんじゃない
と言いたいくらいの腕でした。
刺身包丁もありました。
刃渡りは家庭用は21~27cmくらいですが
うちは半プロの腕前でしたから
もっと長かったです。
30~40cmくらいあったんじゃないですか。
子供のころの記憶でしたから。
長かったですね。
まな板普通の家庭用のものとプロ仕様みたいな
大きいものとありましたから。
家は小さいのでキッチンも狭い。
あんな狭いところでお客さんが来たら
プロの料理を作って出していましたから
凄かったです。
その刺身包丁の刃を自分の喉仏に向けて寝ていたのです。
もちろん、母は「やめなさいよ」と何度も何度も
訴えましたが父親は刺身包丁を放すことはなく
しっかり握って寝ていました。
きっとわたしに襲われると感じたのでしょう。
寝込みを襲うなんてことはしないよ
やるんだったら起きている時にやるよ
と母に伝えましたら
「バカ!」と
言われました。
こんなエピソードがありました。
これはノンフィクションです。
誤って数ミリでも刺さってそのまま
いけば喉仏を貫くところでした。
刃がすぐそこでしたね。
しかも仕事も続きませんでした。
理由はいつも同じでした。
「合わない」
「上司が・・・・・・」
「会社が悪い」
働きに行ってもすぐに辞める
これを繰り返す人でした。
そのしわ寄せは母にきました。
その空気は家中に広がりました。
両親はそろっていましたが
壊れた家でした。
母がいなかったら
THE ENDでした。
中学生時代までは気が弱かったですね。
そこを狙われたのだと思います。➡有料記事読んでくださいね。
別アカウントにあります、
よろしくお願いします。
本当は何回も何回も父を殴り私もやられ
繰り返した方が良かったのかな
と考えることがあります。
人には「優しいですね」なんて言われたりしますが
猫被っているだけなんですよ。
10匹くらい被っています。
家庭の空気は、思っている以上に人を作ります。
怒鳴ったり暴れたりする家で育つと
怒らせない生き方を覚える。
それは一見うまくいくように見えて
大人になってから確実に歪みます。
もし、今
・気を使いすぎて疲れる。
・本音が言えない。
・人といると消耗する。
そんな感覚があるなら
それは性格ではなく
過去の環境の影響かもしれません。
子供は親を選べませんからね。
産まれてきたらこんな環境でビックリ!
ですね。
幸い母もいました。
ペンネームの『TORAKICHI』おじいちゃんも
いてくれました。
祖母はわたしが1歳のころ亡くなりましたから
記憶がありません。
わたしの祖父は若い
女性と再婚しました。
また、ここで事件が起きますが
またの機会にお会いましょう。
祖父はいい人でした。
母方の祖父とは全く別の世界の人と言いたいくらい
違う人でした。
