自分という苗を丁寧に育てよう(『論語』子罕篇)
今回取り上げるのは『論語』子罕篇からの言葉。
苗にして秀でざる者あり、秀でて実らざる者あり
(読み:ナエにしてヒイでざるモノあり、ヒイでてミノらざるモノあり)
苗のまま芽が出ない者もいれば、芽が出ても実をつけずに終わる者もいる、という意味。
つまり、なかなか結果が出ない人もいれば、才能があっても大成できずに終わる人もいる、ということですね。
孔子が穀物の苗に例えて、人の教育の難しさを語った言葉です。
私は田植え体験をしたことがあるのですが、穀物を育てるというのは想像を絶するほど大変な作業です。
実るまでに時間がかかることもそうですが、苗を植えるのも重労働ですし、植えた後の手入れも一苦労。
そもそも芽がでないこともあれば、せっかく芽が出ても強風や大雨にさらされてダメになることもあります。
それらを乗り越えて育ったとしても、天候によっては十分な稲穂が実るとは限りません。
穀物を育てるというのは、とても繊細な作業なのです。
私のときは幸いにも綺麗な稲穂を見ることができたのですが、それは単純に運が良かったのと、現代の農業技術の力によるところが大きいのでしょう。
現代ですらこれほど大変なので、古代の人にとっては遥かに難しい仕事だったと思います。
貴重な体験をさせていただき、あの時の農家の方には大変感謝しています。
孔子のもとには数多くの弟子がいました。
若くして才能あふれる者。
壮年になっても精力的に学問に励む者。
他にも、『論語』には登場しない普通の人もいたことでしょう。
彼らは皆、国家への士官を夢見る将来性あふれる弟子たちでしたが、誰もが皆、その才能を開花させたわけではありません。
穀物の苗と同じように、苗を植えても芽がでないこともあれば、せっかく芽が出ても実をつけずに終わってしまうこともあります。
孔子は多くの弟子を見ていくなかで、人の才能を育てて開花させることの難しさを実感したのだと思います。
穀物の苗に例えているのが、その証拠です。
ですが、私はここに、もう一つの気づきがあると思っています。
それは、人も穀物の苗と同じく、きちんと根気よく手入れをすれば、いずれは綺麗な穂を実らせる、ということです。
志があっても、十分な努力をしなければ芽はでませんし、いくら才能があったとしても、自身の力を過信して努力を怠れば大成はできません。
しかし、きちんと基礎・基本を身につけ、初心を忘れずに正しい努力を続けていけば、いずれ実をつけることができます。
実るのが早いか遅いか、実が大きいか小さいかは、稲の育成と同じく、周囲の環境や努力によるのかもしれません。
ですが、根気強く取り組む姿勢と日々の繊細な手入れを心がけていれば、誰もが自分だけの実りを得ることができると私は信じています。
苗にして秀でざる者あり、秀でて実らざる者あり
(読み:ナエにしてヒイでざるモノあり、ヒイでてミノらざるモノあり)
苗のまま芽が出ない者もいれば、芽が出ても実をつけずに終わる者もいる、という教育の難しさを語った言葉をご紹介しました。
穀物の育成と同じく、人の教育も根気と日々の努力が大切です。
どんなに才能があっても、努力を怠れば枯れてしまうでしょう。
以下の記事でご紹介したように、孔子も継続の大切さを語っています。
また、努力するにあたっては基礎・基本を大切にすることと、すぐに結果を求めないことが大切です。
自分という苗を育てるのは自分自身です。
まずはいつかの実りを信じて、目の前の一歩から始めていきましょう。
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