「猫のいる風景:『猫のいる窓』」
窓には猫が似合う。
表を歩いていて、窓辺に猫が佇んでいるのを見かけると「ラッキー!」と思う。
寝そべっていても、座っていても、スンとしていても、猫のいる窓は絵になる。
ご近所の決まった窓辺には、ちょくちょく大きな猫が寝そべっているのが見える。
1匹だったり、2匹だったりする。
「今日もいるかな?」と覗いて、猫がいないとガッカリする。暗くて見えなくてもガッカリする。
猫は窓から外を眺めるのが好きなんだと思う。
外に出たいのかもしれないけれど、それは、ちょっと出たい、くらいの気持ちなんだと思う。
外の過酷な生活を経験の上、室内の安全安心を知ってしまったら、もう、外で暮らすことは考えなくなる、と思う。
猫の保護部屋だった部屋にはドアが2つあって、1つはガラス窓のモノに付け替えた。
アコーディオンタイプのドアで、ちょっとした拍子で開いてしまう。猫が通れるスキマができる。
知らないうちに猫が脱走してしまっては困るので、ドアの前にテーブルを置いて、ドアが開かないようにしていた。
バリケードと化したテーブルは、猫にとってはお立ち台。
猫がテーブルに乗ると、ちょうど、ガラス窓から階段を覗けるようになっている。
その窓から、ヒトが通るのを眺めていた。
「ゴハンー!」だったり、
「カマってカマって!」だったり、
「出してー!」だったり。
急いでいるときでも、そんな窓の前を素通りできなくて、「分かった分かった、帰ってからね」とか声をかけてから出かけたものだ。
全然構えないときは、小さなオヤツを置いて、「じゃあね」と出る。
・・・今思えば「カマって!」ではなく、「オヤツ!」という作戦だったのかもしれない。
そんなガラス窓から保護部屋を覗いても、今はもう猫はいない。
ガラス窓からヒトの気配を窺っている猫が2匹ともいない。
「Out of sight, out of mind.(去る者日々に疎し)」という。
脳の優秀な機能の一つが忘れることという。
たしかに、三男猫・四男猫が生きていたときと同じではない。
けれど、心から出ていくことはないし、忘れることもない。
ただただ、やわらかい記憶になっていくのを感じている。
1階のドアにもガラスが入っていて、そのガラス越しに、家の中から外の猫を、外からも長男猫たちを覗いている具合だった。
かつて、外暮らしをしていたママ猫ミケちゃん家族、三男猫、四男猫、と
長男猫・長女猫とが向き合っているのを確認している。
今は建物ができてしまって殺風景になったけれど、長男猫は1階の南向きの窓から空き地を眺めるのが好きだった。
外を猫が通ると、縄張りを荒らされたかのように、長男猫は興奮していた。
隣の屋根が見える窓があって、その屋根にはスズメが訪れる。
二女猫はスズメに向かって、「チチチチチッチチチチチッ」と、猫にあるまじき声を出す(そうと聞こえる)。
北と東の角になっている窓は、長女猫のお気に入りだった。午前中のやわらかい光に満ちたその場所で、いつも日向ぼっこをしていた。
体が利かなくなった後も、その窓のところに乗せると、目を細め、威厳に満ちた様子を見せていた。
その窓は、今は二女猫のお気に入りになっている。
(長女猫は、本当に威厳に満ちた猫だったから、生前、長男猫以外の猫は近寄りがたい存在だった。)
二男猫と三女猫は、西向きの、小さなトイレの窓が好きだった。
狭い場所に、2匹くっついているのを何度も何度も見かけた。
四男猫は、もしかしたら、外に出たかったかもしれない。
北向きの窓から、いつも通りを眺めていた。
猫は視力が弱く、近視というが、枝にとまったカラスや小鳥も見えただろうし、減ってきたとはいえ、猫も通ったかもしれない。散歩中の犬も見ただろう。少なくとも、そういった気配を感じていただろう。
そういう意味では、猫たちのいた場所に、猫の姿を「見る」ことができる。
彼ら彼女らの写真とは違う、姿の見せ方がある。
猫は気配のイキモノだから、あちこちに生前の気配を残してくれているのだろう。
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