7 手づかみをさせなかった私┃子どもが食べるようになるまで
連載「子どもが食べるようになるまで」
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手づかみは発達にいい。それは、管理栄養士の私もよく知っていました。
食材に触れて、感触を確かめること。自分の手でつかみ、口に運ぶこと。手づかみ食べには、五感や運動の発達、そして「食べたい」という意欲を育てる大切な意味がある。そんなことは、理屈ではちゃんとわかっていました。
それでも私は、娘にあまり手づかみをさせませんでした。
……させられなかった、というのが正直なところかもしれません。
娘が1歳になる少し前のころ。「そろそろ手づかみ食べの時期かな」と思い、野菜スティックやひと口大のおにぎりを出してみました。おもちゃは器用に持って遊べていたし、きっと大丈夫だろうと思っていたのですが……
ごはんには、手を伸ばすことすら嫌がる。
野菜はつかんでも、すぐにポイッと投げる。
おにぎりは、ぐしゃっとつぶしておしまい。
「食べよう」とする気配はまったくなく、ただぐちゃぐちゃにしたものを床に投げる、その繰り返しでした。
投げられたごはんを拾いながら、私は思いました。
——ああ、これは心がもたない。
「手づかみは大事」と知っていても、毎回食べ物を放り出されるのは、正直しんどくて。
食べてくれるならまだしも、手に取った瞬間に放り出す姿に、「食べることからどんどん遠ざかっていくような気」がして、気持ちが少しずつ削られていきました。
だから私は、少し早いかなと思いながらも、スプーンを持たせることにしました。
もちろん、まだうまく使える年齢ではありません。でも、とにかくごはんを手でぐちゃぐちゃにされる姿を見るのがつらかったのです。
「スプーンを持っていてくれたら、少し気が楽になる」そんな気持ちが、スプーン練習という名目の裏にあったのです。
それは、育児書に書かれた理想論ではなく、自分の心を守るための選択。
「やらせてみよう」と思う前に、「もう手づかみはいいかな……」と、どこかで諦めてしまっていたのだと思います。
*
1歳を過ぎる頃、娘はスプーンに少しずつ慣れていきました。
最初はただ握っているだけだったのが、やがて、ごはんをすくおうとするように。
もちろんこぼしてばかりでしたが、「すくって、口に運んで、食べる」という流れを、自分でやろうとする姿が見えてきました。
私が食べさせようとするよりも、自分でやってみたがる。
「食べたい」が、少しずつ芽を出しはじめた瞬間でした。
手づかみを飛ばしてしまったことへの後悔は、なかったわけではありません。
「この子はこのやり方で育っていくんだ」と思えるようになるまでは、「これでいいのかな」という葛藤も、どこかに残っていました。
でも、「ちゃんと育っている」ことは、日々の中に、確かに表れていたのです。
私は結局、娘に手づかみ食べを「ちゃんとやらせる」ことができませんでした。それでも娘は、自分のペースで「自分で食べる」力を育てていきました。
「順番通りに発達させなければ」という思い込みが、むしろ私の心を縛っていたのかもしれません。
でも今なら、こう思います。発達の順序よりも、その子がその子らしく進める道を見つけること。そして、それをそばで見守る親の心が、なるべく折れないこと。それが、いちばん大切だったのだと。
手づかみをさせなかった。というより、「できなかった」。あのときの私は、それで精一杯だった。
でも、娘は、自分なりのペースでちゃんと進んでいきました。
子どもの「食べる力」が育つように、親の心にもまた、育っていく余白がある。
「こうすべき」ではなく、「こうなら大丈夫かも」を選びながら、これからも、ごはんの時間を一緒に重ねていけたらと思います。
*
次回は、ずっと苦手だと思っていた食材が、思いがけず子育ての救いになった話をお届けします。
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