【VRC・VR手話】手話を学ぶことで、聴者の非言語的コミュニケーションが浸食されるのか?
聴者が手話表現を学ぶ過程で手話表現を習得する際に、本来聴者が持っていたボディーランゲージ(非言語的コミュニケーション)が変化していくのかについて考察していくよ。
基本的な考え方について。
私は、ある物事を捉えるときに、基本的に両方側から捉えることが重要だと思っているよ。つまり、聴者と聾者が同じ空間に居る時、聴者が聾者を配慮するように、聾者が聴者を配慮することも必要だよねって考え。これは障害として配慮を越えた枠外での一般的な事柄だと思ってるよ。
その上で、聴者の目線で聴者側から見た時の目線から見た話をあまりにも見かけなかったら、みんな一度は疑問に思うよね?ってことで敢えて書いてみたよ!
みんながこれを読んで、確かにそうだよね!これってほんと?こう考えると違くない?みたいにいろいろと考えるきっかけになってくれると嬉しいなっ✨✨✨
聴者の非言語的コミュニケーションが浸食されるのか?
手話表現は手や腕の動きに加えて、眉の動き、視線、口の形、首の傾きといった非手指動作(NMS/NMM)で表現されるよ。ただこれらの動作は聴者からすると非言語的コミュニケーション(ボディーランゲージ)に当たる部分だよね
■ 非言語的コミュニケーションとはなんだろう?

聴者における非言語的コミュニケーション(ボディーランゲージ)は、基本的に口話によるコミュニケーションを円滑に進めるためための補助要素としての働きが大きいよね。その一方で、言葉や話し声だけで伝わらない微妙なニュアンスや感情表現を伝えるためには表情や体の動きがとても重要な要素を持って居ることも事実だと思うの。
ここで疑問になってくるのが、聴者が手話表現を習得する過程で習得する手話表現としての表情や身体の動きが、本来の非言語的コミュニケーションを不可逆的に変質させてしまわないか?。つまり表現や文化の浸食が起きるの?というところだよね。
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■ 非言語的コミュニケーションと非手指動作
非言語的コミュニケーションは明確な言語化が出来ない部分を、表現するための付加情報として伝達するために存在している部分だよね。これは、あいまいな要素をあいまいなまま伝えることが出来る手段ともいえると思うの。
つまり、"言葉と必ずしも対応しない表現手段"として確立されている一つの表現形態ということだよね。喋っていることとは全く逆の意味のボディーランゲージをすることも、また一つの意思伝達手段として使われているということ。

一方の非手指動作は、程度はいろいろあるとしても。基本的には伝えたい言葉(広義の意味)を相手に正確に伝えるために使われている側面が強いんじゃないかなと思うの。もちろんこれが全てそうということでは無いと思うけどね。つまりボディーランゲージは口話という言語による伝達と同時に、非言語的コミュニケーションとして、補完したり独立して存在することが出来るもう一つの表現方法として存在しているよねって。
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■ パターン化と言語化
手話表現を学び、非手指動作を習得していく過程で当然非言語的コミュニケーションをそのまま利用することは出来ないよね。つまりそれは体系的に非手指動作と非言語的コミュニケーションは扱いが異なることを証明しているということだよね。口話は発する人が言いたいことを、言葉に変換して正確に相手に伝えるために使っている手段。その一方で、非言語的コミュニケーションは必ずしも伝えたい意図とは異なる、その人の心の声(感情)が現れるものだよね。
その非言語的コミュニケーションが手話の非手指動作へ置き換えるこいうことは、ある意味でこれまで表現されていた感情表現を非手指動作というある一定のパターン化された形態に抑え込むことになるのではないか?ととらえることもできるよね。(ただ、そう言い切るためには研究が必要かもね?)
体系化されていないことの意義
結局のところ、非言語的コミュニケーションは時と場合によって全く異なる表現で表されることもあれば、様々な表現方法を持つ場合もあるよね。でもそれらは明確な体系化がされていないからこそ、言葉だけでは表すことが出来ない微妙なニュアンスの違いを相手に伝えたり、自ら表現するために使われることが出来ると思うの。
もちろん手話表現にそれらが存在しないとは思っていないし、あって欲しいと思っているよ。その一方で、これまでそられらろう文化に触れてくることが無く、その表現の違いを表現することが出来ない私たち聴者が、手話表現を習得していく過程。
その過程で聴者が本来持っていた非言語的コミュニケーション(ボディーランゲージ)の表現の幅を狭めてしまうことがあるのであれば、それはとても悲しいことで、聴者文化の欠落であると言ってしまうのは横暴かな?(ここまで読んでくれたみんな自身でも考えてみてね!)
あとがき

この記事は、決して手話表現やろう文化を批判するものじゃなくて、むしろ肯定するものだよ。その中で、それらに触れることの無かった聴者がそれらに触れる過程で、これまでの性質が変化していくことは避けて通れるものでなく、ましてやそれを阻害するべきものではないとも思うの。
でも、その一方で、言語に限らず変化していくこと。これまでの何かを変化させていくことは、これまで自身が持っていた文化を変化させていくことでもあること。それ自体を認識しておくことは大切ではないかってね。
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