【自己紹介②】僕がITエンジニアになった理由と、炎上案件に飛び込み続けた東京での4年間
こんにちは、KotoAppです。 自己紹介の第2弾をお届けします。
今回は、僕がITエンジニアとして社会人になった頃の、少し昔の話です。
「楽そう」で選んだITの世界
大学は理系でしたが、専門は電気系の学部でした。 しかし、選択科目でいくつか情報系の授業があり、その内容が自分でも驚くほどスルスルと頭に入ってきたのです。「これは仕事にしたら楽そうだ」そんな軽い気持ちで、IT関係の仕事を探し始めました。
就職活動当時は、リーマンショックの直後。幸いにも大学の推薦があり、IT関係の会社を受けることにしました。 推薦ということもあってか、一社目であっさりと一発合格。ただ、ここからが少しおかしな話の始まりでした。
僕はてっきり福岡県の会社だと思って入社したのですが、実態は東京がメインの会社で、いきなり東京で働くことになったのです。(本社は福岡でしたが、籍が置いてあるだけで、社員はほとんどいない、いわゆる「形だけ」でした)
後から思えば、その会社は大量採用(社員600人なのに新卒50人!)をしていたので、誰でもよかったのかもしれません(笑)。
情報学部卒に囲まれた、地獄のJava研修
入社して3カ月は研修でした。しかし、周りは情報学部出身の人ばかり。電気系の僕は、正直ついていくのがやっとでした。 ただ、幸いにも同期はいい人ばかりだったので、質問しまくってどうにかこうにか食らいついていた、という感じです。 (今思えば、初心者にいきなりJavaを教える研修も、なかなかハードでしたね…)
炎上から炎上へ。終電と休日出勤が相棒だった日々
3カ月の研修が終わると、同期たちは客先常駐で東京都内に散り散りになりました。 僕も、先輩に教わりながら、必死に仕事をする毎日が始まりました。
当時の仕事環境は、今では考えられないほど劣悪で、毎日終電は当たり前、土日出勤も普通、という感じでした。 僕が配属されたのは少し特殊な部署だったようで、どこかで炎上しているプロジェクトに火消し役として突っ込まれ、鎮火したらまた別の炎上プロジェクトへ…という、恐ろしい「火消し専門部隊」でした。
そのため3カ月に一度は職場が変わり、本当に様々な経験をさせていただきました。 3年目にして、要件整理、見積もり、後輩の成果物レビューなど、今と変わらないような仕事をしていましたね。(冷静に考えると、4年間で8年分くらい働いていたので、立派な中堅社員級になっていたんだと思います)
この時の経験がなければ、今の落ち着いた生活はないと思うと、感謝しかありません。(とてもきつかったですが。。。笑)
「もう辞めます」- 東京脱出の決意
そんな生活を3年ほど続けると、ふと「あれ?これ、周りの同僚より、自分の方が仕事できるようになってるぞ?」という感覚が芽生えてきました。
それに加え、東京の殺人的な満員電車と、通勤時間の長さが本当に嫌いでした。ここで一生暮らしていくビジョンも全く見えません。
そこで、上司に言い放ちました。 「地元に帰るので、仕事辞めます!」
すると、意外な言葉が返ってきました。「待ってくれ。地元の広島県でも仕事があるから、辞めないでほしい」と。 会社は辞めたかったわけではなく、あくまで地元に帰りたかっただけなので、この引き留めは非常にありがたく、僕は会社を辞めずに地元へ帰れることになりました。
この後の広島での話や、フリーランスになった経緯などは、また時間があるときに書こうと思います。 ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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