【ピリピリ】日本人の目線と、偏光グラスのきらめき
目が悪くてぼやけた裸眼の世界と、コンタクトを入れて偏光グラスをかけた世界。
川辺でそれを試した瞬間、あまりの違いに言葉を失った。
水面のギラギラした乱反射がすっと消え、信じられないほどクリアな世界がそこにはあった。
なんだ、この違いは。

その圧倒的な光をドバッと浴びた瞬間、私の脳内に、これまでの記憶が走馬灯のように駆け巡った。
農家に行くために買った長靴を履いて、大雪の札幌をごみ収集のバイトで走り回った、あの過酷な冬。
パウダースノーを楽しんでいたニセコでの暮らしとは全く違う、息の詰まるような半年間。
今の彼女との間に起きていること、もっと前のこと。
それらの記憶が一気に押し寄せてきて、胸がギュッと苦しくなった。
私の頭の中には、ずっと消えない強い思いがある。
とにかく、この社会から抜け出さないといけない。
今のままの延長線上に、自分の生きたい未来はないと分かっているからだ。
路地裏を抜けるように、なんとかここから抜け出したい。でも、現実はそう簡単にはいかない。あまりにも泥臭くて、難しい。
一歩仕事場に足を運べば、そこには普通に働いている人たちがいる。
毎日、淡々と、当たり前のように生きている彼らを見ると、ふと思ってしまうのだ。
間違っているのは、社会から抜け出そうともがいている自分の方なんじゃないかと。
高度な思考がストップして、脳死が始まっているような焦りばかりが募る。
そして、その迷いをさらに深狂わせるのが、あの日本人たちの目線だ。
カナダにいた頃に出会ったインド人たちの、あの遠慮のない剥き出しの観察眼とはまた違う。
お前はちゃんと同じレールを走っているか、和を乱していないかと、無意識に、じっとこちらの動向を伺い、値踏みしてくるあの独特な空気。
言葉にされないからこそ、その目線は皮膚にピリピリと張り付き、見えない鎖のように自分を縛りつけてくる。
周囲と同じように生きることを強いるその空気の中にいると、自分の足元がぐらぐらと揺らぐ。
生きていくには、金が必要だ。
やりたいことをやるにも、何かを育てるためにも、現実のルールからは逃れられない。
周りのみんなは、その現実を当たり前として受け入れて、あの目線の内側で折り合いをつけて生きている。自分だって、それは痛いほど分かっている。
だからこそ、焦る。
高度に賢く生きられない自分が、ただただもどかしい。
高度にAIを使えるようにならないと、ここから抜け出せないという焦燥感。
底知れぬラビットホールに片足を引きずり込まれているような感覚のなかで、ふと思う。
俺の感情は、一体どこにいってしまったんだろうと。

今の私の色眼鏡は、世界をあまりにも重く、冷たいものとして見ている。
若い時は、世界はもっとシンプルで、もっと楽しい場所だったはずなのに。
知らぬが仏、だったのだろうか。
それとも、金がない時間が長すぎたせいで、心がすり減ってしまったのだろうか。
すべてを言葉にできるわけじゃない。自分の言語は、もう半分失われてしまったんじゃないかとすら思う。
それでも、あの偏光グラスの向こう側に見えた、圧倒的にクリアで温かい世界を、私はただの幻で終わらせたくない。
答えはまだ出ない。
今日も、あのピリピリした目線に抗いながら、重い色眼鏡をかけ直して、私は泥臭い現実の真ん中を歩いている。

