「自分を生きる」と決めた日|麻賀多神社 #27
「もっと自分らしく生きたい」
そう思っているのに、気がつくと誰かのために頑張っている。
嫌なことがあっても我慢して、
「私が頑張ればいい」と思ってしまう。
そんなこと、ありませんか?
私にも、そんな時期がありました。
今でこそ「歩くパワースポット修行中」なんて言いながら、神社を歩いていますが(笑)、当時の私は、自分の感覚を信じることが今よりずっと苦手でした。
今回訪れたのは、千葉県にある麻賀多神社。
「日月神示」が降ろされた場所として知られる神社です。
このときの私は、ここで何か特別なことが起きるなんて思っていませんでした。
でも、帰宅してから思いがけない出来事が起こり、そこから私の現実が少しずつ動き始めたんです。
そして今振り返ると。
あの日に起きたことは、私にとって「不思議な体験」だけではありませんでした。
「私は、このまま自分を後回しにして生きていくの?」
そんなことを考えるきっかけになった出来事だったのだと思います。
🌿導かれるように、麻賀多神社へ
ある日、たまたま目にした「日月神示」という言葉。
なぜだか妙に頭に残りました。
当時の私は、心身ともに疲れていたんです。
何を信じていいのかも分からない。
今の状況から抜け出したい気持ちはあるのに、どうしたらいいのか分からない。
そんな状態だったんです。
だから、
「聞いたことのない神社だし、正直ピンと来ないなぁ」
くらいの気持ちでした。
それでも、何かのきっかけを求めるように、千葉の麻賀多神社へ向かったんです。
曇り空の下、少し肌寒い日。
境内にはほとんど人の気配もありませんでした。
静かな境内に入ると、なんとも言えない張りつめた空気を感じて、ちょっと緊張したのを覚えています。
「ここは、ただの神社じゃないのかもしれない…」
でも。
この日に何か劇的なことが起きたわけではありません。
むしろ私は、緊張した分、ちょっとがっかりしていました。
一緒にいた友人は、ご神木から何かを受け取っているようで、とても気持ちよさそう。

私はというと、
「……私、何も感じないんだけど😥」
という感じでした。
神社に来たら何かを感じられる自分でありたい。
そんな気持ちが、どこかにあったのかもしれません。
ところが。
この日の出来事は、神社を出てから始まりました。

🌿帰宅後、写真に写っていたもの
家に帰ってから、母に天日津久神社の写真を送りました。
すると母が、
「ここに2柱の神様がいる。でも誰だか分からない」
と言ったんです。
言われた場所を写真で確認してみると。
木の中に、炎をまとったような、怒った表情の顔が写っていました!

あまりにもリアルで、家族みんなで、
「えっ!これは……!やばっ…😰」
となったほど。
ところが不思議なことに、母にも、一緒に行った友人にも、その顔が見えないって言うんです💦
「こんなにはっきり写っているのに、どうして私だけ……?」
私は、そこがものすごく気になってしまいました。
写真を見た時、その怒ったお姿から、こんな言葉が浮かんだんです。
「せっかく真理を示しているのに、誰も行動しない!」
「どういうこと?」と思って「はじめての日月神示」(著:中矢伸一)を読みました。
すると、神示五十六にこう書かれていました。
他人を殺して自分が助かるのも悪ですが、
自分を殺して他人を助けるのも悪です。
それを読んだとき、
「もしかしたら、あの顔は私に、今の自分の生き方を振り返ってみなさい、と伝えていたのかもしれない。」
そんなふうに感じたんです。
自己犠牲的な働き方をしている。
心は仕事を辞めたがっているのに、いやいや働いている。
それでいいのか?って。
そして、ここから私の現実が少しずつ動き始めます。
ここから先は、あの不思議な写真の「その後」だけではありません。
当時の私がどんな状態で、なぜあそこまで一つの職場に耐え続けていたのか。
そして、麻賀多神社への参拝をきっかけに、私が自分の生き方をどう見直していったのか。
今だからこそ振り返れる、私自身の内側の変化を書いています。
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いただいたチップは、神社へのお賽銭として大切に納めさせていただきます。 受け取った感謝を、また次へ巡らせていきたいと思っています。
