アユタヤの貴族!それが、日本人だと???!!
アユタヤ王国に生きた山田長政
17世紀。
アユタヤ王国は、東南アジアで最も国際的な都だった。
河に囲まれた都には、ポルトガル人、オランダ人、中国人、ペルシア人、そして日本人までもが住み、香辛料と金、言葉と信仰が交わっていた。
その中に、ふたりの日本にルーツを持つ人物がいた。
日本にルーツを持つ人が二人もいるの???!!! 一人は「武の力」で王に仕えた男、山田長政。
山田長政 ―戦乱の都で出世した日本人 ―
静岡・駿河の生まれと伝わる山田長政は、徳川幕府が海を閉ざす前の「朱印船貿易」の時代に、遠いシャム(現在のタイ)へと渡った。
アユタヤには当時、「日本人町(バン・イープン)」と呼ばれる一角があった。 そこには、商人、浪人、キリシタンなど、日本から流れてきた人々が数百人も暮らしていたという。
ナガマサはその町で頭角を現し、町のリーダーに選ばれた。彼は貿易で富を築くだけでなく、 アユタヤ王国の軍に「傭兵隊長」として加わり、勇敢な戦いぶりで王の信頼を得る。やがて「オクヤ・セナピムク」という貴族の位を授かり、 南部ナコーンシータマラート(リゴール)の総督にまで登りつめた。
あんちゃん、めちゃ昇進しちゃってますやん。
しかも、貴族までなっちゃって。
やり手やな。しかし、繁栄の陰には常に政治の嵐があった。
王の死後、後継者争いが起こり、 ナガマサは新たな権力闘争に巻き込まれる。忠誠を誓った王が失脚したことで立場を失い、最期は毒を盛られて命を落としたとも、反乱で討たれたとも伝えられる。
あれま~......
やられちゃったのね。それでも、異国の地で一人の日本人が 王国の高官にまで上り詰めたという事実は、今もタイと日本の交流史に深く刻まれている。 “海を越えた武士”
山田長政の名は、勇気と信念で異国を生き抜いた象徴となった。
異国の地で、活躍したのかっこよ。
タイの多くの人が移民だったのね。めちゃ衝撃の事実だった。
教えてくれて、ありがとう友達!
タイの歴史ほんまに知らんかったけど、興味を持てた。
アユタヤを遠い昔に何かあった場所ととらえていた距離感だったのが、
少しは身近にとらえられるようになったと思う。
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Reference
ヤマダ・ナガマサ(Yamada Nagamasa)
基本情報・来歴 駿河国清水出身、約1590年生まれ。朱印船制度を通じて東南アジアへ渡航。
出典
・上原善広『朱印船貿易と日本人町』(中公新書, 2017)
・Anthony Reid, Southeast Asia in the Age of Commerce, 1450–1680 (Yale University Press, 1988)
・Shinya Iwamoto, “Yamada Nagamasa and Siam” (Journal of the Siam Society, Vol. 95, 2007) Oka Mihoko
・「アユタヤの日本人町と山田長政」『東南アジア研究』第37巻第2号, 京都大学東南アジア研究センター, 1999
・Michael Smithies, A Resounding Failure: Martin and the French in Siam, 1672–1693 (Silkworm Books, 2002)
・山本達郎『山田長政とシャム』岩波書店, 1943(古典的研究)
・Iwamoto (2007), 同上論文 村井章介『朱印船時代の日本人町』吉川弘文館, 1993
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