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わたしの帰りたい場所

東京生まれ、東京育ちの私にとって、大阪はアウェーの地である。

ロンドンに生活のベースを移して15年経つ。
だから、アウェーにいること自体にはすっかり慣れているはず。なのだが、この大阪というのは微妙な場所に思えるのだ。

もしかしたら、イギリス人がアメリカに行ったとき、スペイン人がコロンビアに行ったとき、こんな気持ちになるのかもしれない。

看板も読める。
話していることもわかる。

でも、ちょっとだけ違う。

にほんばし、ではなく、にっぽんばし。
あわじちょう、ではなく、あわじまち。
てんまんばし、ではなく、てんまばし。

電車の路線図や地図が頭に入っていないから、看板は読めても、いちいちグーグルや路線案内に頼らないとならない。

道路の一方通行が分かっていないので、要領いい場所でタクシーに乗れない。

阪急オアシス、KOHYOに、フレスコとスーパーのチェーンになじみがない。

オフィスで、いわゆる日本の会社の慣習から少し浮いている自分を感じるのと同時に、普通の生活でも、ちょっとだけ不慣れな感じが積み重なって、アウェー感をそそるのだ。

イギリスやアメリカにいるときのように
自分の、相手の、見た目が明らかに違えば。話す言葉が違えば。
きっぱり覚悟が決まるのに。
ちょっとだけ違う場所、は、日本という母国にいながらも、なんだか遠い気持ちにさせる。

そんな私の大阪出張に、華を添えるように、東京から友達が遊びに来てくれた。

10代で知り合った誰かが、いまでも友達であること自体、ありがたいこと。
しかも、自分だけでなく、彼女たちもまた海外のいろいろな場所で暮らす時期があって、音信が途絶えてもおかしくなかった。
それでも、こうやって続いている。

幼いころからなので、自分たちだけでなく、兄弟姉妹のこともよく分かっている。
親のことも知っている。

だから、年齢なりの家族の悩み、介護、相続、そして自分の健康のこと、なんでも話せる。

先週末、今週末と、訪れてくれた中学、そして高校からの女友達たちの背中を新大阪の駅に見送った。

そして、改札のうえに大きく掲げられた時刻表に連なる「東京」という行先を、彼女たちの後ろ姿と同時に見つめた。

ああ、私の帰りたい場所、私の根っこ。
いつでも望めば帰っていけるところ。

ありがとう。
帰りたい場所、帰れる場所があるから。
私は今日も、ロンドンで、大阪で。
がんばることができるのです。

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