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祖父が残した山に身を置くと、いつの間にか"つくる"人になっていた話。

徳島の山奥で、yusanというブランドをはじめる。「遊ぶ」を起点に、茶空間をひらいたり、番茶や椅子などのプロダクトをつくる。

その山は、景色が良い里山で美しくて…なんていう、風光明媚な場所ではない。祖父の代まで林業を営み、山のてっぺんまで杉やヒノキが生えている。日本中によくある、なんの変哲もない人工林だ。

わたしたち後世のためにと30年以上前に植えられた木たち。祖父が亡くなり、木は切られずにいつのまにか日本の中で課題になっている放置山林というものになった。

それらをこれからどうしようか…と父と話し始めたのが、ことの発端だった。

山の価値の正体を探す

ちょうど3年前。父から「山のことどないするか考えなあかんな〜、何か可能性があると思うんやけど」との話が。

ふむ、確かに。最近山に行ってなかったなと思い、まずは山に入ってみた。

当時の写真。木が倒れていたが、光がさしてきれいだった。

たしか、その日は晴れていて、せっかくのいい天気だから本をたずさえてどこかで読むかと、ふらふら歩く。ぽっかり開いた空間があることはぼんやり知っていて、その辺りを目掛けて歩く。その場所について座り、なんとなく目を瞑る。そうすると、なんとも言えない満たされ感があった。大袈裟な感覚ではなく自然に「あー生きているんだな」と感じたのだ。

この空間には私だけなのに、私だけじゃない。

風でカサカサ揺れる木々や鳥の鳴き声、光がさすことで目を向けられる葉っぱたち。周囲にたくさん潜む、人間外の存在にただ身を委ねていた。

東京で暮らしていたら、このような、人間外の存在に気づかない。
蛇口を捻ったら水は出るし、言葉の通じない動物たちが出てくることに恐れることもない。私は、都市生活に慣れ、このような山の感覚をすっかり忘れていたようだ。

山に差す光を見る目線を、東京の家に持ち帰ると、そこにも山があった

この時に、山で得た感覚を可視化し、価値にすることが、祖父から父へそして私へ渡されるバトンなのだと思った。

たいてい、人工林の価値は木の一本一本の販売価格で市場換算される。カーボンクレジット制度では、森林計画を立てた林業を行う山ではCO2の吸収量でお金になるが、放置された人工林はそれらの対象にならない。

これまでの価値尺度では、この祖父の残した山は価値がないとされるものになる。いや、そんなことはないだろうと、ちゃんと周囲に伝えられるようにならなければいけない。
特に、山で感じた「満たされ感」のような感覚的価値は伝えづらいものだ。

分断された山とわたしたちの関係を、これからどうつないでいくのか。わたしは、山の価値をどのように可視化すればいいのだろうか。私は「山の価値の正体」を探究し始めた。

応答すること

山の正体について、すごく長い時間、水中に潜るように考えた。
「満たされ感」「生きる実感」と言う、感覚的・哲学的な問いを自分に投げかける、極めて内省的な時間でもあった。

学校に入って、社会に出て、都市部で暮らす。
そういった社会生活をしていくうちに、私は「生きる実感」をどこかに置いてきてしまった。

元々能天気な性格であることも相まって自分でも気づかなかったが、山で「生きる実感」を感じたのは、たぶん、自分自身の存在価値が曖昧になっていて、だからこそ存在を確認したいと言う強い欲求があったからだと思う。

人間は社会的な動物で、基本的には、人と関わることで生きていく。
けれど、人とだけ関わって生きるようにはつくられていない。
都市ができるまで、人はずっと、「人以外」と関わりながら生きてきた。

現代、「人以外」と関わると言うことを極端にわたしたちはしていないのではないか。そこから気づいたのが、山の価値の正体の一つ目「人間外の他者からの応答性」である。

山の中に身を置いたとき、山のいろいろな存在を通して、自分の存在を確認するような感覚が、まさにその応答性を実感するものであった。社会生活により、人間関係や人工的なものの中で生きてきたわたしにとって、その時間はとても心地よいものだった。

昔は、生活をすること自体が、人間外の存在との応答行為であった。
例えば、わたしの幼少期の生活用水は、山から引いており、大雨が降ったらお風呂のお湯は濁るし、葉っぱが詰まっていたらそもそも水が止まって出てこない。けれど、都市部で暮らしてすっかりそんなことは忘れてしまっていたのだ。

世界はこれからもどんどん細分化・サービス化される。それはとても便利でありがたい一方で、なにかが欠けた状態である。それらが、現代の暮らしで生きる実感を持ちづらい要因にもなっているのではないか。

昔のように自然との応答関係を意識的につくると、その欠けたものが、人間・自然双方に満たされるものに変わっていくのではと考えた。

と言っても、多くの人にとって、山の近くで暮らすのはハードルが高い。
そこで、私がまず実験したのが、昔していたように山に暮らしの一部をちょこっとだけ持っていくことだった。

ちいさいころ、お弁当箱にお昼ご飯をわざわざ詰めてもらって外で食べるのが大好きで、おなじようにわざわざ山にコーヒーやお茶を持って行って飲んでみたり。本を読んで、日記を書いてみたり。そんなこんなをしていると、山の中に茶が自生しているのをみつけ、お茶を作り始め、山に人を招くようになり…

山の中でお茶をその場で摘んで、淹れるという行為により、応答性が実感できる。そんな考えのもと、始まったのが茶空間の取り組みだった。

つくること

茶空間の実践をしていると、もうひとつの重要な存在に気づく。それが「つくる」と言う行為である。

小さいころ、わたしの遊びは、つくることだった。
今の時期だと、山に行ってつるや実をとってきてリースを作ったり、大きくなったら地域の人に教えてもらってカゴも編めるようになった。雨が降った翌日には、粘土がないか山に見にいって器のようなものを作ったり。花のある季節は摘んでプレゼントすることや、生けることが大好きだった。

けれど、いつの間にか、そのような遊びはしなくなる。
私たちは先述した世界の細分化により、極端につくらなくなっている。あらゆるものを外部化し、効率性を重視している。これらが生きる実感の喪失につながっていることもある。山が近くにある生活をしていたら、わたしは自然とつくることを取り戻していった。

茗荷。今年は豊作。味噌汁にして食べる。
ドクダミ。アルコールにつけ、虫除けスプレーにする。
止め石の概念解釈をした照明もつくってみた。salonesatellite2026に出展予定。


採集して、それを加工し、生活に取り入れる。
茶や木と言うような、物体があるものはもちろん、いつのまにか、短歌などの目に見えないものも「つくる」ようになっていた。それは表現行為だとも言える。幼少期に遊んでいたように、わたしは今、つくって、遊んでいる。

それが起こっているのが、わたしだけではなかったことが、「つくる」ことの重要さに気づいたきっかけだった。

山に来た友人たちが、山の体験を絵にしたり、お菓子にしたりということをしてくれたのだ。(ほんとうに素敵な絵なのでぜひ見て…!)

何かを山と応答しあいながら受け取って、つくる行為が生まれている。そうして生まれた、山とわたしたちのあわいに存在するものが、また応答関係を呼び起こす。そんな循環が生まれるのではないか。

山と、遊ぶという実践

応答すること、つくること。このふたつの山の価値の正体をわたしは「yusan=遊山」と名付けた。文字通り、山と遊ぶということだ。

徳島には、旧暦の桃の節句のころ、子どもたちが三段の重箱「遊山箱」を携えて野山へ出かける習慣があった。これは暮らしが自然と交わる機会であったはずだ。山と遊ぶという行為を、使われなくなった山林で初めてみる。それを現代の遊山文化と再解釈する。

遊ぶという原初的な行動を山でする人が増えたら。そしてその行動により経済循環や山の管理につながっていけば、山の価値が世の中に改めて位置付けられていくのではないか。そうすると祖父をはじめとするいろんな山に木を植えたひとたちの苦労も、日の目を浴びる。

遊びは蓄積すると、文化になる。山はその文化の種がたくさん眠っている場所。それらの文化を起こしていく場として、あらためて11月29日、yusanという試みをおひろめすることにした。

■yusan open market
2025年11月29日(土)11-16時 入場無料
徳島県海部郡牟岐町内妻31


会場の入り口。元々タバコの葉の乾燥場として使っていた場所。

この日から山の茶空間もバージョンアップし、番茶の販売も開始。
そして、山と人間のあわいにある「つくる」をしている仲間たちが県内外からこの山奥に集まってくれることに…!みんなで山と遊ぶ1日をつくれたらと思います。多分、どんな場所からも遠い山奥ですが、もしよければ、遊びに来てください。

じいちゃん、わたしはいま、昔一緒に山に行ったときと同じように遊んでいるよ。

祖父か、さらにその祖父かが作ったスツール。私のお気に入り。現代版をつくる予定。


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