生きたりない
自分に嘘をつくのが、当たり前だった時期がある。
時期がある、というよりも、
もの心つく頃から、ずっと嘘をつき続けてきた、
というほうが正しいだろう。
きっかけは、NHKの舞台中継
芥川比呂志の『マクベス』だった。
マクベス夫人は玉三郎だったと思う。
私は、まだ小学一年生か二年生くらいだった
子どもが見るようなものではない。
おそらく、親が見ていたのを、そばで一緒に見ていたのだろう。
あるいは、ただ、つけっぱなしになっていたのかもしれない。
内容は、ほとんど理解できなかった。
今では映像はおろか、写真すら一切残っておらず
もう一度、あの舞台を確認することはできない
だが、理解できないながらも、子ども心にただ一つ、
はっきりとわかることがあった。
これは、何か、すさまじいものだ
――魂が震える、としか言いようのない時間だった。
にもかかわらず、
あの舞台の話をしたことは、一度もなかった
そもそも、あらすじも魅力も、
きちんと説明できるほど理解はできなかったし
あの経験は、小学生の語彙で
説明できるようなものでもなかった。
だが
何より怖かったのは、
あの舞台の話をして
「あの子、変」と言われることだった。
「汚い」と「変」は、
子どもにとって、二大キラーワードだった。
「汚い」子、「変」な子とは、遊ばなくていい
仲間外れにしてもかまわない
悪いのは、むこうなんだから
それが、当時の
少なくとも、私の周辺の子供たちのルールだった。
一人になっても構わない、というだけの度胸は、
そのころの私には、まだなかった。
あの舞台の印象が、よほど強かったのだと思う。
トラウマというわけでもないのだろうが
私の趣味は、子供のころから、かなり独特だった
毒と、爛熟と、美のあるもの。
清らかなものより、ゆがんだものに、強く惹かれた。
高校のころの愛読書は、
オスカー・ワイルドの『サロメ』だった
高校の図書室に置いてある本には挿絵がなく
ビアズリーの挿絵が見たい一心で
隣町の書店まで出かけ、
挿絵入りの岩波文庫版を買い求めた。


ギュスターヴ・モローが描いた、
同じく『サロメ』の幻想的な絵画。
ちょうどこのころ出版された、
チェーザレ・ボルジアの伝記も、お気に入りで
文字どおり、むさぼり読んだ。
だが、これを人に知られては大変なことになる、と思った。
当時、私は中高一貫の女子校に通っていた。
世間では、アイドル全盛期。
聖子ちゃんか、明菜ちゃんか。
たのきんトリオの誰が好きか
休み時間の話題は、だいたいそんなものだった。
そこに、ビアズリーは、
考えるまでもなく、合わなかった。
この年代には、
世界が極端に狭くなってしまう空気があるように思う。
少なくとも、私の通っていた学校では、そうだった。
「あの子、ちょっと、ねえ」
「あたしたちとは、合わないかも」
それだけで、
次の日から、昼食の弁当を
食べる相手がいなくなる
一緒に帰る人もいなくなる
「好きな人同士で組みましょう」といわれる
グループ学習の相手がいなくまなる
修学旅行の班分けで
「一緒になりたい人、避けてほしい人の
名前を書いてください」という教師の指示て
何がおきるか、言われなくても想像がつく
それが、とても怖かった
特に、高校は
ひとりでは、ほとんど生きていけないような
社会システムになっていたように思う
「お友達がいない」ことは、
自分の人格に欠陥がある、と同じ意味だと
私は思い込んでいた。
いや、思い込まされていたのだと思う。
だから、私は自分が好きなものを、すべて隠した。
まるで重い罪であるかのように、
慎重に、細心の注意を払って
皆と同じに見えるように
今思うと
当時の私の生活は
虫の擬態そのものだった
自分が虫であることを押し隠し
どこにでもある、木の葉や枝のふりをする
鳥という巨大な暴力に
押しつぶされてしまわないために。
私の好きな、耽美派を、象徴主義を、イタリア・ルネサンス史を。
ただ、ほかの人が興味を持っていないという理由だけで、恥じた。
何より、こんな妙なものが好きだと思う
自分自身を異常だと、恥じた。
大人になった後で
当時の自分の落書きのような絵を
見つけたことがある
白鳥の群れに迷い込んだ
たった一羽だけの、カラスの絵だった
すでに描いたことすら忘れていたが
自画像だ、と一目でわかった
落ちていた白鳥の羽根を拾い、身に飾ってごまかしながら、
いつかその羽根が落ち
正体がばれてしまうのではないかと、
ひやひやしながら日々を過ごしている
そんな自分の姿が
絵という形で刻み付けられていた。
そのため、私の中高時代には、あまりいい思い出がない。
罪人のように秘密を抱え、自分を恥じながら、
ただ日々をやり過ごす。
それは、「青春の輝き」などという言葉からは、程遠い時間だった。
私が、これをやめようと思ったきっかけ――
というより、私の心が噴火したきっかけも、
またテレビだった。
これは、よく覚えている
何の気なしにつけていたNHKの定時ニュースで、
ダンスの一部が放送されていた。
ダンス、というには、あまりにも異様だった。
真っ赤な円形のテーブルの上で、
男が一人、踊っている。
単調なのに、波打つような
エネルギーの塊がうごめいていくような音楽
それを、余すところなく、
自分の体で表現している男
数十人の人々が、その周囲を取り囲むように、
というよりも
まるで男に
吸い寄せられるように踊り始めていた。
人数は次第に増え、
テーブルの上の男は、踊りを通り越して、
何か別のことをしているように見えた。
異教の神に捧げる祈りなのか、
それとも、その神そのものが降臨したのか。
男が手を振り上げるたび、
地面の奥底から、見たこともないエネルギーが、
火柱のように噴き上がってくる――
そんな幻覚が、見えるようだった。
型から外れた、生のままの生命力が吹き上がり、飛び散り、
周囲のダンサーたちを巻き込みながら、
巨大なうねりとなって膨れ上がっていく。


ほんの数分の映像だったと思う。
踊りは唐突に途切れ、画面は振付師のインタビューに切り替わった。
これが、二十世紀最高の振付師の一人、モーリス・ベジャール。
踊っていたのは、ジョルジュ・ドン。
作品は「ボレロ」。
そのすべてを、私はかなり後になってから知った。
その時、不意に、しかし何もかも自然に
「もう、やめよう」と思った。
まるで私自身も、あの群舞の一人になって
赤いテーブルの上で踊っていたジョルジュ・ドンに、
見えない糸を引かれたようだった
自分ではない誰かのように装うのを、やめよう。
一人になることを恐れるのを、やめよう。
そもそも、明らかに自分ではない
ただの「擬態」を
好きになってもらっても、仕方がないではないか。
本当の私を気持ちが悪いと思うのなら、
その人は、いくら私のそばにいても、
満員電車で隣り合った他人と同じだ。
私の友ではない。
そう決めた時
頭の中で、ボレロがなっていたような気がする
ちょうど高三の冬、入試直前で学校に行かなくなった時期だったため、
友人関係も自然に減っていき、
大きな摩擦もなく高校を終えることができた。
この点は、まあ、ついていた方だと思う。
当時は、今のようにネットがある時代ではなかった。
明らかに少数派に属する自分と同じ趣味の人間を、
学校と予備校しか世界のない高校生が見つけるのは
ほとんど不可能だった。
だから、私は次第に一人で動くようになった。
今でいう「ソロ活」だが、当時は、そんな言葉さえなかった。
最初に一人で行ったのは、国立西洋美術館だった。
入試の合格祝いでもらったお金で、
私がいちばん好きな画家、ギュスタフ・モローの画集を買った。
その中の一枚の解説に、小さく
「日本・国立西洋美術館所蔵」
とあった。
その1枚に会いに行った。
小学校の遠足で動物園に来て以来の上野
一人で来るのは、初めてだった。
初めて、国立西洋美術館の門をくぐり、
ロダンらしき彫刻の群れの中を通り、
思っていたよりずっと広い、館内を探すように歩いて
常設展の扉を開き、中を進んだ。
一階の、逸品ばかりを取りそろえた、
いわば、特別室の一番奥の白い壁、
ピカソやゴッホを通り越したその先に、
それがかかっていた。
作品の名は
「牢獄のサロメ」
私は、長く憧れ続けてきた
ギュスタフ・モローの絵の前に立っていた。
しかも題材は、何年も心に住みついていたサロメだった。
妖艶な悪女に描かれることの多いサロメが、
この絵の中ではうつむき加減で、
ほっそりとした姿は、薄暗い牢獄の中で、
ほんのりと発光しているようにも見える。
もともとは、聖書の物語だという。
ユダヤの王女サロメは、恋した聖人カヨナーンに
汚らわしいと退けられる。
だが、サロメはヨカナーンを手に入れる
彼を殺し、生首にするという形で。
絵の中の、どこか清らかさを漂わせる
牢獄のサロメの足元には、
ヨカナーンの血にまみれた布が、
ぐしゃぐしゃに丸められて落ちている。
現実感を欠き、
どこか清浄な悪夢のようだった。

私は、その絵を、ただただ美しいと感じた。
そこそこ綺麗なものは、これまでにもいくらでも見てきた。
だが、心の底から美しいと思ったのは、
この絵が、初めてだった。
「牢獄のサロメ」の前に、
私はどれほどの時間、立っていたのだろうか。
何の理屈も、いらなかった。
ただ、心が理解した。
ここが、私の居場所なのだ、と。
いつの間にか、絵の輪郭線がゆるみ、
視界がぐずぐずに崩れた。
ああ、私は泣いているのだと、
頭のどこかが、妙に冷静に判断していた。
その絵が、松方コレクションの一つであることも、
収集したのが昭和初期の実業家だったことも、
そのときの私には、どうでもよかった。
私と同じものを見て、
同じように美しいと感じた人が、
かつて確かに存在した。
同じ魂の欠片を持っている人が、いた。
ただ、それだけで十分だった。
その瞬間から、
高校時代のすべての「友人」に代わって、
一度も会ったことのないうえに
すでにこの世にいない松方氏が、
私の友になった。
その後、私は自分隠すのを、やめた。
怖がるのも、やめた。
好かれるための擬態をやめれば、好かれなくなる。
当然のことだ
好かれるために偽るか、
両方を、やめるか
ルートは二つしかない
私は特に、人間嫌いというわけではない
ただ、ごく自然に、
二つ目のルートを選んだに過ぎなかった
ありがたいことに
今はネットで、同じ趣味、同じ考えの人とつながることができる。
顔も名前も知らない相手だが、
趣味の一点だけでつながっている。
この、緩い関係もとても楽しかったりする。
今は、時間をかけて選び、集めた、
自分の好きなものに囲まれて暮らしている。
どうやら私は
夢と現実のあわい、とか、両方の溶け合う境目、
そんなものが好きなようだ
白寄木細工のマウスパッド、
ムスクの香りのハンドクリーム、
江戸切子のロックグラスの中で光らせるLEDライト
毎日少しずつ見る、ワーグナーの「指輪」四部作のDVD、
そして、数年に一度だけ来日する、ベジャールバレエの公演
目のつんだ、無地のセーターに手作りのブローチ。
これは、国立博物館の階段灯に刻まれていた、
つる草模様がとても気に入ったので、
樹脂粘土で見様見真似で作り、
プラモデル用の塗料で金色に塗ったものだ
オーデコロンは、
クリスマスマーケットで見つけた、
ハーブアロマの店で、
好きな香りをブレンドして作ってもらったオリジナルだ。
ウッドノートに、シダとモス、
それにわずかなフローラルとスパイス、
香りで描く自画像といったところだ
息子も巣立ち、親も見送った。
俗にいう「おひとりさま」だが、
愛猫という相棒はいる。
いつの間にか迷い込み、
住み着いた元野良猫だが、
一番気ごころがしれており、
何より、距離感が心地よい。
遺産争いのもとになるようなものは、何も持っていないが、
私の愛するものに囲まれている生活。
他人が理解してもしなくても
わたしには何のかかわりもない
大事なのは、私が「私の王国」の王であることだ。
ワーグナーのDVDで、一日が荘厳に終わり
ベッドに朝日が差し込むころには
スマホがタイスの瞑想曲を奏で、
優しく私を起こしてくれる
毎日、きらきらしたものを追い求めているうちに
いつの間にか、年を取っていた
だが
すべてを見つくした、とは、とても言えない
モローの絵画も、ベジャールの「ボレロ」も
一度見たから、それでいい、といえるような
底の浅いものではない
何度見ても、何度感動しても
それでも味わい尽くせない、深みと豊かさがある
それに
若いころには気づかなかった良さが
この年になって初めてわかってくることがある
グレン・グールドの、ゴールドベルク変奏曲
若いころには、退屈にしか聞こえなかった曲が
今では、古い友人に語り掛けられているように聞こえる
長谷川等伯の、松林図屏風
白と黒しかない墨絵
渋すぎてつらい、と思ったはずの絵が
表面の穏やかさの奥に隠しもっていた
ゴッホ以上のエネルギーに、気づけたのも
そのすさまじい気迫に
足がすくむほどに圧倒されたののも
還暦を過ぎ、いささかの成熟を迎えてからだ
一方で、新しいつぼみがどんどん花開いていく
これ以上の才能はあるまいと思っても
いつの間にか、それを脅かす若手が出てきて
新しい時代が作られていく
ホロヴィッツの演奏の高みは
誰にも届くまいと思っていたのに
CDで聞く、アルゲリッチや、辻井信行に
こころからの、拍手を送っている
見たいもの、聞きたいもの、受け止めたいものが
年を重ねるごとに、どんどん増えていく
人生は、消費しきれないほど美しい
私は到底、生きたりない
