AIで書いたリプを「スパム」と呼ばれ、"自分で書く"の意味を考えた男の話
自分はXで、投資やAIの話にリプを返している。ぜんぶ自分の指で打っているわけじゃない。AIで見つけ、AIで書いている。理由はマーケティングと、実験だ。生成AIをどこまで自分の運用に組み込めるか、実際に手を動かして試している。
そのリプに、正反対の反応が返ってきたことがあった。
片方は「勉強になった、ありがとう」と、ふつうに受け取ってくれた。
勉強になります。どこが株価の戻りが早いかも見ていきたいと思います。ありがとうございます。😊
— にこそく (@nicosokufx) July 19, 2026
もう片方は、こう返してきた。生成AIによるリプ作成はスパムとしてブロック対象にしている、だから自分の言葉でコメントしてほしい、と。丁寧な文面だった。怒鳴られたわけじゃない。ただ、はっきりと弾かれた。
同じ文章だ。中身の出来が違ったわけでも、相手を選んで手を抜いたわけでもない。片方は中身を受け取り、片方はスパムとして処理した。
このとき頭に残ったのは、ひとつの問いだった。——"自分で書く"ことの意味は、そもそも何なのか。
■ ゲームは誰も自分で作っていない
自分はいま、VRのゲームをAIに作らせている。ヘッドセットをかぶって走り回れる街を、コードを書かせて組み立てている。ゲームをAIで作るなとは誰も言わない。
文章やイラスト、音楽を「自分で書け」と言われる。この差は何だ。
映画の監督は、絵コンテを描いて、どう見せるかを決める。でも、何万枚の作画を自分の手で全部描くわけじゃない。ゲームのディレクターも、ゲームそのものは設計するが、コードを全部自分で打つわけじゃない。何を作るか決める仕事と、それを手で形にする仕事は、別々に分かれている。それでも出来上がったものは「あの人の作品」と呼ばれる。動画やゲームは、AI以前からとっくに「作者とは、全部を自分の手で作った人だ」という等式を手放している。作者とは、決めて、途中で判断して、出したものに責任を負った人のことだ。
文章や、絵や、音楽は、まだその二つが一人の手の中でくっついている。何を作るか決めることと、実際に手で作ることが、同じ人の同じ作業だと思われてきた。だからそこをAIに渡した瞬間、作者ごといなくなって、偽物になったように見える。
つまり差は、媒体の性質じゃない。決める仕事と作る仕事を切り離して、「決めた人が作者だ」と言えているか。まだ「手を動かした人が作者だ」のままか。それだけだ。
だとすると、"自分で書く"の"自分で"は、指を動かすことじゃない。何を書くと決めて、どう運ぶかを握ることだ。ゲームや映画ではとっくに片づいた話が、文章や絵や音になった途端に、分からなくなる。見えなくなっていたのは、そこだった。
■ 借り物じゃない言葉なんてない
そもそも、自分の言葉なんてものが、どこにあるのか。
使っている語彙も、言い回しも、全部どこかで覚えて借りてきたものだ。漢字はIMEが勝手に変換する。あやしい文法は校正ツールが直す。挨拶や定型のやりとりはコピペで済ませる。ここまでは誰も文句を言わない。なのにAIに文章を組ませた瞬間だけ、それは「自分の言葉じゃない」ことになる。
線を引けるなら、引いてみてほしい。変換はよくて、生成はダメ。校正はよくて、下書きはダメ。その境目に、筋の通った理由は見つかるのだろうか。
似た話は前にもあった。電卓が出たころは、暗算を放り出すのはズルだと言われた。カメラも、絵を描く手間を省くだけの機械だと嫌われた。機械翻訳も同じ道を通った。いまその文句を言う人は、もういない。道具を拒む線引きは、たいてい一世代で消える。
手で打ったかどうかで「本人が書いたか」を測るのは、もう無理がある。測っているつもりで、指の動いた回数を数えているだけになる。
■ スパムという人は相手にコストを求めている
スパムと呼んだ相手が欲しかったのは、たぶん文章の中身じゃない。「人間が、自分に手間をかけた」という事実のほうだ。AIで書くと、その手間の証拠が偽物になる。だから弾いた。筋は通っている。
ただ、その証拠は、いまや誰にでも作れる。それらしく心のこもった言葉を、一瞬で、いくらでも。偽造できるようになったものは、証明の道具としては効かなくなっていく。
手紙が重かったのは、書くのが面倒だった時代の話だ。時間と手間がかかるからこそ、そこに「わざわざ割いてくれた」という事実が乗っていた。そのコストがゼロに近づけば、言葉に乗っていた重さも、一緒に軽くなる。
だから証明は、言葉の外に移っていく。実際に何を調べたか、いくら自分の金を張ったか、どんな判断を積み重ねて、どこで外したか。信用は、これから先、そっちにしか残らない。
■ だから自分は、やめない
結論として、自分はAIを使うのをやめない。やめるどころか、もっと上手く使う方に振る。
こだわる場所が、自分ではないと分かったからだ。大事なのは「手で書いたか」ではなく「何を乗せたか」だ。どういう相手に、どのテーマで、何を言うと決めたか。何を調べて、どういう判断でその一言を出したか。そこは、AIには代われない。
スパムと呼ばれたあのリプも、中身は自分が決めている。読む相手も、話すテーマも、結論も。文字を並べる作業だけを、AIに渡している。渡していい部分と、渡せない部分を、自分で切り分けている。それを、もっと精度よくやる。それだけの話だ。
「自分で書け」と言われて、自分で書くことの意味を探しにいった。
それは乗せるものを持っているかどうかの話に行き着いた。
「何を乗せたか」を大事に今後も続けていく。
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