【六歩目】藐姑射の山の神人 - 仙と俗 -
第六歩目です。今日も『荘子』の逍遥游篇の続きを。
1.藐姑射の山に住む神仙

❝肩吾問於連叔曰「吾聞言於接輿、大而無當、往而不反。吾驚怖其言、猶河漢而無極也、大有逕庭、不近人情焉。」連叔曰「其言謂何哉?」曰「藐姑射之山、有神人居焉、肌膚若冰雪、?約若處子、不食五穀、吸風飲露。乘雲氣、御飛龍、而遊乎四海之外。其神凝、使物不疵癘而年穀熟。吾以是狂而不信也。」❞
→肩吾は連叔にこう訊いた「私が接輿から聞いた話はあまりにも大きすぎてつかみどころがなく、戻ったまま帰って来れないんだよ。まるで天空の銀河のように極まりなく、普段の考えとはかけ離れた話だ。」
連叔「その話はどんな話だね?」
肩吾「藐姑射(はこや)の山に神人が住んでいて、その肌は雪のように純白で、まるで少女のように柔弱なのだそうな。五穀を口にせず、風を吸い、露を飲むという。雲に乗り、飛龍を御し、四海の外に遊ぶ。その神がまとまると、人々は病気や怪我の心配もせず、実りも豊かになるという。私は、その狂った話をにわかには信じられなかったよ。」
肩吾と連叔という人物の会話の中に不思議な話が出てきます。このうち、「藐姑射の山に神人がいる」という記述があります。『荘子』が書かれた時代にはまだ「神人」という言い方をしていますが、これはいわゆる「神仙」のことを指します。後の世に言う「仙人」のことですね。

日本人に身近な仙人というと七福神のうちの寿老人や福禄寿といった、老人のような姿の仙人が知られています。あとは「酔拳」で有名になった、七福神の元ネタともいえる「八仙」も仙人です。
他にも日本の国民的漫画『ドラゴンボール』に出てくる亀や鶴や猫の仙人たちも日本人にはなじみが深いと思います。ちょうど、文中の「雲に乗り、飛龍を御し、四海の外に遊ぶ。」なんていう『荘子』の記述も、ドラゴンボールの世界観に一致します。
2.「仙」と「俗」

にんべんに山と書いて「仙」と読み、にんべんに谷と書いて「俗」と読みます。(『荘子』という書物には「仙」の字は出てきませんが、「世俗」という形で「俗」の字は登場します。)藐姑射(はこや)の山に住む仙人たちも、世俗とはあまり交わらずに、世俗とは距離を置いた生活をしていたようです。ちょうど、ドラゴンボールの亀仙人は絶海の孤島に住んでいますし、猫仙人のカリン様も人間世界から隔絶した塔の頂上に暮らしていましたね。
3.現代日本の藐姑射の山。
例えば、上皇陛下のように、天皇を退位されて公務から離れられた後のお住まいを伝統的に「仙洞御所」といいますが、ここでいう仙洞も、俗世や政治的な環境から距離を置くという意味です。なお、この仙洞御所の別名を「藐姑射の山(はこやのやま)」と言います。もちろんこれは上記の『荘子』の記述に由来します。「仙洞御所」を「藐姑射の山」と呼ぶようになったのは、だいたい平安末期のころのようです。
うごきなき なほよろづよぞ 頼べき はこやの山の みねの松風
〈式子内親王〉
4.仙人になるには?
実は、今回の『荘子』の文章は、道教の修練方法のダイジェスト版ともいえる作りになっています。すなわち、
(1)五穀を口にせず ➙ 道教の食事による修養法「辟穀(へきこく)」
(2)風を吸い ➙ 道教の呼吸法による鍛錬
(3)露を飲む ➙ 仙薬の服用
(4)雲に乗り、飛龍を御し、四海の外に遊ぶ ➙瞑想法による鍛錬
と読むことができます。つまりは仙人になる方法論が載っているというわけです。

たとえば、(2)道教の呼吸法による鍛錬によって、「肌は雪のように純白で、まるで少女のように柔弱なままでいる」ということも可能なわけです。

『ジョジョの奇妙な冒険』の「波紋」はこの道教の修練法をモデルにしています。初期の段階では「波紋」は「仙人の道」、「仙道(せんどう)」と呼んでいまして、ジョジョにも『荘子』の影響は見られます。
あんまり脱線すると大変なので今夜はここまで。続きは第七歩目でお会いしましょう。それでは to be continued👉
