【五十五歩目】荘子と「氣」。
はい、では五十四歩目の続きで、今回は荘子と「氣」について。
1.氣の身体論。

❝(中略)莊子曰「不然。是其始死也,我獨何能無概然。察其始而本無生,非徒無生也,而本無形,非徒無形也,而本無氣。雜乎芒芴之間,變而有氣,氣變而有形,形變而有生,今又變而之死,是相與為春秋冬夏四時行也。」❞
➙(中略) 荘子は言った。「いや、そうではないのだ。彼女が死んだ時は 私だって悲しかったさ。しかし、こう考えたんだ。人生は始まりを考えてみると、私たちはそもそも「生命」などなかったのだ。ただ生命がなかっただけでなく、「形(身体)」もなかった。それどころか、元々は「氣」すらもなかったのだよ。ぼんやりとした中に何かが混ざり合い、それが変化して 「氣」が生まれた。その「氣」が変化して「形」ができ、その「形」が変化して「生命」が生まれたのだ。そして今、彼女は再び変化して「死」へと向かっている。これは、春・夏・秋・冬の四季が巡り行くのと同じことではないか。」

『荘子』の氣は『老子』と比べても内容が豊富で後世への影響も大きなものが目立ちます。まずは、「至楽篇」の文中にある「人が生命を宿すまでのステップ」を。
1.芒芴之間 ➙ ぼんやりと混ざり合った状態(混沌・無)
2.氣 ➙ 生命のエネルギー
3.形 ➙ 身体
4.生 ➙ 生命・いのち
最初に「ぼんやりとした状態(芒芴)」から「氣」が現れ、「氣」が「身体」を形作り、そこに「生(生命)」が宿る。このサイクルは春夏秋冬の季節の巡りと同じようなもので、死はこのサイクルとは逆に、身体を失い、氣を失い、最終的には再び渾沌や無に回帰していく流れといえます。この生と死のとらえかたは、理屈ではなく感覚的に共感します。
2.聚まれば生、散ずれば死。

❝「生也死之徒,死也生之始,孰知其紀。人之生,氣之聚也,聚則為生,散則為死。若死生為徒,吾又何患。故萬物一也,是其所美者為神奇,其所惡者為臭腐;臭腐復化為神奇,神奇復化為臭腐。故曰:『通天下一氣耳。』聖人故貴一。」❞
➙ (中略)生は死の道連れであり、死は生の始まりである。誰がその根本を知りうるだろうか。
「人の生は気の聚(あつ)まったもので、聚まれば生となり、散ずれば死となる」もし死と生が本質的には同じものであることを知れば、何を患うことがあろうか。
ゆえに万物は本質的に一つである 。
人は自分が好むものを『神奇』と呼び、嫌うものを『臭腐』と呼ぶ。だが、腐ったものは再び変化して素晴らしいものになり、素晴らしいものもまた変化して腐ったものになる。
だからこそ『天下を通ずれば、ただ一氣のみ』と言うのであり、聖人は、この「一(一の氣)」を貴ぶのである。」
「人の生は、気の聚(あつ)まれるなり」。「生」とは「氣の集合」であり、「死」とは「氣の散乱」であると。「氣」を通してみると生も死も氣の集散の変化の一つに過ぎない。また、絶え間なく生物たちが生と死を繰り返すこの世界は、氣にあふれた世界と言えます。

この知北遊篇では、『生』と『死』だけでなく、『神奇』と『臭腐』という生命の二つのあり方のサイクルと通して、生命の営みのダイナミズムを示しています。なんというか『風の谷のナウシカ』の腐海を思わせる描写です。

❝元気玉は 草や木 人間や動物はては物や大気にいたるまでの あらゆるエネルギーをほんの少しずつわけてもらい それを集合して放つ技……❞
それ自体は目に見えず、実体の持たない生命エネルギーとしての「氣」の概念は、ドラゴンボールの「気」として活用されています。「元気玉」などはその典型です。
❝Yoda:“For my ally is the Force, and a powerful ally it is. Life creates it, makes it grow. Its energy surrounds us, and binds us. Luminous being are we, not this crude matter. You must feel the Force around you. Here, between you, me,the tree...the rock...everywhere.!!Yes...even between the land and the ship.”❞
➙ ヨーダ「ワシにはフォースという心強い味方がついておる。生命がそれを生み出し、育む。その偉大なる力は我々の周囲に満ち満ちて我々を結びつけておるエネルギーなのた。我々は光の存在なのだ、ただの肉の塊ではないのだぞ。お主は、フォースを感じねばならぬ。ここにも、ワシとお主の間にも・・あの木々にも、岩にも・・そう、あらゆる場所にな!そして、この大地とあの戦闘機との間にも。」
あと「氣」は、『スター・ウォーズ』におけるフォース(Force)の概念としても使用されています。マスター・ヨーダと界王様は言っていることが同じでしょ?
3.氣で聴く。

❝「若一志,无聽之以耳而聽之以心,无聽之以心而聽之以氣。聽止於耳,心止於符。氣也者,虛而待物者也。唯道集虛。虛者,心齋也。❞
➙ お前の心を一つにしなさい、耳で聞くのではなく心で聴き、いや、心で聴くだけでなく氣で聴きなさい。耳は音声を認識するだけのもの、心はその事物を峻別するだけもの。氣は空っぽであるがままの事物を待っている。この虚こそが心齋と言えるのだ。
もう一つ、氣というと、物事の本質をとらえる媒介として使われる場合があります。耳ではなく心、心ではなく氣と、感覚器官にとらわれずに対象を把握する。いわゆる「心眼」に近いとらえ方です。
❝Your eyes can deceive you, don't trust them.❞
➙お前の目はお前自身を騙すことがある。目に見えることを信じるな。
「氣」とフォースについてはまたいずれ。そろそろ限界なので今日はここまで。続きは五十六歩目でお会いしましょう。それでは、May the Force be with you!
