【九歩目】老子と孔子 - 大道廃れて仁義あり -
本日は九歩目。今回は老子と孔子について。
1.孔子の思想。

まずは、孔子の思想について。孔子は紀元前6世紀くらい、春秋戦国時代に魯という国で生まれ、独学で学問を修めて、後に東アジアの思想の中心的な存在となる「儒教・儒学」の祖となりました。中心的な考えとしては仁(思いやり)や礼を中心とした徳による政治です。また、孔子はかつて中国で栄えていた周の時代の社会秩序を理想とし、春秋戦国時代の乱れは周の時代の「仁」や「礼」を重んじる精神が失われたことに起因すると考えました。孔子の思想には、かつての「礼」を再現しようとする、復古主義的な傾向があります。
孔子の死後、弟子たちによって孔子の思想は時代を超えて受け継がれ、孔子の言行録である『論語』は、中国のみならず東アジア全域で読み継がれ、日本人の思想や精神にも多大な影響を与えました。
2.大道廃れて仁義あり。

この孔子の考えと対照的なのが老子です。
❝大道廢、有仁義。智惠出、有大僞。六親不和、有孝慈。國家昬亂、有忠臣。❞
➙大いなる道が廃れたから仁義が有る。さかしらな知恵が増えると大いなる偽りが顔を出す。親族が仲たがいをするから、親孝行をむやみにありがたがり、国家が麻のように乱れているから、忠臣がもてはやされるのだ。
「大道廃れて仁義あり(たいどうすたれてじんぎあり)」。簡単に言うと、人間の無為自然の大いなる道(TAO)が廃れたせいで、「仁義」などという価値観が幅をきかせるようになったのだと言います。老子は「仁義」という価値観よりももっと根源的なものとして「道(TAO)」が存在しているとして、人々が「道」が廃れた後にできた「仁義」などの価値観を称揚することによって、自然から離れていき、様々な問題を生じさせていると考えているわけです。

例えば、テレビ番組の「警察24時」といった警察官が活躍をしている番組を視聴する人もいるでしょう。ああいった番組をみて、警察官が活躍していると、「正義が実践されている良い町」だな、と思うかもしれませんが、本当に良い町ならそもそも犯罪など起きもしないはずです。本当に良い町なら警察官は暇なはずですよね。むしろ、お巡りさんなんてほとんどいない田舎のほうが治安が良かったりもします。老子は、孔子が周の時代を手本として打ち立てる仁や礼などの美徳や制度は人為的なものであり、人為のない無為自然に立ち戻ることを説きます。
3.老子に会った孔子。

後世に「儒家」と「道家」という中国における思想の2大潮流の始祖となる二人ですが、実は二人は共に同時代の人物で、老子と孔子は直接会ったことがあるという説があります。司馬遷の『史記』の中に収録されていますのでちょっと。
❝老子者,楚苦縣厲鄉曲仁里人也,姓李氏,名耳,字耼,周守藏室之史也。
孔子適周,將問禮於老子。老子曰「子所言者,其人與骨皆已朽矣,獨其言在耳。且君子得其時則駕,不得其時則蓬累而行。吾聞之,良賈深藏若虛,君子盛德容貌若愚。去子之驕氣與多欲,態色與淫志,是皆無益於子之身。吾所以告子,若是而已。」孔子去,謂弟子曰「鳥,知其能飛。魚、吾知其能游。獸、吾知其能走。走者可以為罔,游者可以為綸,飛者可以為矰。至於龍,吾不能知其乘風雲而上天。吾今日見老子,其猶龍邪。」❞
➙老子とは楚の国の苦県の厲鄉、曲仁里(らいきょう、きょくじんり)の人である。姓は李氏,名は耳,あざなは耼。周の国の図書蔵の官吏であった。孔子が周にゆき、老子に「礼」について質問したところ、老子は言った「あなたが話しているの人々は、すでに亡くなって朽ち果ていていて、言葉だけが残っている者ばかりだな。君子は時流に乗れば馬車を乗り回す身分になれるが、機会に恵まれなければヨモギの種が風に吹き飛ばされるように転々とするだけだ。私は「良い商人は品物を隠して込んで店を空っぽに見せかけているが、君子は盛徳を持っていてもその容貌は愚者に見える」と聞いている。あなたの驕慢と欲深さ、もっともらしい態度とみだりに燃える志向を取り去ったほうが良い。それらはあなたに何の利益ももたらさない。私があなたに告げたいのは、それだけだ。』と答えた。」孔子はその場を去って弟子たちに言った。『鳥がよく飛び、魚がよく泳ぎ、獣がよく走ることは私も知っている。走るものは網を張って捕まえることができ、泳ぐものは釣り糸を垂らして釣ることができ、飛ぶものは矢で捕えることができる。だが龍になると、風雲に乗じて天に昇っていく姿を捉えることはできない。私は今日、老子という方に会ったが、彼はまるで龍のような人物だった。』
図書館の司書として働いていた老子に会いに行った孔子。一つの伝説ではありますが、興味深い内容です。
というわけで第九歩目はこれにておしまい。続きは第十歩目でお会いしましょう。それでは、マアッサラーマ (مع السلامة)!
