遊びは、いつ仕事になったのか 第七回
第七回 自由と義務
バイオなのに、農業
話は少し、前後する。私が高校に上がる、その手前のことだ。
中学で進路を考えたとき、私の関心は、食から農業へと向かっていた。
思えば、土とは縁のある家だった。幼い頃まで、家には小作の畑があったらしい。曾祖父が父に、畑をやるかと尋ね、父が断ったので、小作をやめた。私が物心つく前の話だ。その断たれた土のことを、当時の私が意識していたわけではない。ただ、食べるものに惹かれていくうちに、それを作る側、つまり農へと、自然に興味が伸びていった。
折しも、世間ではバイオテクノロジーという言葉が出はじめ、その手のベンチャーが次々と生まれていた時代だった。中学生の私は、そういうものにも、なんとなく惹かれていた。バイオに惹かれたはずなのに、行き着く先が農業高校だというのが、いかにも中学生らしい短絡だが、本人は大真面目だった。
体験入学のトラクター
その夏、私は農業高校の体験入学に行った。桂高校の、農業科だ。
実際に行ってみると、これが面白かった。とりわけ、トラクターの運転だ。大きな機械を、自分の手で動かす。土を相手にする道具を、自分が操っている。米ぬかをこね、プラモを組み、ポケコンに一行を打ち込んできたあの手が、こんどは畑の機械を握っていた。やりたいことが、手の届くところに、はっきりと見えた気がした。
ここへ来たい、と素直に思った。自分の意志で、行き先を選んだつもりだった。
大人はそう言う
ところが、正式に進路を決める段になると、話は変わった。
学校の先生も、母も、しきりに普通科を勧めてきた。まずは普通科を出て、それでもどうしても行きたければ、そのとき考えればいい、と。
私は、やりたいことを、真っすぐにやりたかった。興味のあることを、興味のあるうちにやりたかった。それだけだった。けれど大人たちは、そうしないほうが君のためになる、と言う。
そういうものなのか、と私は思った。そして、思ってしまった以上、もう動けなかった。ここで大人の言葉を押しのけて農業の道へ進み、もしうまくいかなかったら。ほれ見たことか、と後悔するのが、こわかった。やりたいことへの熱より、後悔への恐れのほうが、勝ってしまった。あの夏のトラクターの、手のひらに残っていた振動を、そっとポケットに仕舞い込むようにして、私は自分の熱を引っこめた。
結局、私は、当時の公立校のひとつだった京都市立堀川高等学校へ進むことになる。木造三階の校舎の屋上に、プレハブの教室を載せたような、古い学校だった。公立のなかでも、偏差値は決して高くなかったと思う。いまでこそ名の知れた進学校だが、当時は、そういう学校だった。
母は、とても喜んでくれた。家には私立にやるほどの余裕はなく、そのことをずっと案じていたらしい。私が選べなかったことが、母の肩の荷を、ひとつ下ろした。そう思えば、あの断念も、まるきり無駄ではなかったのかもしれない。
ただ、引っこめた熱は、思っていたよりずっと長く、私の中でくすぶりつづけた。高校を出てからも、二十代を通してずっと、ふとした拍子に、あの道を進んでいたらどうなっていただろう、と夢想することがあった。農業で生計を立てている同年代と会うと、決まって、う~ん、と言葉にならない何かが胸に湧いた。あのとき引っこめた手のひらの振動は、三十歳を過ぎるまで、消えなかった。それがいつのまにか消えていたことに、私は、いまの仕事に就いてからずいぶん経って、ようやく気づくことになる。
自由には、義務がついていた
望んで入った学校ではなかった。けれど、その学校で、私は思いがけないものを学ぶことになる。
堀川高校は、自由を重んじる校風だった。私服。授業に出るのも、出ないのも、自由。当時の私には、それは衝撃だった。それまで私がいたのは、不自由ではあるけれど、その不自由のなかで守られている世界だった。決められた制服を着て、決められた時間に、決められた席に座る。窮屈なかわりに、誰かが枠を用意してくれていた。
堀川には、その枠がなかった。誰も、勉強しろとは言わない。私服のまま、いつ教室を出ても咎められない。それは解放感というよりも、目印のない海に、いきなり放り出されたような、奇妙な心細さを伴っていた。
ただし、ひとつだけ、厳然とした掟があった。自由に振る舞っていい。そのかわり、果たすべき義務を果たせなければ、容赦なく退学になる。出るも出ないも自由な授業も、単位という義務を果たせなければ、その自由はそのまま、破滅に変わる。
自由と義務は、セットなのだ。
このことを、私はこの学校で、身体で思い知っていく。自由とは、何をしてもいい権利ではない。義務を引き受けた者にだけ許される、危うい足場のことだ。望んだ農業の道は選べなかったけれど、選べなかった先のこの場所で、私は、働いて生きていくうえでいちばん大事なことのひとつに、出くわしていた。
そしてこの「自由と義務」の掟を、私は間もなく、もっと過酷なかたちで思い知らされることになる。 ひとつは、地獄のような運動部で。もうひとつは、苦手な教科の、理不尽な授業のなかで。
(第八回へ続く)
遊びは、いつ仕事になったのか 第八回|ケイ|続ける人の読書室
