見出し画像

【小説】浅利くんは口を割らない

四月一日、新学期の始まりの日。

教室に入ると、浅利くんがいつもの席で静かに座っていました。昨年から同じクラスの浅利くんは、ほとんど話しません。クラスのみんなは「浅利くんって本当にしゃべるの?」なんて言うけれど、わたしは時々、彼が小さな声で呟いているのを聞いたことがあります。

「おはよう、浅利くん」
声をかけても、彼はいつものようにかすかに頷くだけ。まるで貝のように固く閉じた口からは、めったに声が出てきません。

クラスのみんなは、今日がエイプリルフールだとはしゃいでいます。
さっちゃんは「今日は一日中うそをついていいんだよ」と楽しそうに言いました。「そうなんだ」わたしも何かうそをつこうかな、と考えていたとき、昨年から引き続き担任の大森先生が教室に入ってきました。

「みなさん、おはようございます。今日から新学期ですね。それから、今日は特別な日ですね」
クラス中が「エイプリルフール!」と声をそろえて言うと、大森先生は微笑みました。

「そうですね。今日は特別なお知らせがあります。実は今日から、宿題は全部なしにすることにしました」
教室がわっと沸きました。みんな大喜びです。

「本当ですか!?」
「やったー!」
「大森先生、最高!」

浅利くんだけは反応せず、目をぱちくりさせながら、黙って大森先生を見つめています。海底の砂に潜んでいるように、じっと様子を観察しているようでした。

森先生は笑いながら続けます。「それと、今日から毎日、算数と国語のテストをすることにしました」
歓声が一気に「えー!」という悲鳴に変わります。でも、多くの子はこれがエイプリルフールの冗談だと気づいて、クスクス笑っています。

「先生、それってエイプリルフールのうそでしょ?」とさっちゃんが聞きました。
「さあ、どうでしょう?」大森先生は意味ありげに笑います。「校長先生から『今年度はテストを増やしましょう』と言われたんです」

ほとんどの子たちは半信半疑でしたが、少し不安そうな顔になってきました。わたしも「もしかして本当?」と思い始めていました。
その時、ふと浅利くんの方を見ると、彼の表情が少しだけ変わったように見えました。そして、ずっと黙っていた浅利くんがゆっくりと立ち上がりました。クラスのみんなが驚いたように彼を見つめます。普段はぴったりと合わさった二枚貝のような唇が、少しずつ開いていきます。

「うそです」

小さいけれど、はっきりとした声でした。クラスが一瞬静まり返ります。浅利くんが話したことに、みんながびっくりしたのです。

「今朝、職員室の前を通ったとき、大森先生が林先生に『エイプリルフールだから子どもたちを驚かせよう』って言っていました」

教室は一瞬静まり返り、そして大森先生が大きく笑いました。

「浅利くん、聞いちゃったんだね。そうなんです、これはエイプリルフールの冗談でした。宿題がなくなることも、毎日テストをすることも、全部うそですよ」

教室にホッとした笑い声が広がりました。

「浅利くん、初めて長い文章喋ったね!」
「なんだ、話せるじゃん」
「先生のうそ、見破っちゃった!」

クラスメイトたちは浅利くんが話したことに驚きつつも、すぐに話題は大森先生のエイプリルフールネタへと移っていきました。浅利くんは少し赤くなって、また静かになりました。 教室が普段の騒がしさに戻ると、浅利くんもまた、海の底に戻っていくようでした。みんなはすぐに次のエイプリルフールネタに夢中になり、浅利くんのことはもう忘れているようです。
でも、わたしには見えました。浅利くんの小さな笑顔と、ほんの少しだけ開いた口。

いつもは黙っている浅利くん。
でも、本当に必要なときだけ、静かに口を開く。だからこそ、その言葉には重みがある。

わたしは窓際の席から、もう一度浅利くんを見つめました。彼は本を読みながら、また、いつもの浅利くんに戻っています。

いいなと思ったら応援しよう!

大麦こむぎ 読んで下さってありがとうございます◎ 戴いたサポートは多くの愛すべきコンテンツに投資します!