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義経北行伝説を歩む

今週2泊3日で、余市と積丹へ行ってきました。
実家が余市の知人に誘われ、実現した旅です。
今回の目的は、知人の関係の葡萄畑を撮影する事と、グルメ旅&積丹ブルーを満喫する事。
その中でも密かに狙っていた物は、義経北行伝説に関する史跡等に触れる事でした。

1990年7月に、平取にある義經神社へは行っているので、かなりの距離がある為、今回の神威岬との関連性は全く感じておりませんでしたが、今回の神威岬訪問で繋がることがあり、ビックリでした。

もしかしたら義経は函館の船魂神社に上陸し、日本海側を北に向ったのではなく、日本海側を弁慶岬辺りまで北上し、黄金伝説のある恵庭へ行きそこで手持ちの黄金を熊の沢に埋め、書付・絵図・笹竜胆の紋の付いた黄金造りの目録を残し、そのまま平取の義經神社、釧路・知床・稚内と移動し樺太から大陸へ行ったのではなく、樺太から稚内に戻りもう一度道央に入り恵庭に立ち寄り財宝を持って神威岬より、現ロシアのウラジオストック付近に上陸し・・・これは義経=成吉思汗説を信じる自分の考えであるが・・・(笑)

噴煙を上げている恵庭岳
支笏湖
小雨降る支笏湖にて

到着日は曇天の上、小雨がパラパラ。
先行き不安ではありましたが支笏湖経由で昼食は真狩村、そのまま余市に移動し余市泊。

その支笏湖にも恵庭渓谷に義経黄金伝説があるのですが、時間的に真狩にてランチを予約してしまったので、回れませんでした。
その日は余市泊です、彼の実家はご両親が亡くなり誰も住んでいず、水と電気を止めているとの事でしたので、葡萄畑のオーナーが経営するゲストハウスに宿泊。
チェックイン後に、余市の海岸まで歩きましたが、超ドン曇りで小雨パラパラでした。

趣ある造りの建物が沢山
余市の港
余市はマッサンの街

翌日は昼過ぎまでニッカウヰスキーを含む余市巡り、昼過ぎまで葡萄畑の撮影、そこから神威岬まで移動。
朝から何となく曇りでしたが、撮影時は陽が出て嬉しい悲鳴!

海の見える葡萄畑は絶景でした
咲きだした葡萄の花1
咲き出した葡萄の花2
南斜面に広がる葡萄畑
ここの葡萄は全てワイン用
お決まりのニッカウヰスキー見学にも行ってきました

余市を発つ時にはまた曇ってしまい真っ青な積丹ブルーは見られないかも?
2日目の14時ごろ、念願だった神威岬へ行くことが出来ました。

風に吹かれてしゃこたんブルーの案内板

神威岬の手前で小雨がパラパラと降り出し東南の空は真っ暗に・・・もしかして雨雲が来る?
と思いつつ神威岬への誘導路へ入ると何となく青空がチラホラ。

駐車場からの上り坂にて

日頃の行いが良かったのか?私が晴れ男なのか?
神威岬に到着すると白い雲に変わっていました。
神威岬は、義経北行伝説が残る地でもあります。
海側は強風でなかなか進めず、急に「うわーーー!」と男性の悲鳴が・・・手に持っていたジャケットを飛ばされた方がいたらしく、海に落ちていくジャケットが見えました。
岬を巡りながら時間的に先端までは行けずと判断し、神威岬と神威岩が見える展望台まで移動することにし、素晴らしい景色を堪能してきました。

神威岬と神威岩
雲が立ち込め水面に白く映る

白い雲があったので海に反射し完全なコバルトブルーの海を見られませんでしたが、一瞬 雲の流れが急になり積丹ブルーの海を見ることが出来ました。
陽が出たり曇ったり、透明度はかなりのもので、崖上の遊歩道沿いからでも海の底の様子が判るくらいの透明度にビックリでした。

少し歩き出すと陽が出始め積丹ブルーに染まっていく
海の底が見える透明度
神威岬展望台より
海に雲が映り込み不思議な色に染まっていく
この距離でも海の底が確認出来る透明度
青空が現れると積丹ブルーに染まった海が

こんな美しい海を見に、今度は朝焼けと夕焼けを撮りに来たいと思いました。

そして、義経北行伝説にもしっかりと触れてきました。

神威岩・神威岬の伝説のプレート
(内容は下記に記載)

神威岩・神威岬の伝説を記すプレートがある。(以下石板プレートより)

文治五年(一一八九)平泉の戦にやぶれた源義経は兄頼朝に追われ、蝦夷地の日高平取の酋長宅にたどり着いた。
酋長の娘「チャレンカ」は義経を強く恋い慕っていたが、義経は時を空しく過ごすのに忍びなく、行方を告げずに酋長宅を出て北へ進み、神威岬にたどり着く。
それを知ったチャレンカは義経を追い、やっと神威岬に着いたが、時遅く義経はすでに船出した後だった。
遙か沖を行く船に向かい、神威岬からどんなに呼んでも及ばず、悲しみに泣く声は吹きすさぶ風の音にかき消され義経の耳へは届かなかった。
悲しみにうちひしがれたチャレンカはついに気が狂い、神威岬から海へと身を投じた。
そして間も無く、チャレンカは神威岩に化身したと伝えられている。

「和人の船、婦女を乗せて、ここを過ぐれば転覆せしむ」

これはチャレンカが最期に残した呪いの言葉といわれている。
以来、神威岬と神威岩は「オカムイ」と称され女人禁制の場所になったと伝えられている。

(以上、石板プレートより記載)

女人禁制の門(鳥居)

そんなことから昔は神威岬は女人禁制の門(鳥居)があり、女性は入れなかったそうだ。
(現在は問題なく通れます)

この地から、義経は大陸への道を辿ったのであろうか?
蒼き狼への道へ・・・夢は続く!


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