ヒップホップのプロセスで解き明かした自然栽培という謎
アフリカバンバータという、ヒップホップがヒップホップと呼ばれる以前の70年代から活動してきたレジェドが4月9日に亡くなり、その報は瞬く間に世界に伝えられた。
元々ギャングのリーダーだった彼は非暴力と団結を掲げ「Peace, Love, Unity and Having Fun」という理念を広めた。アフロフューチャリズムは今もクールだ。
私はヒップホップが大好きで、特にそのプロセスは人生や仕事に影響している。
彼らのほとんどは低所得者層のアフリカンアメリカンで、街のゴミ箱から拾ってきたボロボロのサンプラーで親の古いレコードをから音源を録音、切り貼りし作曲。
リズムに合わせて主張をラップし、落書きからグラフィティーアートが生まれ、カンフー映画も影響し身体能力の高さを見せつけ合うブレイクダンスが生まれた。
また、地元のギャングの抗争を調停するためそれは活かされた。それゆえにヒップホップは悪そうな感じがするわけだ。
いうなれば生存戦略としてのカルチャーがヒップホップの起点だ。
他人の音楽をパクリ、組み合わせ、サウンドシステムとターンテーブルが新たなアートフォームとなり、地域の危機を回避する文化として創造されたのだ。
人間の「生きようとする力」はただただ凄いと感服する。
ちなみに、ターンテーブルやサンプラーは日本製。ヒップホップは日本人がツールを作ったからこそ生まれたと言われている。
私は最初はただファンキーなノリが好きなだけだったが、その音楽を知るうちに、制作プロセスの考え方に共感した。
20代は海外レーベルと共同で音楽制作をしていた。音楽をある程度やると、人真似ではないオリジナリティの模索に興味が深くなる。
ヒップホップとの出会いは10代から20代前半にかけて。
既存の音楽から一部をサンプリングし組み合わせ新たな音楽を創造するというプロセスに衝撃を受けた。
自分の中の何かを表すために、良さそうなものを拾ってパッチワークしていくような感覚がヒップホップから学んだ最も価値あるものだ。
それは自然栽培という2011年時点での「謎」にも適用された。
現場での1年間は貴重だ。
自然栽培を成功させるためにお米であれば在来種を10種以上試験栽培した。
様々な環境、時期、品種を検証した。
さらに時間があれば、北は北海道、南は九州まで生産者を訪ね、いいヒントがあれば自分の現場ですぐに試す。
とにかく、新しい方法、可能性のある品種のパッチワークを約10年繰り返し、打率2割か3割か、失敗に失敗を重ね、栽培はある程度型ができて、年間売り上げは1,000万近くにはなった。
パッチワークはいつしか、移植された皮膚が馴染んでいくように、スタイルの一部になっていった。
そのスタイルは結局、「私のオリジナル」ではなく、その場所に許された環境、時期、品種が最も安定し、持続力のある営農につながった。
私よりも、場が、土が、気候が許したあり方が最も持続可能であることがわかっていく。
飛騨山脈で台風が逸れる安曇野では、お米は農林22号がフィットしていたし、大豆は津久井在来、寒さが厳しい中で小麦は古代小麦がよく育った。
こんなふうに案外シンプルなあり方におさまっていった。場のあり方をいわば翻訳したのが必然的にスタイルになった。
ちなみにこれらを山の地下水で仕込んだ味噌や醤油は、パッチワークが幾重にも重なった極上の旨味抽出物で、今後また、気の合う蔵と大桶で仕込んでみたいと思っている。
世の中は模倣=パクリはいけないことだとか、盗作だとか言って話題になることがある。
しかし、観察者が違う限り全く同じものにはならない。
さらに創造性に溢れているならば、それをどこまでも繰り返せばいつしか自分にしかない何かが醸成されていく。
自分がいいと思ったらパクリ続けることで、いつしか自分自身のオリジナリティは浮かび上がってくるのだと思う。
オリジナリティがまだまだ足りないならパクリ倒すことが足りてないのかもしれない。
例えるなら
「割れた自分の鏡の一部ずつを集めていく創造」
のようなもので、最後は自分が鏡に映る。
そんなインスピレーションを与えてくれたのが、ヒップホップであり、カルチャーの産みの親の1人がアフリカバンバータだった。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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